読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ブレインストーム教授大あわて』ノーマン・ハンター

The Incredible Adventures of Professor Branestawm(1933)Norman Hunter

 ノーマン・ハンターは、一九二〇〜三〇年代に「ブレインストーム教授」シリーズなどの児童書で人気を博しました。また、マジシャンとしても活躍したそうです。
 ところが、その後、広告会社に勤め、再び小説を執筆するようになったのは退職後の一九七〇年代という変わり種です。
 そのため、十三作ある「ブレインストーム教授」シリーズの最初の二作は一九三〇年代に、残りの十一作は一九七〇年代以降に書かれました。二作目と三作目の間には、何と三十三年もの月日が流れたことになります(※1)。

 シリーズの邦訳は、ほかに『あわてんぼ博士の発明(Professor Branestawm's Treasure Hunt)』(一九三七)(※2)と『バグコンはかせのねずみとり(Professor Branestawm's Mouse War)』(一九八二)があります。
 ただし、ウィリアム・ヒース・ロビンソンが挿絵を描いたのは第一作の『ブレインストーム教授大あわて』のみ。それもあって、僕はこの本しか持っていません。
 作中、蝋人形が並ぶシーンで「この本のさし絵をかいている画家ヒース・ロビンソンはろう人形になっているかなとさがしていたのだが」なんて記述があるくらい売れっ子だったようなので、一冊しか描いてもらえなかったのかも知れませんね。

 ヒース・ロビンソンの描くブレインストーム教授は、エルジェの「タンタンの冒険」に出てくるビーカー教授によく似た容姿です(※3)。笑顔をみせないところや、おっちょこちょいな性格までそっくりです(耳は遠くない)。
 彼の発明した「どろぼう捕獲機」「魚とり機」「じゃがいもの皮むき機」「パンケーキ製造機」などヘンテコな機械(本文と無関係のものも多い)は一頁まるまる使った大きなイラストになっているので細部まで存分に楽しめます。

『ブレインストーム教授大あわて』は長編小説ではなく、章ごとに独立した短い話で構成されています。
 毎回、不思議な道具が出てくるところも含めて、『ドラえもん』の元祖といえなくもないかしらん。

 主な登場人物は、以下の三人です。
・途轍もない頭脳を持ちながら、研究以外のことはまるで駄目のブレインストーム教授。何と「読書用」「書きもの用」「外出用」「眼鏡ごしに人をみるとき用」「おきわすれた眼鏡の捜索用」という五つの眼鏡を同時に掛けています。相当な変わり者である彼の発明した様々な道具が騒動を巻き起こします。

・唯一の友人であるデッドショット大佐は、パチンコ騎兵隊の所属し、武器のパチンコを携帯しています。難しい話が苦手で、教授の話はほとんど理解できません。

・家政婦のフリッタースヌープ夫人は、家事のプロで、善良ですが、おしゃべりすぎるのと、しょっちゅう妹の家に泊まりにいってしまうのが玉に瑕。

 教授の発想は、とてもユニークで、それが読みどころになっています。
「ある場所に向かうのに速度を上げれば早く着く。どんどん速度を増せば、出発するより先に到着する」という理論で一種のタイムマシンを発明したり、図書館で借りた本をなくすと、別の図書館で同じ本を借りてきて最初の図書館に返す。次に最初の図書館で借り、ふたつめの図書館に返すことを繰り返し、本をなくしたことを隠そうとしたりします(本をなくしまくり、最終的に一冊の本が十四の図書館を回る)。

 周りの人たちは、そんな教授に迷惑をかけられっ放しなのですが、総じて呑気で人がよいため、怒ったりしません。それどころか、教授に輪をかけたとぼけぶりを発揮し、事態はさらにややこしくなったりします。それなのに八方丸く収まるところが児童書のよいところでしょうね。

 しかも、ハンターは細かいところまで気を配っています。
 例えば、教授はしょっちゅう家を壊滅させるのですが、普通ならいつの間にか直っていたりします。けれど「大佐には気まぐれな伯母から相続した遺産があったので余り堪えなかった」とか「教授はガス会社の偉い人に込み入った計算を教えたことがあったので、上手く話がついた」とか「家主はクロスワードパズルの懸賞で大金が当たったので機嫌がよかった」なんてわざわざ説明してくれます。
 子どもって、案外こういうところが気になったりするので、児童書といって侮らず、疑問を残さず丁寧に説明するのはとても大切です。

 ところで、この本には子どもがほとんど登場しません。唯一、固有名詞を持つのはフリッタースヌープ夫人の妹の娘コニーですが、僅か数頁で役目を終えます。そして、ハチャメチャな大人たちと対象的に、コニーは極めてまともな子どもです。
 賢い少女を登場させ、両者を対比させる意図は、馬鹿な大人たちを笑い飛ばすことにあるのでしょうか。
 いや、そうではなく、「きみの周りの大人は暗く浮かない顔をしているけれど、大きくなっても子ども心を忘れなければ、ブレインストーム教授たちのように愉快にすごせるんだよ」ということを訴えたかったのだと僕は思います。
 不況や戦争による暗い時代だからこそ、子どもたちには明るい未来をみせてあげたい。これを小説の役割といわずして何というのでしょうか。

※1:P・G・ウッドハウスの「ユークリッジ」シリーズは、『ヒヨコ天国』と最初の短編との間が十八年空いた。シリーズが書かれた期間は「ブレインストーム教授」が五十年、「ユークリッジ」が六十年。いずれも気が遠くなるほど長い……。

※2:偕成社の「世界のこどもエスエフ」の一冊で、今やコレクターズアイテムとなっている。僕は所持していないので分からないが、全訳ではなく五編を抜粋したもののようだ。

※3:ビーカー教授のモデルは、オーギュスト・ピカールといわれている。ちなみに、先に描かれたのはブレインストーム教授の方。


『ブレインストーム教授大あわて』吉田映子訳、大日本図書、一九八九

→『わが庭に幸いあれ』W・ヒース・ロビンソン