红高粱家族(1987)莫言
莫言の『赤い高粱』は「赤い高粱」「高粱の酒」「犬の道」「高粱の葬礼」「犬の皮」の5章からなる連作短編集(ボリューム的には連作中編集か)です。
ただし、入手しやすい岩波現代文庫版には最初の二章しか収録されておらず、すべて読みたければ徳間書店の「現代中国文学選集」を求めなければなりません(6巻に一、二章、12巻に三〜五章を収録。写真)。こんな中途半端な出版になったのは『紅いコーリャン』という映画が、一、二章を中心に作られたせいかも知れません。
いずれにしても、作者自身はこれを一応長編といっていますし、五つの章は連続したひとつの物語なので、どうせなら徳間版を手に入れた方がよいと思います(とはいえ、倩児や劉氏がどこへ消えたのか、国民党の捕虜になった後、鬼子との戦闘はどうなったのかなど、放り出されたままの伏線がいくつもあるため、五章まで読んでも物語は明確には閉じられない)。
実をいうと、徳間版を読んでいただきたい理由がもうひとつあって、それは、この作品がやたらと貶されていること。
まず、作者自身があとがきで「まったく出来が悪く、わたしはとても恥ずかしい」といえば、訳者は「莫言のこころみは成功しているとは言いがたい」「この作品のあちこちにあらわれるたわいもない『民俗精神』礼参、『原始』の世界賛美などにでくわすたびに、私の筆はとまってしまい、しばらくの間苦笑しているしかありませんでした」「莫言の底の浅さこそが(中略)ハンセン病者に対する思慮のない、粗暴な表現などにもつながっている」と書き、さらには同世代の作家である残雪の「原始的な民俗、神話の類いに粉飾を加え、いい加減にでっちあげ、生命そのものの衝動に見せかけたまがい物」というかなり辛辣な批判まで掲載する始末。
12巻はまだ解説といえますが、6巻の「訳者あとがき」は不満や愚痴しか書かれておらず、「そんなに嫌だったら、翻訳を引き受けなければよかったのに!」と突っ込みたくなるほどです。作者はともかくとして、訳者や解説者は嘘でも褒めるのが常識だと思っていた僕は、大変ショックを受けました(その後、発行された岩波版も同じ訳者だが、あとがきは差し替えられている!)。
とはいえ、彼らがいいたいこともよく分かります。莫言の小説は、いかにも中国人らしい図々しさ、太々しさ、無邪気さ、俗っぽさに溢れており、これを許せないと感じる人もいると思うからです。
『赤い高粱』は、高密県東北郷という架空の土地を舞台に、家族の三世代に亘る歴史を描いたものです。血と暴力とセックスに溢れた原初的な世界観は、南部ゴシックやラテンアメリカ文学の劣化コピーといわれても仕方ない面が確かにあります(以前取り上げた『失われた足跡』でも、ハンセン病患者の扱いはひどかったけど)。
頁をめくるたびに、残忍な刑罰や、理不尽な死が次々に現れますが、主要人物のひとりである余占鰲は、弱者であろうと、憎き鬼子であろうと、ためらいなく命を奪いますし、逆に自分の妻や愛人、娘、仲間たちは、それこそ虫のように簡単に殺されます。
それをもって冷酷だとか非情だとかいいたいわけではなく、彼らは物語を赤く染めるために登場させられただけで、鍋で丸ごと煮込まれる犬にも等しいのではないか、と思えてしまうところが残念なのです。そのせいで、赤い高粱が実る土地は、生の息吹が希薄な作りものめいた空間に成り下がってしまったのではないでしょうか。
こうした点は、以後の作品で多少マシになっているとはいえ、名もなき民衆、日本軍や傀儡軍、鉄道を敷設するドイツ人、あるいは共産党、国民党などの描き方は画一的ですし、図式も単純で、深みが感じられません。
尤も、作者自身そうした批判は十分承知しているようで、例えば『白檀の刑』(2001)のあとがきで「わたしのこの小説も、ヨーロッパ文芸の熱愛者、とりわけハイクラスな作品の読者からお褒めにあずかる可能性はあまりあるまい」と述べたりしていますが……。
何だか悪口ばかりになってしまいましたが、僕が感心するのは、やたらと欠点が目立つにもかかわらず、読むのをやめられないところです。莫言の紡ぐ物語は、とにかく力強く、異様な迫力があります。
例えば、十六歳で親に政略結婚させられた戴鳳蓮は、世慣れていない大人しい少女だったのに、結婚後数日で夫と舅が殺された途端、いきなり人が変わります。実の父親の顔に包子を投げつけ「二度とうちの敷居をまたぐな」と啖呵を切り、大きな酒造屋をひとりで切り盛りし始めます。その理由は勿論、そうなるまでの心境の変化や苦労など全く描かれず、物語は驀進してゆきます。
ほかにも、読者の方が照れてしまうようなベタな展開や描写が続きますが、余りに堂々としているので、そのうち麻痺してくるから不思議です。
莫言は、その後、章ごとに語り手を変えたり(『白檀の刑』)、次々と動物に転生させたり(『転生夢現』)と、技巧が目立つようになりますが、『赤い高粱』は、素材を生のまま調理している感じ(時系列は前後するけど、こんがらがるほどではない)。いわば、最初から最後まで豪速球を投げ続け、強引に押さえ込もうとするようなもので、それはそれで圧巻というほかありません。
これほどスケールが大きく胡散臭い物語を、大胆に書ける作家は、そう多くないでしょう。グロテスクなものが嫌いな人は全く受けつけないと思いますが、そうでなければ充実した読書を約束してくれるはずです。
追記:二〇一二年十月に莫言がノーベル文学賞を受賞したためか、二〇一三年三月、岩波現代文庫より『続 赤い高粱』が刊行されました。ここに三〜五章が収録されています。
『莫言 赤い高粱』現代中国文学選集6、井口晃訳、徳間書店、一九八九
『莫言 赤い高粱[続]』現代中国文学選集12、井口晃訳、徳間書店、一九九〇
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