読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『自由の王 ―ローペ・デ・アギーレ』ミゲル・オテロ=シルバ

Lope de Aguirre, príncipe de la libertad(1979)Miguel Otero Silva

 シモン・ボリバル(1783-1830)は、ラテンアメリカの国々をスペインから解放した英雄です。彼の名前は、ボリビア、そしてベネズエラベネズエラ・ボリバル共和国)の国名になっています。
 そのボリバル独立運動の先駆者として評価したのが、大航海時代コンキスタドール(スペインの征服者)であるローペ・デ・アギーレ(1510-1561)です。

 しかし、El Loco(エルロコ:狂人)という渾名を持つアギーレは、一般に残虐非道の暴君として知られています。ジャーナリストでもあるミゲル・オテロ=シルバはそのイメージに疑問を抱きました。ボリバルが認めた男が、血に飢えた狂人のはずがない、と。
 そこで彼は数多くの文献を調べ、従来とは異なるアギーレ像を描いたのです。

 征服者としてはマイナーな存在であるアギーレ。にもかかわらず興味深いエピソードが満載で、僕のような無知蒙昧の徒が読んでも十分面白い。
 尤も、そうでなければ、余り縁のない日本で翻訳出版されるはずはないでしょうけど。

 兵士としてスペインから新大陸に渡ったアギーレ。クスコ(ペルー)にやってきた彼は、インディオとの戦闘、フランシスコ・ピサロ、ディエゴ・デ・アルマグロといった征服者たちによる裏切り、反乱、暗殺などに巻き込まれ、やがてエルドラドを目指す探検隊に加わります。
 その遠征中、アギーレは隊長を殺害し、さらにはスペイン国王フェリペ二世にも反旗を翻し、ペルーの独立を企てます。

 ペルーは、とにかく内乱に明け暮れた国です。
 名前を覚えるのが馬鹿馬鹿しくなるほど支配者が目まぐるしく変わり、それに合わせてアギーレも様々な戦闘に参加します。反乱軍側についていても運よく命を救われたり、罪を帳消しにしてもらうのと引き換えに軍隊に加わったりしながら、しぶとく生き残り、力をつけてゆく過程には興奮させられます。

 歴史的にみると、征服者たちが野蛮で強欲な文明の破壊者であることは論を俟ちません。けれど、フィクションのなかでは悪漢であるほど魅力的なのもまた確かです。
 敵味方、女や老人を問わず処刑しまくるアギーレは残忍な性格であることは否定できないものの、それ以上に、頭が切れ、一本筋が通った人物として描かれます。

 彼は、エルドラドを探す遠征に加わりつつ、そんなものが存在するはずがないと信じていました。馬鹿な夢をみて過酷なジャングルを彷徨うなんて下らない。そんなことをする暇があったら、一刻も早くペルーを征服した方がよいと考えたのです。
 だから、ペルー一の美女イネス・デ・アリィエンサにイカれて腑抜けになったベドロ・デ・ウルスーア総督を殺しました。しかし、総督は国王フェリペ二世の代行者でもあります。その人物の暗殺は、謀反行為にほかなりません。
 ほかの反乱者は、国王に対し自分たちの行為を正当化するような手紙を書こうとしますが、アギーレは堂々と自ら反逆者を名乗ります。そして、マラニョンと呼ぶ仲間とともにスペインからの独立を目指すのです。

 これが今までの反乱と大きく異なる点です。かつての征服者たちは、権力、金、女を得んがために前任者を亡き者にしてきましたが、アギーレはペルーの独立のために、母国スペインを敵に回しました。
 しかも、彼の軍勢は、襤褸をまとい、火縄銃を持った二百五十人の仲間。自分たちで作った船二隻……。僅かにそれだけです。
 だからこそ、オテロ=シルバは、アギーレを「自由の王」と名づけたのでしょう。

 とはいえ、王に成り上がってゆくために数多くの邪魔者を殺したアギーレは、自らも部下たちの裏切りによって戦に敗れ、志半ばで命を落とすことになります。
 内乱や処刑を繰り返してきた組織故、こうなることは十分予測できましたが、いかに警戒しようと宿命からは逃れられませんでした。
 国家を敵に回したアギーレの反乱は、彼が長生きしたところで成功は難しかったでしょう。しかし、彼の野望は、ボリバルを始めとするリベルタドーレス(解放者たち)に受け継がれたのです。

 なお、『自由の王』(写真)は歴史小説というよりもピカレスク小説のパロディみたいですが、叙法は一人称の自伝形式ではなく、三人称、二人称(おまえ)、一人称、科白とト書き、書簡、詩などが入り混じるという、かなりユニークなものです(アギーレが現代の読者に話しかけてきたりもする)。
 オテロ=シルバは、批判の多いアギーレのイメージを覆すに当たって、史実に忠実に、虚構がなるべく混じらないよう気をつけたのではないでしょうか(※)。
 しかし、それでは歴史の本を読むようなもので、読者が退屈してしまいます。そのため、文体を変え、飽きがこないよう工夫したのかも知れません。

 その甲斐あって、遥か昔の男たちの熱い生き様を十分に感じることができます。特にクライマックスのアギーレの死を戯曲で表現した箇所は、よい意味で芝居じみていて抜群の効果をあげています。
 日本人に馴染みのない人物といって敬遠せず、機会がありましたら一度読まれることをお勧めします。

※:オテロ=シルバは、アギーレを憎悪する歴史家や作家の罵詈雑言に塗れた文章を二頁半に亘って掲載し、批判している。

『自由の王 ―ローペ・デ・アギーレ』ラテンアメリカの文学4、牛島信明訳、集英社、一九八三

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