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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『葬儀よ、永久につづけ』デイヴィッド・プリル

The Unnatural(1995)David Prill

 邦題から分かるとおり葬式小説(?)です。
 葬儀を扱った小説といえばイーヴリン・ウォーの『囁きの霊園』(※1)が有名ですが、時代が五十年進んだ分だけ、さらに過激になりました。
 いや、過激というか何というか……。実をいうと、この作品の原題は『The Unnatural』。そう、バーナード・マラマッドの『ナチュラル』のパロディになっているんです。
 つまり「葬儀を扱ったスポーツ小説」という唯一無二のジャンルに分類されるわけで、ピーター・S・ビーグルの『心地よく秘密めいたところ』のようなものを期待されると困ってしまいます……。
 とにかく、まずは、あらすじをご紹介します。

 一九四ニ年、遺体防腐処理人(エンバーマー)のジェイナス・P・モーディカイは、一シーズン千七百六十九体の防腐処理の新記録を打ち立てました(それまでの記録は、南北戦争中の一八六三年、トマス・H・ホームズが樹立した千六百十六体)。しかし、世界大戦が終わり死者の数が減ったこともあり、モーディカイはスランプに陥り、いつの間にか葬儀界から姿を消してしまいました。
 ときは流れ、モーディカイに憧れた青年アンディ・アーチウェイは、ミネソタの田舎で、独学で防腐処理を実践していました。そこへモーディカイを発掘したサニーサイド社の敏腕スカウトが現れ、アンディは超名門の葬儀大学へ通うことになります。
 非凡な才能を持つアンディですが、学校の方針とは合わず苦悶の日々を過ごします。が、彼は苦難を乗り越え、防腐処理競技の花形選手となり、モーディカイの再来と噂されるようになります。
 さて、卒業後はサニーサイド社に就職することが決まっていましたが、アンディは直前になってライバルのドラブフォード社に引き抜かれてしまいます。彼の夢だったモーディカイの記録を破るチャンスを与えてやるという言葉に魅かれたのです。
 飢餓で苦しむ国へゆき、餓死や感染症で亡くなった遺体を次々に処理するアンディ。けれど、そこでの生活も崩壊し、失意のまま故郷に戻ってきた彼は、恩師を助けるため、サニーサイド社に赴きます。しかし、サニーサイド社はドラブフォード社の策略に屈し、崩壊寸前でした……。

 この作品が『ナチュラル』のパロディだってことがお分かりになられたでしょうか。
 アメリカ人の好きそうな、英雄の栄光と挫折の物語。ただし、それがスポーツ界でもエンターテインメント界でも政界でもなく、葬儀界だってのが変わってるというか、馬鹿馬鹿しいというか……。
 死は誰にとっても未知の体験で、だからこそ恐怖も増します。それを少しでも和らげるために、プリルは徹底的に茶化したのかも知れません。

 設定はふざけていますが、中身はとにかく真面目かつ爽やかです。
 アンディは、天賦の才の持ち主にもかかわらず、純朴で、人に優しく、親思いで、驕ることのない好青年。いくつかの挫折を乗り越え、人間として大きく成長してゆく様が映し出されます。
 彼以外の登場人物にしたって、癖はあるものの悪人はほとんどおらず、気持ちよく読み進めることができます。
 恩人を自らの手でエンバーミングするクライマックスは、正にスポ根漫画です。ベタだなあと思いつつも、涙させられてしまいます。

 一方で、エンバーミングとは結局、生者のためのものであり、アンディの場合、それをジオラマ化し、アートの域にまで高めてしまうのですから、尚更、自己満足やエゴが目立ちます。
 アンディが真剣であればあるほど、死体処理の「不自然さ」が強調され、薄ら寒く感じてしまいます。恐らくは、そうした仕掛けこそが最大の意図であろうと思われますが、見事というほかありません。

 葬儀ビジネスへの諷刺について、もうひとつユニークなアイディアが用いられています。
 医学の進歩や食生活の改善、人口の減少によって死者の流れが滞り、また、葬儀に余りお金をかけない風潮に対処するため、葬儀会社が考えたのが、一度葬儀が済んだ人に対して、再び葬儀を行なうというものです。
 二十年前に亡くなったお婆ちゃんは、とっくに皆に忘れられています。それをもう一度、弔うことで、故人を偲ぶことができるのです。

