Dreaming of Babylon: A Private Eye Novel 1942(1977)Richard Brautigan
妄想とか、夢想とかいうものは、まともな社会生活を営む上で余り必要のないものです。
僕もその気があって、嫌なことがあると、すぐ空想の世界に逃げ込んでしまいます。ま、何とか日常生活に支障がないようにしていますし、人に知られないようにもしています……けれど、それでは小説の主人公にはなれません。
フィクションにおいては、妄想癖、夢想癖がキャラクターの個性となったり、トラブルの元になったりしなくては話が始まらないからです。
リチャード・ブローティガンの『バビロンを夢見て ―私立探偵小説一九四二年』(写真)の主人公C・カードは、一九四二年のサン・フランシスコに住む私立探偵。一応、自分が原因で父親を失ってしまったという過去を持ち、ハードボイルドを気取っていますが、実際のところは、永久に兵役を免除される第四F種で、その上、夢想癖を持っているダメ人間です。
当然、仕事は滅多になく、拳銃の弾を買う金もない。
そんな彼に、久々の仕事が舞い込んでくるところから話が始まります。
探偵小説的な筋としては「ある売春婦が殺害され、死体がモルグに運ばれる。カードは、金持ちの美女に、その死体を盗み出すよう依頼される。けれど、その美女はギャングを雇い、カードから死体を取り返そうとする。それどころか、売春婦を殺したのは、その美女だった。はたして、彼女の目的は?」という感じなのですが、カードにとって現実は大して重要ではなく、暇さえあれば古代バビロンに逃避してしまいます。
しかも、夢想の中身はひどく馬鹿馬鹿しい。それは、ここに書くのも面倒なほど下らないんですね(現実の事件の方も、実は相当メチャクチャだけど)。
ですが、ダメな男の妄想を擁護したり、尤もらしく理屈をつけたりせず、徹底的に貶めている点こそが、この小説の魅力なのです。
何とも不思議なのですが、『虹をつかむ男』のウォルター・ミティとは別の意味で、共感できるし、憧れもする。きっと同じように感じる人は多いのではないでしょうか。
そういう意味で、C・カードは、ハードボイルド小説のヒーローのひとりとして、もっと評価されてもいいのになあと思います。
『バビロンを夢見て ―私立探偵小説一九四二年』藤本和子訳、新潮社、一九七八
→『ハンバーガー殺人事件』リチャード・ブローティガン