読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』マリオ・バルガス=リョサ

¿Quién mató a Palomino Molero?(1986)Mario Vargas Llosa

 ラテンアメリカ文学に最初に触れたとき「何だ、こりゃ。すげー!」という感想を持つ人が多いようですが、僕が初めてそのように感じた作品は『百年の孤独』でも『夜のみだらな鳥』でも『ペドロ・パラモ』でも『石蹴り遊び』でもなく、マリオ・バルガス=リョサの『緑の家』(1966)でした。それから貪るように様々なイスパノアメリカ文学に手を伸ばしていったという経緯があり、その意味で『緑の家』には特別な思い入れがあります。

『緑の家』は、記憶が補正されるのが嫌なので読み返すつもりはありません。その代わり、舞台や登場人物の一部が共通している『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』(写真)を再読してみました。
 なお、主人公のリトゥーマは、その後『アンデスのリトゥーマ』(1993)にも登場しています(これは二〇一二年十一月に、岩波書店から出版されるらしい)。

 作風が固定されている作家と、一作ごとに変化する作家がいることは以前述べましたが、バルガス=リョサは、後者にあたると思います。彼は多作の上、テーマ、ジャンル、文体、構成が作品によってかなり異なるため、どうしても好き嫌いが生まれてしまいます。具体的にいうと、『緑の家』『世界終末戦争』『密林の語り部』などは好みですが、『フリアとシナリオライター』『継母礼賛』などは余りピンときませんでした。
『誰がバロミノ・モレーロを殺したか』はというと、ユーモラスでありながら、ピリッと引き締まった小品です。ガブリエル・ガルシア=マルケスでいうと『予告された殺人の記録』に当たるでしょうか。
 推理小説ですが、謎解きが主ではありません。難解かつ実験的な作風の作家が、多くの読者を獲得するために大衆小説の手法を借りることはよくありますが、これもその典型的な例でしょう。

 ある野原で、全身を痛めつけられ串刺しにされた死体がみつかります。被害者は、空軍の若き兵士パロミノ・モレーロでした。
 警官のリトゥーマは、シルバ警部補とともに、事件の解明に乗り出します。しかし、閉鎖的な空軍の上層部に阻まれ、捜査はなかなか進みません。
 が、大佐の娘の密告によって、パロミノは身分違いの恋をしていたことが分かってきます……。

 推理小説の形式を取るメリットとして、読者の数を増やすことのほかに、作品のテーマを犯行の動機として分かりやすく提示することができるという点があげられます(ただし、読書感想文の場合は、ネタバレになってしまうので余り触れられないのが辛い……)。
『緑の家』ほど複雑ではないし、『密林の語り部』ほど重くはありませんが、ここでもやはりペルーという国が抱える問題が浮き彫りにされています。簡単にいうと、ひとつの国に異なる文明、人種が存在することの難しさというのでしょうか。
 この作品においては、メスティーソ(白人とインディオの混血)と白人の垣根を越えた愛が語られます。愛は、社会的・人種的な偏見、経済的な格差を容易く乗り越えますが、本人たち以外にその価値が認められないのは、現実でも虚構でもお決まりのパターンとなっています。

 その結果、人の死という悲劇が生まれるわけですが、メロドラマとは異なり、死してなお差別は消えません。それは、その根がいかに深いかを表しています。
 パロミノの恋の相手(白人)は、恋人が惨殺されてしまったのにもかかわらず、ほとんど感情を動かされません。また、犯行が暴かれた後、犯人が取った行動は、決して罪の意識からではなく、飽くまで自らのプライドを守るためでした。
 そう考えると、冒頭で以下のごとく描写されたパロミノの遺体は、ただ残酷なだけではなく、人間としての尊厳をとことんまで奪い去るという意図があったのでしょう。
「ここまでやらなくてもと思うくらい、めちゃめちゃに痛めつけられていた。大きく裂けた鼻と唇、すでに乾いている血のり、殴られた跡、割れた傷口、タバコを押しつけられたやけど。(中略)左右の睾丸が太股の下のほうまで垂れ下がっているのだ。」

 一方、下層階級の人々の反撃は、最終章に用意されています。
 食堂に集まった人々によって、事件はいつの間にか、数百万ペソの密輸、エクアドルがからんだスパイ活動、空軍の兵舎における同性愛などと関係があることにされてしまいます。
 そして、若くて色男のシルバ警部補は、混血の中年女ドニャ・アドリアナにこっぴどくやっつけられ、あげくの果てに僻地へ飛ばされてしまいます(シルバ警部補は、真面目にふざけてて、実によいキャラ)。一見、災難のようですが、これだけ恥をかかされた女の側になんていたくないから、左遷されてよかったような気がします。

『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』鼓直訳、現代企画室、一九九二

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