読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『魚が出てきた日』ケイ・シセリス

The Day the Fish Came Out(1967)Καίη Τσιτσέλη

『魚が出てきた日』(写真)は、『その男ゾルバ』などで知られるギリシャの映画監督マイケル・カコヤニスが脚本・監督した作品で、本書はそれをケイ・シセリスがノベライズしたものです。

 シセリスは両親がギリシャ人ですが、フランスで生まれました。その後、母国の知識を身につけるためギリシャの学校にいかされたそうです。
 ただし、シセリスの小説はすべて英語で執筆されています。

『魚が出てきた日』は、一九六六年に起こったパロマレス米軍機墜落事故に影響されて作られました。
 これは、スペインのパロマレスで四発の水爆を積んだ米軍の爆撃機が空中給油機と衝突し、水爆三発が地上に、一発が海中に落下した事件です。地上に落ちた三発のうち二発からウランとプルトニウムが飛散し、現在も残っているそうです。海中のものは八十日後にサルベージされました。

 この事件は、大惨事には至らなかった(あるいは、米国によって揉み消されて真実が有耶無耶にされた)のですが、『魚が出てきた日』の方はというと……。

 エーゲ海に浮かぶカロス島は、観光客も訪れず、過疎化が進む小さな島です。ある日、水爆を積んだNATOの軍用機が墜落し、爆弾二個と放射性物質の入ったケース一個が島や海中に落ちます。
 ふたりのパイロット、トムとロディは落ちた爆弾を探したくとも服を捨てて半裸になったため人前に出られません。一方、知らせを受けたアメリカ軍は観光業者の団体を装い、船でカロス島に上陸します。しかし、島を売り込みたい村長の指示で通訳が一団に張りついてしまいます。
 やがて、何とか二個の爆弾を発見した軍でしたが、金属ケースだけはどうしてもみつかりません。そのケースは、宝物だと勘違いした山羊飼いの夫婦が隠していたのです。

 核に翻弄される小さな島を描いたブラックユーモアです。
 これより数年前に公開された映画『博士の異常な愛情』や『未知への飛行』と異なるのは、迷惑を被った小国の側から東西冷戦や、核兵器保有することの身勝手さを批判していることです。同時に、貧しい国の物質主義を嘆いているようにも読めます。
 ギリシャが舞台になっていますが、冷戦下にあってヨーロッパの国々は軒並み小国化してしまったので、それらの国の人にとっては他人事とは思えない物語だったのではないでしょうか。

 とはいえ、それを深刻なタッチで描くのではなく、スラップスティックとして表現しているのがこの作品のよいところです。
 アメリカは、ギリシャの島民の安全なんかどうでもよく、とにかくバレないうちに放射性物質を回収することしか考えていません。
 そのため、ホテルを建てると嘘をつき、土地を買い占めて金属ケースを探します。

 他方、島民は観光客が増えることによって、寂れた島がようやく活気づくと大喜びします。
 村長、歯科医、英国出身の夫人、漁師の息子、山羊飼いの夫婦といった島民に、裸のパイロット、ありきたりの観光地に飽きた旅行者、考古学者と美人の助手、アラブ人一家などが絡み、ドタバタが加速します。

 海外の読者にとっては、これだけでも十分楽しめると思います。
 しかし、我々日本人はこうした小説を書かせたら、世界一上手い作家を知ってしまっています。
 そう、もし筒井康隆が『魚が出てきた日』を自由に小説化していたら、恐らく今の百倍は面白くなっていたでしょう。

 ちなみに、一九六八年に刊行された集英社版の『魚が出てきた日』には筒井の解説が掲載されているらしいのですが、残念ながら僕は角川文庫版しか持っていないので内容を確認できません(角川文庫版の解説は光瀬龍)。
 翌年、「週刊プレイボーイ」で『霊長類南へ』の連載を開始したのは、『魚が出てきた日』に影響されたのか、全く関係がないのかは分かりませんけれど、読み比べてみるのも一興でしょう。

 なお、タイトルでネタバレしていますが、結末はショッキングかつ幻想的で美しい光景が広がります。
 ネヴィル・シュートの『渚にて』に負けないラストシーンだと個人的には思います。

『魚が出てきた日』一ノ瀬直二訳、角川文庫、一九七一

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