Ruby Martinson(1957-1967)Henry Slesar
ヘンリー・スレッサーは、テレビシリーズ『ヒッチコック劇場(アルフレッド・ヒッチコック・プレゼンツ、ザ・アルフレッド・ヒッチコック・アワー)』で最も多くの原作を提供した作家だそうです。そのせいか、邦訳されているのはほとんどがサスペンスやミステリーです。
実は、SFも書いているのですが、余り知られていません(※1)。その点は、ミステリーもSFも愛されているフレドリック・ブラウンと違いますね。
スレッサーは、いわゆる「奇妙な味」「異色作家」には分類されない、破綻のない真っ当な作風が特徴です。
スマートで切れがあり、ゾッとする結末が用意されているものの底意地の悪さは感じさせません。短編はどれを読んでも外れがなく、一定の面白さを保証してくれるのがスレッサーの凄いところです(どれか一編といわれたら「大佐の家」を推す。ホロリとさせる話かと思いきや、皮肉なオチが待っていて、さらにそれが笑いに変わる)。
阿刀田高は、ロアルド・ダールの『飛行士たちの話』の解説で、こんな風に書いています。
「ダールと味わいのよく似た、もう一人の異色短篇作家にヘンリイ・スレッサーがいるけれど、打率が高いという点で言えば、スレッサーのほうがダールより断然上なのではあるまいか。つまりスレッサーの作品は読んで失望させられることが少ない。まず七、八割がたは満足できる出来ばえだ」(ダールではなく、ジャック・リッチーと共通点が多いと思う)
一方、アイディアに特化した短編を得意としたこともあって、スレッサーには名の知れたシリーズ作品がありません。いえ、勿論、ルビイ・マーチンスンを除いては、です。
四十歳代以降の人にとっては和田誠監督、小泉今日子主演の映画『快盗ルビイ』の原作といった方がピンとくるでしょうか。映画では加藤留美という女性が快盗でしたが、原作のルビイは男です。可愛い女の子を期待して読むとがっかりするのでご注意ください。
また、表記は「怪盗」ではなく「快盗」なので、お間違いなく。
「快盗ルビイ・マーチンスン」は、約十年にわたって書き続けられた連作短編で、全十四編あります。ところが、シリーズを一冊にまとめたものは米国でも存在しないようです(ドイツ語版はあるみたい)。
日本では、一九六〇年にハヤカワ・ミステリから発行された『快盗ルビイ・マーチンスン』に十編が収録されました。残り四編は割愛したのではなく、訳本刊行時はまだ十編しか書かれていなかったため、載せようにも載せられなかったのです。その後、未収録の短編は「ルビイ・マーチンスン、ノミ屋になる」以外「ヒッチコックマガジン」に掲載されました。
文庫化の際、それらが追加されることはなく、すべてを書籍として読むことができるようになったのは四十七年後、論創社の『最期の言葉』に四編が収録されてからです(写真)(※2)。
ルビイ・マーチンスンは、悪魔的な頭脳と、冷酷な心を持つ大犯罪者。彼に目論めない犯罪などひとつもありません。
……が、実をいうとルビイは真の悪党ではありません。かといって、ジェラルド・カーシュのカームジンのようなほら吹きでも、エドワード・D・ホックのニック・ヴェルベットのような愛すべき泥棒でもなく、綿密な犯行計画を立て実行するものの、結局損をしてしまうタイプ。
何度失敗しても自信は揺るがず、大物気取りで次々に新たな作戦を持ち出してくるところがルビイの魅力のひとつです。
ルビイの犯罪を記録するのは、五歳年下の従弟「ぼく」。気が弱くて、鈍臭い十八歳の青年です。彼はルビイを崇拝していますが、小心者なので犯行の片棒を担がされるのを恐れています。
にもかかわらず、ルビイが計画を立てていないと自分の存在が惨めに感じられる……。それは、なぜなのか。
ふたりが暮らすのはニューヨークのダウンタウン。ルビイは計理士で、「ぼく」は職を転々としています。若く、貧しく、学歴も社会的地位も高くない彼らは、中心から外れたところで細々と生きる小市民です。
そんな青年らにとって、荒唐無稽な犯行計画は、窮屈な日常の向こうにある夢の世界なのです。無理だとは思うけれど、万にひとつの可能性で、冴えない人生から救い出してくれるかも知れない。そう考えるからこそ、ふたりとも真剣に馬鹿な事件を起こすわけです。
その彼らの健気な姿こそが「快盗ルビイ・マーチンスン」の愛すべき最大のポイントであるのは間違いありません。
勿論、ミステリーとしても、全編安定した質の高さを保っています。どういうわけか現在品切れですが、今も人気のあるユーモアミステリーのシリーズ(例えば、ジャック・リッチーの「カーデュラ探偵社」シリーズや、パーシヴァル・ワイルドの「ビル・パームリー」「ピーター・モーラン」シリーズなど)に引けを取りません。プレミアもついていませんから、古書店等でみつけたらぜひどうぞ。
というわけで、今回は十四編すべての感想を書きます。
緑色が『快盗ルビイ・マーチンスン』に、ピンク色が『最期の言葉』に収録されています。
「ルビイ・マーチンスン/初めての犯罪」The First Crime of Ruby Martinson(1957)
食料品店の主人の鞄をすり替える計画を立てるルビイ。そのためには自転車を借りたり、似た鞄や鞄を隠すコートを買ったりと出費がかさみます。そして、苦労して手に入れた鞄には……。
