読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『マゾヒストたち』ローラン・トポール

Les Masochistes(1960)Roland Topor

 ローラン・トポールといえば、一般的にはイラストレーターとして知られていると思いますが、我が国における単独の書籍はほとんどが小説で、唯一の画集が『マゾヒストたち』(写真)です。
 これはトポールの処女作品集である『Les Masochistes』と、それだけではページ数が少なすぎるため傑作選を加えたものです。澁澤龍彦が編集をし、堀内誠一が装幀をしています。
 ちなみに、その前年に刊行された『ブラック・ユーモア傑作漫画集』とはダブりが一枚もありません。

『マゾヒストたち』は、その名の通りマゾヒズムに取り憑かれ、奇抜な方法で自らを痛みつける人々を描いた作品集で、トポールのなかでは非常に理解しやすいのが特徴です。
 トポールのイラストは奇妙な人物を描いたものがほとんどですが、彼らは生まれつきおかしいのか、誰かに何かをされたのか、自分で何かをしたのか、判断がつきません。しかし、『マゾヒストたち』は積極的に己を傷つけていることが一目で分かります。

マゾヒズム」の正確な定義も、そうした性的嗜好も備えていないので偉そうなことはいえませんが、他人に苦痛を与えられるより、自分で自分を虐待する方が純粋という気はします。相手がサディストでなければ、一方にとっては苦役でしかないからです。
 尤も、嫌々やられる方が気持ちいいといったように、色々なタイプがいるのかも知れませんが、少なくとも『マゾヒストたち』には他人に虐められている絵は一枚もなく、すべてが自己完結しています。
 つまり、この本に登場する人々は、全員が被害者であり、加害者でもあるといえます。さらには、拷問の仕方に凝るという共通点を有しています。

 澁澤の「あとがき」によると、彼は家に遊びにきた友人・知人にこの本をみせ、「最も耐えがたいイメージはどれか」と尋ねるそうです。そして、それは被験者の潜在意識やコンプレックスを解明する役に立つかも知れない、とあります。
 それほど単純ではないでしょうが、人によって響く絵と、全くピンとこない絵があるとは思います。

 僕が最も気になった絵は、次のようなシチュエーションでした。
 三つの吊り輪がぶら下がっていて、口髭を生やしたスキンヘッドの男が左右の輪を握り、体を浮かしています。真んなかの吊り輪は、彼の首にかかっていて、力尽きると首吊りになるという仕組みです。
 セルフ拷問や自殺の仕掛けとしては目新しくはありません。けれど、トポールの凄さは男の表情にあります。快楽も恐怖も表現されておらず、これ以上ないというくらいの無表情なのです。

 それはこの絵に限らず、トポールのほぼすべてのイラストに当て嵌まることです。不気味も黒い笑いも突き抜けた彼ならではの世界ですが、僕はそれらを鑑賞して、何を感じればよいのか途方に暮れてしまいます。
 トポールの絵に初めて触れてから何十年も経つものの、いまだにどう解釈すべきか、そもそもこんな絵をなぜ描いたのか、理解できません。
 それでも妙に癖になり、ときどき取り出して眺めています。理屈は分からないけれど、それが優れた芸術作品の力といわれれば、素直に納得してしまいます。

 文字の一切ない画集なので原書を入手してもよいのですが、日本版の『マゾヒストたち』は判型も小さく、洒落た(不気味な?)装幀です。また、「薔薇十字社」が存在した時代に思いを馳せれば、心が少し豊かになるでしょう。

『マゾヒストたち』薔薇十字社、一九七二

→『リュシエンヌに薔薇をローラン・トポール
→『ブラック・ユーモア傑作漫画集ローラン・トポール、ロナルド・サールほか

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