読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『エバ・ペロンの帰還』V・S・ナイポール

The Return of Eva Perón and the Killings in Trinidad(1980)V. S. Naipaul

 V・S・ナイポールは、トリニダード島生まれのインド系作家です。現在はイギリスに住み、二〇〇一年にはノーベル文学賞を受賞しました。
 ユーモラスな小説でデビューしたナイポールでしたが、長期のインド訪問後にノンフィクションや紀行を次々と発表するようになりました。自らのルーツであるインドを中心としたポストコロニアル批評が多く、舞台こそ違えど、本書もその流れのなかに位置するといえます。

エバ・ペロンの帰還』(写真)には、表題作のほかに「マイケルXとブラック・パワー ―トリニダードの殺戮」「コンゴの〈新国王〉 ―モブツとアフリカ的ニヒリズム」「コンラッドの闇」の三編が収められています。
 いずれも一九七二〜七五年にかけて、雑誌に掲載されたルポルタージュです。短い分だけ深く掘り下げられていませんけれど、続けて読むと共通のテーマがみえてきます(最後の一編以外)。
 彼が描いたのは、人々に大きな影響を与えた独裁者、さらにいうと未熟な植民地社会が生んだ怪物です。

マイケルXとブラック・パワー ―トリニダードの殺戮」Michael X and the Black Power Killings in Trinidad
 マイケルXことマイケル・アブドゥル・マリクは、トリニダード出身の黒人活動家。
 一九七二年、彼のコミューンが放火され、捜査に入った警察がふたりの死体をみつけたことから、殺人罪に問われ、死刑になりました。

 マリクは、ブラックパワーをダシにした似非指導者、いえ、正確にいうと黒人ですらありませんでした(白人とのハーフで、ナイポールは「赤い肌」と書く)。マイケルXと名乗り、イスラムに改宗したのも単なるポーズです。
 英国で有名になり、ジョン・レノンやサミー・ディヴィズ・ジュニアなどとも交流があったマリクですが、カルトの指導者で、殺人鬼として有名なジム・ジョーンズやチャールズ・マンソンに比べると知名度は低い。
 尤もその理由は、殺人が発覚したのが早かったからだと思います。火事が元で集団リンチ殺人が発覚しましたが、そうでなければ犠牲者はもっと増えていたのではないでしょうか。

 しかし、ナイポールが問題とするのは、マリク個人のことではありません。彼が黒人解放思想を身にまとったことが大きな間違いだったというのです。それは勿論、マリクだけではなく、トリニダードのブラックパワー運動全般への批判となります。
 米国でのブラックパワーは少数派の抗議でしたが、黒人が人口の大半を占め、黒人指導者が政権を握っているトリニダードやジャマイカにおいては全く別のものにならざるを得ません。
 ナイポールにしてみると、同じくらいの人口を持つインド系住民を無視した人種的救済など馬鹿馬鹿しくて話にならないと思っていたのではないでしょうか。

エバ・ペロンの帰還」The Return of Eva Perón
 かつてアルゼンチンは非常に豊かな国でした。しかし、内実は一部の地主と軍部が富を独占していたに過ぎませんでした。それを改革しようとしたのが、フアン・ペロン大統領と妻のエビータです(それについては『サンタ・エビータ』で記載した)。
 しかし、ペロンにはひっくり返した社会を再構成する力がなかった、とナイポールは書きます。それが、その後の政治的・経済的混乱を生むことになったわけです。

 アルゼンチンの隣国ウルグアイには、ペロンのモデルともいうべきホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス大統領がいました。彼も牧歌的な国を改革しようとして、経済の停滞と軍事政権の台頭を招きました。
 アルゼンチンもウルグアイも、豊かな土地に寄生した移民たちが、独自の文化や伝統を持たないにもかかわらず、急激な近代化を目指した結果、混沌を招きました。ペロンやエビータ、バッジェはその象徴なのかも知れません。

 さらに興味深いのは、エビータ同様、神格化されたホルヘ・ルイス・ボルヘスです。ボルヘスといえば博覧強記、異常な記憶力の持ち主、幻想文学の巨人などといわれることが多いのですが、ナイポールはそんな彼の無責任で無邪気なエピソードを紹介しつつ、批判しています。
 武人であった祖先を英雄視し、ヨーロッパの富と文化を移植した歴史を讃えたボルヘスは、自ら作り出した神話的なアルゼンチンに生きていたのでしょうか。

コンゴの〈新国王〉 ―モブツとアフリカ的ニヒリズム」A New King for the Congo: Mobutu and the Nihilism of Africa
 国名・通貨名、川の名前をザイールに変更した大統領モブツ・セセ・セコ・クク・ンベンドゥ・ワ・ザ・バンガ(現在はコンゴ民主共和国に戻っている)。
 ザイールの民衆に必要なものは大統領ではなく、アフリカ的な王さまであるとし、自らそれを演じました。国家を単純化し、起こりもしない繁栄の未来をみせることで、国民を操ったのです。
 それにしても、政権が三十年以上もの長期に亘ることになるとは、ナイポールもこの時点(一九七五年)では想像していなかったのではないでしょうか。

コンラッドの闇」Conrad's Darkness
 タイトルは、ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』(Heart of Darkness)をもじっていますが、コンラッドの様々な長短編について語っています。
 多様な作品を書いたコンラッドが、あらゆるところで自分の先回りをしていたと感じる箇所は、よく理解できます。すべての芸術家は、先人によって掘り返された大地に立って途方に暮れるところから出発しなければならないと思います。そう感じないアーティストは、多分大したことは成し遂げられないでしょう。

 なお、コンラッド植民地主義を批判しきれていないという人もいますが、個人的にはそんなこと狙っていないと思いますし、ナイポールも言及していません。

エバ・ペロンの帰還』工藤昭雄訳、TBSブリタニカ、一九八二

「エビータ」関連
→『サンタ・エビータ』トマス・エロイ・マルティネス

Amazonで『エバ・ペロンの帰還』の価格をチェックする。