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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『呪われた愛』ロサリオ・フェレ

プエルトリコ

Maldito Amor(1986)Rosario Ferré

 プエルトリコは、カリブ海に浮かぶ小さな島(山形県とか鹿児島県くらいの大きさ)。Commonwealthと呼ばれるアメリカの自治領になっていて、公用語は英語とスペイン語です(※1)。
 そのため、ロサリオ・フェレは英語でも小説を書きます。この短編集の英語版も『Sweet Diamond Dust』(※2)というタイトルで、一九八九年に発行されました。

 先に英語版が出る場合もありますが、それは主にマーケットの問題らしい。プエルトリコは人口が少ないため、米国の市場を意識しない限り、出版は覚束ないのでしょう。実際、何年か前の住民投票では、アメリカ五十一番目の州になることを望む者が過半数を占めたそうです(独立を希望する者は一割にも満たなかった)。

 フェレも前書きで書いていますが、アイデンティティの確立が難しい点がプエルトリコ人の悩みです。米国の一部なのか、独立した国家なのか、単なる軍事基地なのか、はたまた南米なのか、北米なのか、立ち位置がはっきりしません……。
 そして、それは、そのまま『呪われた愛』のテーマとなります。

『呪われた愛』には、表題作のほかに三つの短編が収められています。
 それらは、作中の年代こそ約一世紀の幅があるものの、いずれもプエルトリコの郷土小説であり、極めて緩いつながりもあります(ほかの短篇の登場人物が噂話などに出てくる。グアマニのデ・ラ・バジェ家は、ヨクナパトーファのサートリス家みたいなもんか)。

呪われた愛」Maldito Amor
 米西戦争後、スペインから米国の統治に変わったことによって没落してゆく豪農を描いた作品です。
 奴隷を使ってサトウキビ農家を営み、利益を得ていた者たちは、新しい支配主であるグリンゴ(アメリカ人)や、彼らが持ち込んだ最先端の製糖機械によって厳しい状況に追いやられてしまいます。例えば、米国の銀行は、米国資本の農園には融資をしても、地元の農家には融資をしません。それによって、経営が圧迫され、先祖代々の土地を奪われる者も出てきたのです。
 主役であるデ・ラ・バジェ家も、政治の波に翻弄され、一旦は沈みかけますが、古いスペインの法律を利用して、見事に土地を奪還します。しかし、それも束の間。やがて、デ・ラ・バジェ家は崩壊するのです。

 上記は弁護士兼作家が綴る表の歴史ですが、この小説の大きな特徴は、その合間に、女中や孫などによる噂話、虚偽、告発、愚痴といった雑多な声が入り込むことです。それらは一族の汚辱であり、表に出てはいけない闇の物語たちです。が、それ故、抜群に面白い。
 ただし、大袈裟で饒舌な複数の語りから浮かび上がってくるのは、真実の姿などではありません。証言をいくら増やそうと虚はどこまでいっても虚のままであり、いや、寧ろ混沌の度合いは深まってゆきます。
 そして、読後には決して心地よくない奇妙な酩酊感が残るのです。

 もうひとつ、感心するのは、凄まじい濃縮度です。日本語にしてわずか八十頁ほどで、数世代にも亘る家族の歴史を描いてしまうのですから恐れ入ります(※3)。
 七倍に増量すればイサベル・アジェンデの『精霊たちの家』に匹敵し、二十倍に薄めればコニー・ウィリスが書いた小説だと思われることでしょう。
「物語に酔いたいとき、南米の小説は最適な友だけど、『世界終末戦争』や『2666』を読む時間はない」なんて場合は、この本をぜひ手に取ってみてください。

贈り物」El regalo
 大地主の娘メルセディタスと、ムラータ(混血娘)のカルロタは、出自も性格も異なりますが、名門女学院サグラド・コラソン(聖なる心)で親友になりました。しかし、カルロタはカーニバルの女王に選ばれたことで、修道女に目をつけられ放校になってしまいます。

 人種差別の問題は、プエルトリコでも大きな影を落としています。レイシストの修道女に比べ、少女ふたりの友情は何と清らかで美しいのでしょうか。マンゴーの如く腐り果て悪臭を放つ前に、学校を飛び出して正解だと思います。

鏡のなかのイソルダ」Isolda en el espejo
 製鉄王ドン・アウグスト・アルスアガは、米国資本とも良好な関係を築き、政治的実権をも握っているサンタクルスの帝王です。しかし、石油価格の高騰によって帝国の崩壊が近づいていました。ドン・アウグストは、ヨーロッパへ去っていった息子の恋人アドリアナに心奪われます。
 なぜなら、アドリアナは、絵画に描かれた女性イソルダとよく似ていたからです。貧しさから救い出してくれた彼に感謝するため、アドリアナは結婚披露宴でささやかな贈りものを用意しますが、それがとんでもない悲劇を生んでしまいます。

 本の最初から順番に読んできた読者は、ここで大いにずっこけるでしょう。フェレは短編にオチを用意する作家のようですが、これは完全なブラックユーモアですね。ずっと深刻な顔を貫いてきただけに、より効果的な落としだと思います。

カンデラリオ隊長の奇妙な死」La extraña muerte del capitancito Candelario
 執筆時より、少しだけ未来の物語です。プエルトリコの独立が、米国の議会で勝手に決定されてしまい、人々は大いに混乱します。カンデラリオ・デ・ラ・バジェ隊長は、サルサ・グループを取り締まることになりますが、そこへ謎の女が現れます。

 サルサ・グループとロック・グループは、勿論、独立派と州昇格派を表しています。結末は、タイトルから明らかなので他の短編のような驚きはありませんが、カンデラリオの死ぬ間際の科白「(好きな音楽は)サルサでもロックでもないさ。僕が好きなのはクラシックだ」が、選択肢がふたつだけでないプエルトリコの複雑な事情を示していて、しみじみ考えさせられます。
 なお、カンデラリオもデ・ラ・バジェ一族であり、『呪われた愛』のその後が少しだけ描かれています。

※1:プエルトリコとは「豊かな港」(Puerto:港、Rico:豊かな)という意味。ちなみにコスタリカは「豊かな海岸」(Costa:海岸、Rica:豊かな)である。

※2:『呪われた愛』とはフアン・モレル・カンポスの舞踏曲で、「ダイヤモンドダスト」とは砂糖の商品名である。

※3:ちなみに深沢七郎の『笛吹川』は、文庫本約二百三十頁で六世代を描いている。


『呪われた愛』松本楚子訳、現代企画室、二〇〇四