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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』メイ・サートン

Mrs. Stevens Hears the Mermaids Singing(1965)May Sarton

 メイ・サートンといえば、おばあさんになってからの日記やエッセイがよく知られていますが、勿論、若い頃から詩や小説を沢山書いています(日本人でいうと、森茉莉みたいな感じか。『甘い蜜の部屋』より『贅沢貧乏』や『ドッキリチャンネル』の方が読まれている?)。

 なかでも『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』は、フィクションでありながら、作中でレズビアンであることを告白した格好となり、それによって職をなくしたり、出版が差し止めになったという意味で、作者にとっても重要な作品ではないでしょうか。
 リタ・メイ・ブラウンの『女になりたい(Rubyfruit Jungle)』(一九七三)が商業的に成功したのと比べると「何て不遇なんだ」と思われるかも知れません。
 社会に受け入れられなかったのは、少しだけ時代が早すぎたこともあるでしょう(※)。しかし、原因はそれだけではないような気がします(それについては、後で述べる)。

 老年になって人気が出た作家であるヒラリー・スティーヴンズは、ニューイングランドの海辺でひとり静かに暮らしています。
 あるとき、ニューヨークから記者がふたりインタビューにやってきます。ヒラリーは、彼らと対話しながら、過去を振り返ってゆきます。少女の頃、女性の家庭教師を好きになったこと、夫を事故で亡くした後、病院で過ごした日々、好きになった女性に受け入れてもらえなかったことなどなど……。

 主人公のヒラリーは七十歳の女流作家で、加えてサートン自身、老年期の日記で有名となったため勘違いされやすいのですが、この作品を書いたとき、サートンはまだ五十代前半でした。
 その後、サートンはヒラリーとよく似た道を歩むことになります(サートンは未婚だったが)。
 未来の自分を正確に予想したのか、そうなるように生きたのか分かりません。いずれにしても、自らの人生を冷静にみつめ直すことができる人だったのでしょう。

 本作からは「老年」「孤独」「創作」「同性愛」といったテーマがみえてきます。

 まず、「老いと孤独」についてですが、歳を取って、人里離れた場所に、猫以外の家族もなく暮らすという状況は、普通の女性の幸せからはほど遠いと思われます。
 実際、行間からほんのちょっとの後悔が滲み出ています。自己憐憫はみられないので、読むのが苦痛になるほどではありませんが……。
 その代わり、ヒラリーには、多くの者が望んでも得られない名声があります。ミューズに選ばれたという自負もあります。彼女が気力を奮い立たせているのは、それらのお陰に相違ありません。

 けれど、ヒラリーは、夫を愛し、子を産み、育てるという女性の喜びを捨て、文学に全てを捧げた人生を本当に望んだのでしょうか。
 もっというと、それらを犠牲にしなければ、ミューズに仕えることはできなかったのでしょうか。

 その答えも、きちんと用意されています。というのも、この小説では、詩作についての方法論や信念が惜しみなく語られているからです。
 ヒラリーの口を借りていますが、この部分に関しては、ほぼサートン自身の声と考えてよいのではないでしょうか。

 詩を書くきっかけ、題材の選び方と掘り下げ方、文体、感受性と客観性、読者と批評家などについて、若い記者のインタビューに答える形で、少しずつ、しかし、多くの枚数を費やして語られます。いや、この小説は、全編が詩作について述べられているといっても過言ではありません。

 結論からいうと、家事や育児と芸術は両立しないし、夫や子どものいる家庭は創造の源泉となり得ません。
 ヒラリー(サートン)にとってミューズは飽くまで女性(同性の恋人)なのです。

 それは、同性愛者であることの告白以上に衝撃的です。
 作中では、レズビアンの社会的受容を声高に主張したり、激しく噛みついたりしません。クィアセクシュアルマイノリティといった言葉は使用されていませんし、露骨な性的表現も皆無です。
 つまり、この本が問題視されたのは、同性愛云々ではなく、女性作家にとって、男は何の役にも立たないことを明らかにしてしまったからではないでしょうか。

 当然、面白くないと感じる人もいるでしょうし、大いに反論もあると思います。けれど、僕は、それが真実か否かなんてことに興味はありません。
 ヒラリーは、やがてミューズが自分自身のなかにいることに気づき、寂寞たる土地での独居を選択しました。
 それは、芸術に身も心も捧げた女性にとって必然ともいえる生き方なのです。

 勿論、「いいえ、わたしは単純で多産な女、たくさんの子供と、偉大な夫があって……才能はない女になりたかった、のだと思う!」と叫びたくなることもあるでしょう。
 しかし、「人魚の歌を聞く」ことのできる稀代の閨秀詩人に、普通の女性の幸せなどが許されるはずはありません。

※:例えば、ジューナ・バーンズの『夜の森』(一九三六)も評価は高かったが、さほど売れなかったそう。なお、『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』は一九七四年に再刊され、一定の評価を得た。

『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』大社淑子訳、みすず書房、一九九三