 日本人は周忌法要や彼岸がありますから、驚くに値しないでしょう(アメリカではメモリアルデーくらい)。
 いや、むしろアメリカ人ならジョークとして笑えても、日本人には妙に現実的に思えてしまうかも知れません。土葬された死体を掘り起こすことを想像すると、なかなか不気味なものがあります……。

 ちなみに、もう一冊、邦訳のあるプリルの第二作『連続殺人記念日』にも少し触れておきましょう。
 主人公の性別こそ違いますが、馬鹿馬鹿しい設定、善人ばかりで真面目な内容は、『葬儀よ、永久につづけ』によく似ています。

 ミネソタ州のスタンダード・スプリングズという街では、毎年同じ日に人が殺され、それが二十年も続いています。どうやら、シリアルキラーの仕業らしい。
 しかし、住民は、連続殺人記念日を設け、その日は「恐怖のパレード」や「絶叫クィーンコンテスト」を開催し、大いに盛り上がります。街の知名度が上がり、観光客が増えたこと、そして、記念祭で大いに盛り上がれることから、住民はシリアルキラーに恐怖するどころか、感謝さえしているのです。
 そんななか、女子高生のデビイは、今年こそ絶叫クィーンに選ばれようと必死に悲鳴をあげる練習をしています。しかし、彼女は生まれつき恐怖を感じることができない体質の持ち主でした。

 普通のミステリーやサスペンスなら「今年、狙われるのは誰か?」「犯人は何者か?」といったところに焦点を絞るでしょうし、ホラーなら犯人は残虐な手口で次々に人を襲うでしょう。
 読者だって、当然ながら結末を予想しながら読書をするはずです。東京創元社の本ということもあり、「犯人はもしかすると、街が話題になることを望んでいる住民のなかにいるのかも?」とか、「そもそも殺人なんか起きておらず、シリアルキラーも存在しないのでは?」なんて、いかにもミステリーっぽいオチを想像しなくちゃ嘘だと思います。

 けれど、この作品は、そんな期待には応えてくれません。
 その代わりに、僕らは、デビイという、純粋で、人がよくて、少し間の抜けた少女の爽やかでほろ苦い青春と成長を存分に楽しむことができます。
 シリアルキラー、恐怖、絶叫などという言葉に誤摩化されてしまいがちですが、実際はまともすぎるくらいまともな教養小説なのです(※2)。

 ま、このタイトルとパッケージで、ミステリーやサスペンス(+ユーモア)以外のものを求める人は少なかったでしょうから、文庫化されなかったのは正解という気がします。
 ですが、明るくて単純なチアリーダータイプの少女の精神的成長に興味がおありの方になら、お勧めの一冊です。
『葬儀よ、永久につづけ』と同様、セックスや暴力がほとんど描かれていない点も、好ましく感じるのではないでしょうか。今どき、これほど爽やかな青春小説には、まずお目にかかれません。

※1:この小説の原題は『The Loved One』。邦題は『囁きの霊園』『華麗なる死者』『愛されたもの』『ご遺体』と沢山ある。ちなみに『愛されたもの』と『ご遺体』は、二〇一三年、岩波文庫(金星堂の再刊)と光文社古典新訳文庫でほぼ同時に刊行された。ウォーの翻訳出版がかち合うのはこれが初めてではなく、一九九一年に『Decline and Fall』が、『大転落』(岩波文庫)と『ポール・ペニフェザーの冒険』(福武文庫)というタイトルで同タイミングで出版されたことがある。映画化されたわけでも話題作でもない古い小説が複数の出版社から同時に発行される(しかも二度までも)なんて、珍しいこともあるものだ。

※2:推理小説の体裁を取りながら全く別のことをやっている小説に、スタニスワフ・レムの『捜査』がある。これは、理解不能なできごとに遭遇したとき、人はいかに尤もらしい理屈をつけ、自分を納得させるか、みたいなことがテーマである。


『葬儀よ、永久につづけ』赤尾秀子訳、東京創元社、一九九八