読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『恋を覗く少年』L・P・ハートリー

The Go-Between(1953)L. P. Hartley

 L・P・ハートリーは、近年の日本において「ポドロ島」のイメージが強いため、怪奇小説家だと思っている方が多いかも知れません。けれども、一般的には『恋を覗く少年(恋)』(写真)(※1)で知られる作家です。これは、ハロルド・ピンター脚本、ジョゼフ・ロージー監督で映画にもなりました(映画の邦題は『恋』)。
 訳本は一九五五年に新潮社から『恋を覗く少年』として刊行され、映画が公開された際は角川文庫から『恋』というタイトルで新訳が出ました。

 それにしても、『恋』なんてありふれた邦題にされてしまうと、ネットで検索するのが非常に難しくなります。おまけに著者の表記も本によって異なるため、重要な情報を見逃し兼ねません。
 ちなみに、著者名は、新潮社が「ハートレイ」、角川文庫が「ハートレー」なので、これから探そうという人は参考にしてください(ちなみに『ポドロ島』は、ハートリー)。

 以下、少々脱線します。
 僕は、書店や古書店で、同じ作品をダブって買ってしまうことがよくあります(※2)。その原因のほとんどは、以下のどちらかのパターンです(安価、稀少、新訳、人に頼まれたなどの理由でわざと複数冊買う場合を除く)。
1 持っていたかどうか覚えていない。
2 「文庫化される」「他社から刊行される」「訳者が変わる」「映画化される」などの際、書名が変更されることがある。それに気づかない(カバーデザインの変更くらいなら気づく)。

 1は、主に古本を購入する場合に起こります。
 対策として、インスタグラムに蔵書をアップすることにしました。古書店で「この本、持ってたっけなあ」と悩んだとき、インスタでハッシュタグ検索をすることで所持の有無が分かるようになり、同じ本を複数買ってしまう被害は大分抑えられるようになりました。
 以前は、アマゾンの「ほしい物リスト」を利用していましたが、これだとアマゾンに登録されていない書籍の管理ができないため、インスタに切り替えたのです(追記:インスタのハッシュタグ検索が全く役に立たず、この手は使えなくなった)。

 2は、新刊を購入する際に陥りやすい罠です。
 僕は書店で本の中身をほとんどみません。新刊が積んである平台で書名と著者名をみて、コンディションをざっと確認したら即購入します。そのため、「文庫化に際して××と改題した」といった注意書きを見逃してしまうのです。
 書店で書籍をしっかりチェックすれば防げる問題なのですが、一刻も早く家に帰りたい人間なので一冊一冊吟味するのは嫌なのです。

 というわけで、2については防ぐ手段を思いつきません。『恋を覗く少年』と『恋』のように古い本なら情報を入手しているので間違えませんが、「書店にゆくまで発行されていることを知らなかった新刊」はお手上げです。
 まれに、「××を改題」とカバーに書いてある本もあるけれど、それはそれでデザイン的にかっこよくない……。となると、「なるべく改題は避けて欲しい」と出版社にお願いするしかありませんかね。

 というわけで、本題に入ります。まずは、『恋を覗く少年』のあらすじから。

 六十歳を過ぎたライオネル(リオ)・コルストンは、約五十年前の日記を手に取ります。彼は、世紀の変わり目に青春時代を迎えました。
 日記をつけ始めた頃、リオは十二歳で、学校の寄宿舎で暮らしていました。はしかの流行で学校が休みになったとき、彼は友人のマーカス・モーズレイの家に招かれます。そこにはマーカスの兄姉(デニスとマリヤン)、彼らの仲間の大学生たちがいました。
 やがて、戦争で顔に傷を負ったトリミンガム子爵がやってきます。彼とマリヤンは結婚すると噂されています。しかし、マリヤンは農夫のテッド・バーゲスとただならぬ関係にあるらしく、逢引のための手紙の配達をリオに頼むのです。

 原題の「Go-Between」は仲介者という意味です。リオは、大人たちの間を伝言や手紙を届けたり、駆け引きに利用されたりと、正に仲介者の役目を果たします。
 特に重要な役割が、マリヤンとテッドの手紙の配達です。ふたりは身分違いの恋をしており、さらにマリヤンはトリミンガムと婚約しているにもかかわらず、関係を止めることができません。
 それに気づいたのか、トリミンガムは、テッドに入隊を勧めます。

 典型的な三角関係の物語ですが、彼らの恋の行方は実をいうとどうでもよい。大人の世界を垣間みた思春期のリオが何を感じ、どう悩んだか、そして、それがその後の人生にどのような影響を及ぼしたか、が主題となります。
 主人公のリオと作者のハートリーはほぼ同年代で、ともに独身のまま老年を迎えたため、自伝的なフィクションといってもよいかも知れません。

 ごく稀に現在のリオ(老人)が解説を加えることはあるものの、基本的には少年の視点でひと夏のできごとが語られます。そのため、読者には何が起こっているのか、窺い知ることができない仕組みになっています。
 例えば、マリヤンとテッドは手紙で逢引の約束をしているらしいのですが、リオはその現場をみていないので描写できないし、恋愛に関する知識や経験がないのでどの程度の関係なのか想像できない。さらには、トリミンガムとマリヤンがふたりきりのとき、どんな態度で、どのような会話をしているかも分かりません……。
 これが、この小説を単なるメロドラマとはかけ離れたものにしている要素です。

 話は少しズレますが、「ポドロ島」が今なお怪奇小説の傑作として読まれているのも、事件の真相が五里霧中だからです。
 仕様がないので、読者は想像力を働かせ、様々な解釈を試みる。そのうちに、恐怖がじわじわと湧き上がってくる……。これが「ポドロ島」の最大の魅力なのです。

『恋を覗く少年』も、同じような効果を狙っているようです。
 水泳やクリケット、晩餐会、誕生会など平和なイベントが次々に描写され、リオは大いに楽しみます。しかし、重要なのはそれらの裏で何が起こっているか、なのです。
 少年には分からないけれど、恋人たちの行動には意味があります。「ポドロ島」と異なるのは、謎が放り出されるのではなく、最終章で推理小説のように伏線が回収されることです。
 勿論、それは最後まで丁寧に読書をしてきた者へのご褒美です。みえなかったものに光が当たり、読者は「そういうことだったのか」と満足感に満ちたまま本を閉じることができるでしょう。

 それでもいくつか謎が残り、なかでも気になるのが、トリミンガムはマリヤンとテッドの関係に気づいていて、テッドに入隊を勧めたのか、それとも単なる偶然なのか、という点です。
 作者はこの答えを用意していないため、トリミンガムの性格や「あの事件」の後、彼が選択したことなどを頼りに推理するしかありません。
 結論次第では、この小説の印象が大きく変わってくるので、ぜひ自分なりに考えてみてください。

※1:この本は「戀」と「恋」が混在している。カバーなどの表記は「戀」だが、検索されやすさを考え、ここでは主に「恋」を採用する。

※2:江戸時代、本屋がダブって仕入れてしまった本を「重本」といったらしい。


『戀を覗く少年』蕗沢忠枝訳、新潮社、一九五五

→『ポドロ島』L・P・ハートリー

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