読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『紙葉の家』マーク・Z・ダニエレブスキー

House of Leaves(2000)Mark Z. Danielewski

 僕は、本が好きですが、愛書ではないので、古書のコンディションには、さほどこだわりません。といっても、汚れている本よりは綺麗な本を、帯や付属物が欠けているものよりは揃っているものを求めてしまうのは人の常ではないでしょうか。
 特に、アート系の本や、凝った装幀の本、豪華本などは、綺麗じゃないと嫌な気分になります。

 マーク・Z・ダニエレブスキーの『紙葉の』(写真)は、正にそんな一冊。
 これは、内容は勿論のこと、書籍としても大変ユニークです。文芸書にしては判型が大きく(天地二百二十五ミリ×左右百七十ミリ)、分厚く(八百頁以上)、高価(本体価格四千六百円)。『はてしない物語』のように本文は二色刷で、カバーも表紙も四色です。タイポグラフィや写真、イラストが豊富で、解説や訳者あとがきは挟み込みという懲りよう。
 たとえ積読でも一に一冊常備する価値は十分にありますが、余りボロボロだと愛着が湧かないので、これから購入される方は、ぜひ状態のよいものを手に入れていただきたいと思います。

 十九世紀を締めるアメリカ文学が『オズの魔法使い』と『シスター・キャリー』だとしたら、二十世紀の掉尾を飾るのは、現時点では『紙葉の』といえるかも知れません。

 一体、どんな内容なのかといいますと……。
 ザンパノという盲目の老人が死に、彼が書いたと思われる『ネイヴィッドソン記録』という原稿を手に入れるトルーアント。それは、ピューリッツア賞を受賞したフォトジャーナリストが撮影した奇妙なのフィルムにまつわる様々な謎についてのものでした(そのは、勝手に内部の構造を変化させ、やがて巨大な迷宮を形作る)。興味を抱いたトルーアントは、ザンパノの原稿を編集し、出版します。
 とはいえ、トルーアントの注釈は、ネイヴィッドソンともザンパノとも無関係な自分自身の話に終始し、膨大な資料もわけの分からないものばかり。
 やがて、トルーアント自身、紙葉のに取り込まれて……。

 ホラー仕立てのドキュメンタリーフィルムの謎は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を、第三者が勝手な脚注を加えるところはウラジーミル・ナボコフの『青白い炎』を、架空のインタビューはロベルト・ボラーニョの『野生の探偵たち』を思い起こさせます。そもそも「不気味な」はゴシックやホラーの定番ですから、そういう意味では新鮮味に乏しいといえるでしょう。

 しかし、ダニエレブスキーは、それらを遥かに上回る偏執的な情熱で『紙葉の』を彩りました。
 虚偽入り交じった脚注や巻末の付属書は、寧ろそちらの方がメインともいえるほど緻密でボリュームがありますし、変則的なレイアウトは、本を逆さにしたり、裏から透かしたり、鏡をあてたりして文字を認識することを強要されます。
 おまけに、捻くれまくったレトリック(例えば「アンドレア・パラディオの構造派生法に基づいている」という記述の前に「次のようなスタイルと似ているところは少しもない」として、二十頁以上にわたり様々な建築物を羅列する)や、伏せ字や暗号の解読などに満ちていて、読み進めるのは容易ではありません。
 いや、内容以前に、電車のなかやベッドで気楽に楽しもうとしても物理的に難しい(でかくて重い!)。加えて、経済的な障害(高価!)もあるので、その時点で、かなりの脱落者が出てしまうのではないでしょうか。

 とはいえ、こうした仕掛けは、単に奇を衒ったものではありません。外観は何の変化もないのに、際限なく膨れあがり、迷宮化するの内部(何しろ深さは赤道上の地球の円周より長い)を暗示し、大きな効果をあげています。
 実際、両者の関係は密接です。『紙葉の』とは、ネイヴィッドソンが最後の探検に持っていった本でもあり、そこには編集をしたトルーアント自身も含まれる(あるいは、編著者のザンパノによる虚構に飲み込まれる)など複雑なチャイニーズボックスと化しています。その結果、存在する階層も虚実も異なる様々な人物がとかかわり合うことになり、そうした重層構造が、とんでもない怪物を作りあげてしまったといっても過言ではありません。
 そして、当然、そのなかには読者も含まれます。証拠と付属書をいったりきたりし、感覚を研ぎ澄ませて本の内部を探検すれば、大迷宮に住むミノタウロスに出会うことができるでしょう(どう読んでもいいけど、付属書II-E「スリー・アティック・ホエールズトウからの手紙」だけは早い段階で目を通した方がよいかも)。

 そうはいっても「従来の小説の枠を大きく逸脱した作品って、珍奇なのは認めるけど、面白くないことが多いんだよな」と思われる方がいるかも知れません。
 が、『紙葉の』に関して、そうした心配はご無用です。「めんどくせえな」と思いながらも、頁をめくる手が止まらなくなるのです。
 その理由のひとつには、自体、そして、にまつわる人々の物語が魅力的という点があげられます。似非ドキュメンタリーとしても、ホラーとしても、冒険小説としても、ドメスティックなドラマとしても、また、狂人の戯言としても一流ですから、躊躇せずに奇妙で魅力的なの内部に踏み込んで欲しいと思います。
 作の綿密な計算、そして「読み飛ばされても構わない!」という覚悟がひしひしと伝わってくる傑作です。

『紙葉の』嶋田洋一訳、ソニー・マガジンズ、二〇〇二

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