読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『泥棒の息子』マヌエル・ロハス

Hijo de ladrón(1951)Manuel Rojas Sepúlveda

 マヌエル・ロハスは、ラテンアメリカ文学ブームがくる少し前に活躍した作家のせいか、翻訳された小説は多くありません。
 短編は、学生社の『ヨーロッパ短篇名作集』に「コロコロ」が、新日本出版社の『世界短編名作選 ―ラテンアメリカ編』に「ミルク・カップ」が、サンリオ文庫の『エバは猫の中』に「薔薇の男」が収録されているくらいです。

 長編の邦訳は『泥棒の息子』一冊のみ。しかも、マイナーな出版社から発行されたため、目に触れる機会は多くなかった気がします(現時点ではAmazonでの取り扱いもなし。写真)。
 実はこの作品、アニセト・エビアを共通の主人公とする四部作の第一作なのですが、続編である『Mejor que el vino』(一九五八)、『Sombras contra el muro』(一九六四)、『La oscura vida radiante』(一九七一)が訳されることは多分ないでしょうね……。
 尤も『泥棒の息子』が好評だったから続編が書かれたわけで、続きを読まないと無意味というわけではなさそうです。

 幼くして母を亡くし、泥棒の父も投獄されたせいで、兄弟と別れ、ひとりで生きてゆかなければならなくなったアニセト。
 アルゼンチン、チリを放浪した彼は、様々な人に出会い、様々な職に就きます。やがて、バルパライソで暴動に巻き込まれ、血まみれの男を運んでいた警官に石を投げつけたことによって投獄されてしまいます。牢獄で肺炎を患ったものの何とか出獄することができたアニセト。しかし、彼には知人も金も職もありません。
 そんなとき、アニセトは海岸で金属を拾い、それを金に換えて暮しているふたりの男と知り合いになります。

 本作では、アニセトの四十二年の生涯のうち、十七歳までが描かれます。
 彼の人間としての成長が大きなテーマであることは間違いありませんが、実をいうとアニセトは語り手であるとともに優秀な聞き手で、旅先で出会った人々のエピソードを引き出す役目を果たします。
 これは、そのまま作家ロハスを形成する大切な要素となっているように感じます。職を転々としながら観察眼を養い、数々の経験を文学として昇華させる日を待っていた若きロハスは、アニセトと多くの部分で重なるのではないでしょうか。

 一方、登場人物のほとんどが虐げられている下層の民で、金も家も仕事も証明書もありません。
 アニセトは、作者ロハスと同じく一八九六年生まれなので、これは一九一〇年前後の物語ですが、社会情勢はチェ・ゲバラが南米を放浪した一九五〇年代とさほど変わっていないようです。いや、一世紀経った現在でも、相変わらず貧困は解消されていません。
 つまり、アニセトはともかくとして、ほとんどの人は恐らく一生底辺を彷徨い、盗んだり盗まれたり、殴ったり殴られたりの日常が蜿蜒と続いた後、野垂れ死にする運命にあるのでしょう。皆、諦観しているのか、そこから這い上がろうとする気配はみえません。

 そう書くと、悲惨さばかりが強調された小説のように思われるかも知れませんが、実際はどことなくのんびりした雰囲気が漂っています。
 アニセトは生い立ちを嘆くことも、将来を悲観することもしませんし、作者も不幸の押し売りをしないため、必要以上に陰鬱な気分にならずに済むのです。
 また、 ラテンアメリカ文学にしては、残酷かつ生々しい表現が皆無です。いや、そもそもこのテーマにもかかわらず、セックスや暴力がほとんど描かれていないことに驚かされます。これであれば、児童文学として読まれてもよいでしょう。

 どうやら、これこそがロハスの文学の最大の特徴のようです。
 悪い奴も沢山出てきますが、スポットライトが当たるのは人間臭い善人が多い。
 泥棒に感情移入して職務を放棄する刑事、文なしのアニセトの分の罰金を払ってやると約束したものの、アニセトが簡単に釈放されないと分かると、二度と会うことはないにもかかわらず、罰金の代わりとしてわざわざ弁当を届けてくれる男、自分自身は盗みをやらないが、泥棒を助けることで生計を立てている無邪気な黒人、働くことを頑なに拒否する無口な男、その男を決して見捨てない哲学者を気取る風来坊といったお人好したちに出会うと心が温まり、元気が出てきます。
 アニセトは、余り深入りせず冷静な観察者であり続け、それでいてユーモアも忘れないところは、山本周五郎の『青べか物語』と共通点があるように思います。

 結局、文学にできるのは、こういうことなのです。
 政治や思想と異なり、社会を変えるほどの力はないけれど、この小説を読んだ人は、ほんの少し幸せな気持ちになれる。多くの貧しい人々によって、その効果が認められたからこそ、『泥棒の息子』はベストセラーになったのではないでしょうか。
 ロハスアナーキストだったそうですが、それ以前に一流の文学者であり、小説の力を誰より信じていたのかも知れません。

 最後に、これは基本的には無骨なリアリズム小説なのですが、技巧の面でも注目すべき点があります。
 アニセト自身の話を含め回想は時系列が滅茶苦茶で、一体いつのできごとなのか気をつけて読まないと混乱してしまいます。おまけに、私( 現在の自分? 作者?)が君(過去の自分? アニセト?)に語り掛けてくる項もあったりして、少々ややこしい。
 前者については、回想とはそもそも脈絡もなく断片的に甦るものであり、より現実的な仕掛けといえるかも知れません。
 一方、後者は、自己批判という側面もありますが、かつての未熟な自分を懐かしんでいるようにもみえます。その眼差しは父親が息子をみつめるみたいに優しくて、安心感が得られます。

 しつこいけど、続編が翻訳されないかなあ。アニセトとふたりの仲間が、この後、どうなったのか、読んでみたいなあ。

『泥棒の息子』20世紀民衆の世界文学5、今井洋子訳、三友社出版、一九八九

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