Incubus(1976)Ray Russell
レイ・ラッセルは、様々なジャンルの小説を書きましたが、特に評価が高いのはホラー小説です。
ただし、日本では短編集が二冊に、長編が一冊しか出版されていません。
不幸中の幸いというべきか、ニューゴシック三部作の「血の伯爵夫人」(Sanguinarius)、「サルドニクス」(Sardonicus)、「射手座」(Sagittarius)には日本語訳があります(※1)。
といっても、すべて読むためには
1 『血の伯爵夫人』
2 『嘲笑う男』
3 『モンスター伝説』または『新・幻想と怪奇』
という三冊を揃えなければなりません。なかでも『血の伯爵夫人』は古書価格が高いので、それなりの出費を覚悟する必要があります(洋書であれば『Unholy Trinity』に三作まとまっている)。
一方、唯一邦訳のある長編『インキュバス』(写真)は、ハヤカワ文庫の「モダンホラー・セレクション」から刊行されています。
これは一九八〇〜一九九〇年代に存在したシリーズで、普通のハヤカワ文庫とはカバーデザインが異なります。しかし、逆にいうと違いはそれくらいしかありません。
ラッセルといえば、上記三部作のせいで、ゴシックホラーが得意という印象がありますが、『インキュバス』はモダンなサイコホラーといった感じ。
彼は「プレイボーイ」の編集長(※2)をしていただけあって、センスのよさが目立ちます。オカルトを扱いつつ、僕のような門外漢にも分かりやすく書かれているのもポイントが高い。
カリフォルニアにある架空の町ガレン。ここで若い女性が次々に襲われる事件が起こっています。外傷はないものの、強姦されただけなのに死に至ったり、その後、自死を選んだりする女性たち。
その謎に挑むのは、かつてガレンの大学で教鞭を執っていた人類学者のジュリアン・トラスクです。彼は、神秘学を研究しており、その観点から犯人を捜し出そうとしますが……。
インキュバスとは、女性の夢に現れ性交をする男の悪魔のことです(男の夢に現れるのはサキュバス)。
トラスクは「インキュバスの血を受け継ぐ者が発情すると心と体に変化が起こり、繁殖のため美女を強姦する。そのとき、勃起した陰茎は腕の太さくらいになり、性交した女を引き裂いて殺してしまう。そのため、次の女を求めて殺人を繰り返す。それ以外のときは、ごく普通の人なので容易にはみつからない」と考えます。
その推理は間違っていないのですが、彼はあることに気づかなかったため、逆に傷口を広げ、最終的に被害者は九人まで増えてしまいます。
なお、その「あること」とは、かなり早い段階で、読者にきちんと提示されます。それ故、ミステリーとしてフェアといえます。
別に自慢ではないけれど、僕は犯人が誰なのか途中で分かりました。
そのため驚きは少なかったのですが、だからといって駄作というわけではありません。伏線を漏らさず回収すれば真犯人に辿り着くことを最上とする方にとっては、読者を吃驚させることだけを狙ったものより、余程高い評価が与えられるでしょう。
尤も「怪物」が登場するため、硬派なミステリーファンは無視したくなるかも知れません。しかし、寛容な気持ちになれば、ジャンルを超えた傑作と呼んでもおかしくない作品です。
「一々推理なんかしながら読まねーよ」という場合でも、サスペンスやホラーとして十分に楽しめます。
テンポもよく、構成も巧みで、とても四十年以上前に書かれたとは思えません。カナダで一度映画化されたそうですが、今後ハリウッドで新作として制作されても違和感は覚えないでしょう。
※1:「血の伯爵夫人」はバートリ・エルジェーベト、「射手座」は切り裂きジャック、ジキル博士とハイド氏、青髭ジル・ド・レを扱っている。
※2:ジョルジュ・ランジュランの「蝿」を「プレイボーイ」に掲載したのがラッセルである。それが話題となり、翌年映画化された(邦題は『ハエ男の恐怖』だが、日本未公開)。
『インキュバス』大伴墨人訳、ハヤカワ文庫、一九八七