犯罪といえば犯罪ですが、誰にもバレないし、被害者には逆に感謝されるという微妙な感じになるところがルビイらしくて楽しいです。
「ルビイ・マーチンスン/詐欺師」Ruby Martinson, Confidence Man(1957)
宝石店から金を奪おうとするルビイ。手口自体はありふれていますが、心配はご無用。このシリーズの読みどころは、ルビイの計画がいかに失敗するかと、「ぼく」がどんなとばっちりを受けるかなのですから。
「ルビイ・マーチンスン/前科者」Ruby Martinson, Ex-Con(1958)
交通違反で一晩、留置場に入れられたルビイは、前科者になったことを悲観し、「ぼく」を連れて空き巣に入ります。ところが、「ぼく」は浴室に閉じ込められ出られなくなってしまいます。ルビイの知恵がそのピンチを救いますが、本来の目的はどこへいったんでしょうね。
「ルビイ・マーチンスン/恋の唄」The Love Song of Ruby Martinson(1958)
ルビイの恋人ドロシイにちょっかいを出す男を退治するため、玩具の拳銃で強盗の真似事をするルビイ。しかし、反対に殴られてしまいます。実をいうと、ルビイの意図は財布から金を盗むことではありませんでした。冴えない手口ですが、珍しく目論見どおりにことが進みます。
「ルビイ・マーチンスンの婚約」The Ordeal of Ruby Martinson(1958)
宝石店からダイヤの指輪を盗むことに成功したものの、「ぼく」の指に嵌ったそれが抜けなくなってしまいます。その結果……。
夢見がちなルビイと、現実的で堅実なドロシイはお似合いのカップルです。
「ルビイ・マーチンスン/猫泥棒」Ruby Martinson, Cat Burglar(1959)
ルビイは計理士の癖に、収支はいつもマイナスです。ところが、今回は赤字にならずに済みました。とはいうものの、黒字でもないんですが……。
「ルビイ・マーチンスンと野球小僧」Say It Isn’t So, Ruby Martinson(1959)
リトルリーグの天才投手と共謀した賭博は、思わぬ裏切りでピンチを迎えます。それでも慌てず動じず、新たな策を練ったルビイでしたが……。今回は「ぼく」が途中まで犯行にかかわらない点が、見事なオチに結びつきます。
「ルビイ・マーチンスン/銀行破り」Ruby Martinson’s Bank Job(1959)
ルビイは大銀行から現金を奪う計画を立てますが、実行させられるのは「ぼく」です。その結果、ルビイは四ドル六十五セント儲けたと喜びます。けれど、実は……。
「ルビイ・マーチンスン/歯医者を狙え!」Ruby Martinson’s Big Dentist Caper(1960)
ルビイの口車に乗って歯科医院に盗みに入り、歯科医にみつかってしまう「ぼく」。それがルビイの母親孝行につながるのですから不思議なものです。
「ルビイ・マーチンスン/毒のついた手紙」Ruby Martinson’s Poisoned Pen(1960)
ドロシイが男とキスをしていたのを目撃したルビイは、彼女宛に酷い手紙を書きます。その後、ドロシイの従姉妹と見間違えたと気づくものの、手紙は既に投函済み。それをみられたらふたりの仲はおしまいです。例によって「ぼく」が郵便配達夫から手紙を奪いにいかされますが、運悪く警官に捕まってしまいます。ルビイの嘘も、洒落の分かる人物がいると輝きを増すんですね。
「ルビイ・マーチンスンと大いなる棺桶犯罪計画」Ruby Martinson and the Great Coffin Caper(1961)
盗んだクーポンを安全に運ぶために霊柩車と棺桶を手に入れますが、それがとんでもない騒動につながります。勿論、最後に残ったのは大きな損害だけでした。
「ルビイ・マーチンスンの変装」The Mask of Ruby Martinson(1961)
ドロシイに贈る腕時計を手に入れるため、策を練るルビイ。今回の彼は変装に取り憑かれているようです。といっても、蝋でできた鼻は溶けるし、人違いはするし……。これなら何もしない方がマシですね。
「ルビイ・マーチンスンの大いなる毛皮泥棒」Ruby Martinson’s Great Fur Robbery(1962)
リサイクルショップで買った毛皮を、高級毛皮店に隠して持ち込み、盗んだと勘違いさせ、慰謝料を取ろうという作戦。勿論、上手くいきませんが、救いは「ぼく」が真面目に働くのをちっとも嫌がっていないことです。
「ルビイ・マーチンスン、ノミ屋になる」You Can Bet on Ruby Martinson(1968)
ノミ屋をやらされた「ぼく」は、初っ端から高額配当の払い戻しをさせられる羽目になります。血液や髪の毛を売ろうとしても上手くゆかず、死後、自分の死体を解剖に使用するという契約を医師と交わし、金を手に入れました。果たして、医師は悪魔なのでしょうか。それとも……。
※1:スレッサーのSFは『三分間の宇宙』や『ミニミニSF傑作展』に収められている。
※2:ミステリーシリーズの未訳や単行本未収録を拾ってくれる論創社。ランドル・ギャレットの「ダーシー卿」シリーズの短編をまとめてくれないかなあ。
『快盗ルビイ・マーチンスン』村上啓夫訳、ハヤカワ文庫、一九七八
『最期の言葉』森沢くみ子訳、論創社、二〇〇七