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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ユーラリア国騒動記』A・A・ミルン

スコットランド

Once on a Time(1917)Alan Alexander Milne

 アラン・アレクサンダー・ミルン(※1)といえば、何といっても『くまのプーさん』(一九二六)が有名ですが、『赤い館の秘密』(一九二二)といったミステリーや、P・G・ウッドハウスが「英語で書かれた最高の喜劇」と絶賛した『The Dover Road』などの著作があります(※2)。
 呑気な百エーカーの森の住民はいわずもがな、『赤い館の秘密』にしても今日では本格推理小説というよりユーモアミステリーの古典(※3)として読まれていることから分かるとおり、ミルンの特徴はのほほんとしたおかしみにあります。

 それがよく表れているのがミルンの処女長編である『ユーラリア国騒動記』です。ミルンは、殺人だけでなく、戦争もユーモアに包んでしまったのです。

 ユーラリアのメリウイッグ王は、詰まらないことでバローディアの王と喧嘩をし、その結果、両国は戦争になってしまいます。
 男どもが全員出征してしまったユーラリアで、好き放題しようとするベルベイン伯爵夫人に対抗するため、ヒヤシンス王女はアラビイ国のユードー王子を呼び寄せたものの、伯爵夫人によって兎とライオンと羊の間の子のような姿にさせられてしまいます。
 王子は、ウィッグズという少女の魔法の指輪でなんとか元の姿に戻ることができましたが、その後、何と彼は伯爵夫人の味方になってしまいます。孤立無援となった王女は、森で運命の男性と出会います。
 一方、終戦後、城に戻ったメリウイッグ王は、愛する伯爵夫人がユードー王子と結婚することを知り、落ち込んでしまいます。

 お伽噺というのは実はなかなか残酷で、主人公は様々な苦難に見舞われます。ところが、この物語は終始のんびりとしていて、緊迫感はまるでありません。
 例えば、王子が姿を変えられるのは野獣でも蛙でもなく、どことなくユーモラスなキメラです。元の姿に戻った後は、王女と結ばれるのが普通ですが、そうは問屋が卸しません。王女には「顔はうっとうしいし態度は大きすぎます。それに、いずれはぶくぶくと太るタイプでしょう」なんて思われてしまうのです。

 また、悪役の伯爵夫人でさえも、とぼけたキャラクターになっています。伯爵夫人は王女を騙して沢山の金貨を手にするものの、それらは全部国民にバラまいてしまいます。
 そもそも悪事といっても、王子を動物の姿に変えたほかは、架空の軍隊を作り出して軍事費をちょろまかしたり、文学賞を創設して審査員に収まると、その賞に自らペンネームで応募して賞金を得たりといったセコいことばかり。彼女が王や王子に好かれるのは美人であることに加えて、そうした憎めない可愛らしさをも備えているせいではないでしょうか。

 ユーラリアとバローディアの戦争にしても、当然ながら人が死んだりはせず、考え出される作戦といえば、バローディア国王の自慢の髭を剃ってしまうことだったりします(しかも、真夜中に敵の城にこっそり忍び込むのはユーラリアのメリウイッグ王自身!)。
 その王が、王女の結婚相手に課す試練だって超簡単なのに、真剣な顔で交渉するのが笑えます。

 ミルンが意識したのは、恐らくルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』だったのでしょう。ナンセンスなやり取りや言葉遊びなど、アリスの影響がちらちらとみえ隠れしています。また、そのことは、作中で「ウィッグズのイメージはアリス」だと述べられていることからも推測できます。

 この小説は、第一次世界大戦中に、軍隊内で行なわれたささやかな劇の脚本として、奥さんが口述筆記したものが元になっているそうです。童話の体裁を取っていますが子ども向けというより、兵士やその家族を対象に書かれたわけですから、過酷な現実を忘れるほど馬鹿馬鹿しいものにする必要があったのでしょう。
 また、戦時における男女の役割や、戦地から帰還した後のすれ違いなどをユーモラスに描いたのも、夫婦で軍隊にかかわっていたミルンならではだと思います。
 とはいえ、『ユーラリア国騒動記』は、軍の関係者の共感しか得られないなんて幅の狭い作品ではありません。

 ウィッグズが途中から全く登場しなくなり、誰が主役かはっきりしなくなるという散漫さはみられるものの、ユーモアの質は高く、登場人物もそれぞれ魅力たっぷりです。何より、誰ひとり死なないし傷つかない優しさが嬉しいではありませんか。
 大人向けの童話だからといって、刺激や残酷さが必要だとは限りません。こののんびりした世界においても、出征中に愛する人を奪われてしまう悲しみや、戦争の馬鹿馬鹿しさは十分表現できるのです。
くまのプーさん』を愛読している方なら、間違いなく好きになれる作品だと思います。

※1:『赤い館の秘密』の解説で、中島河太郎が「スコットランド人としてあるのが多いが、出身地はアイルランドである」と書いているが、父親のジョン・ヴァイン(ヴィンス?)・ミルンはスコットランド人なので、一応スコットランドとしておく。

※2:同学年のミルンとウッドハウスは、第二次大戦においてウッドハウスがドイツのラジオ番組に出演した事件以後、犬猿の仲となった。ウッドハウスは、最も猛烈な批判をしたのが友人のミルンだったことに心を痛め、彼を恨んだが、作品に対する評価は変わらなかったという。

※3:『赤い館の秘密』の最大の魅力は、容疑者がたったひとりしかいないことにあると思う。館には滞在客も使用人も沢山いるのに、作者も探偵も彼らを完全に無視し、最初から最後までひとりの人物に焦点を絞り追い詰めてゆく。それでいて推理小説としてなかなか読ませるのだから恐れ入る。倒叙もの以外の長編では、非常に珍しいんじゃないかしらん。
 ちなみに探偵役のアントニー・ギリンガムを参考に金田一耕助が生まれたそうである。


『ユーラリア国騒動記』田沢梨枝子訳、ハヤカワ文庫、一九八〇