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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『狂気の山脈にて』H・P・ラヴクラフト

アメリカ

At the Mountains of Madness(1936)Howard Phillips Lovecraft

 エドガー・アラン・ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』関連作品の二回目は『狂気の山脈にて』です。
 こちらは絶版ではなく、創元推理文庫の『ラヴクラフト全集4』などで今でも読むことができます。ギレルモ・デル・トロジェイムズ・キャメロンによって映画化されるなんて話もありましたが、一体どうなったんでしょうね。

 ジュール・ヴェルヌは『氷のスフィンクス』において『ピム』の謎を科学的に解明しようとし、ルーディ・ラッカーはSF小説の先駆として『空洞地球』で換骨奪胎しました。一方、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト怪奇小説としての『ピム』に焦点を当てています。
 具体的にいうと、ヴェルヌは瀑布に浮かんだ白い人影に、ラッカーは地球空洞説にそれぞれ注目し、ラヴクラフトは原住民や鳥が叫んだ「テケリ・リ」に想像力を注ぎ込み、ラヴクラフト神話に取り込んだのです。

 クトゥルフ神話を作り出したラヴクラフトは典型的なカルト作家です。二十一世紀の現在でも熱狂的ファンが数多くおり、二次創作物やクトゥルフ神話のガイドブックが出版され続けています。
 一方で、「神話だか何だか知らねえけど、マニアックすぎて門外漢にはついてけねえよ」とか「ラヴクラフトなんて、どうせ二流の大衆作家だろう」といって敬遠している人も少なくないような気がします。
 僕は、その中間で、ラヴクラフトは一応読んだけれど、クトゥルフ云々は正直、熱中できませんでした(クトゥルフと関係のない「死体安置所にて」や「冷気」といった短編の方が好み)。ましてや、膨れ上がったクトゥルフ神話や膨大な派生作品にはまるで興味がありません。

 それでも、『狂気の山脈にて』だけは別格です。大好きな『ピム』の関連作品ということもありますが、単純に、怪奇小説として出来がよいと思うのです。
 氷に閉ざされた巨大な山脈が南極にあり、その地下には古代の遺跡が広がっている。そこには、人類誕生以前に宇宙からやってきた「古のもの」が眠っていた……。
 このイメージを作り出しただけで、『狂気の山脈にて』には十分過ぎるくらい価値があります。勿論、この小説が書かれなければ、『エイリアン』も『遊星からの物体X』も生まれていなかったでしょう。
 さらに、戦うことは疎か、逃げ出すことも叶わない絶望的な力の差を思い知らされる恐怖を描いて右に出る作品は、今なお見当たらないほどです。

 ですから、「クトゥルフ神話を知らなくちゃ楽しめない」といってしまうのは正直勿体ない。「ショゴス」だとか「ネクロノミコン」といった固有名詞はこの際、無視して差し支えありません。上述した「人間には理解も太刀打ちもできないすげー怪物が宇宙を支配してるんだってさ。怖いよねー(宇宙的恐怖)」ってことだけを認識していれば何の問題もないでしょう……多分。

 地質調査のため、南極を訪れたミスカトニック大学の調査チーム。最新のドリルのお陰で調査は順調に進みます。ある日、岩層に奇妙な模様を見出した生物学者のレイクは、未知の生物の跡であることを確信し、本体と別れて調査をすることにします。
 レイクは、山脈の地下から、動物とも植物ともいえる生きものの標本を発見し、それを解剖したところ、地球上の何にも似ていない構造に驚いた旨、報告をしてきます。
 しかし、翌朝、通信が途絶え、駆けつけたダイアーがみつけたのは、無惨に引きちぎられたレイク隊の死体でした。その後、ダイアーは助手のダンフォースとともに残るひとりの捜索に出かけるのですが……。

 本書は、アメリカに戻ったダイアーが、後続の調査隊に警告を発するための手記を認めたという設定になっています。これは勿論、『ピム』を意識しているのでしょう。

 ポーやヴェルヌの影響もあり、ラヴクラフトにとって、南極は憧れの場所でした。少年の頃の彼は、南極調査探検隊についての論文まで書いていたそうですから、作家になった後、南極を舞台にした物語を書くのはごく自然の流れだったといえます。
 勿論、ラヴクラフトが『狂気の山脈にて』を執筆した頃、南極大陸上陸、南極点到達、航空機による南極点上空の飛行が果たされていました。そのため、ポーやヴェルヌの小説とは違い、ミスカトニック大学の探検隊は装備も人員も知識も万全です(二隻の船、飛行機、犬橇、最新の機器などを駆使する)。

 また、この作品は『ピム』以外からも影響を受けていて、例えば「狂気の山脈」は、ロード・ダンセイニの短編「ハシッシュの男」〔『夢見る人の物語』(一九一〇)収録〕に登場する象牙色の丘のことです。

 このように、熱い思いを沢山詰め込んだせいか、『狂気の山脈にて』は、ラヴクラフトのなかでは二番目の長さになりました(それでも中編程度)。ところが、それが災いして、雑誌「ウィアードテールズ」に掲載を拒否されてしまいます。執筆されたのは一九三一年にもかかわらず、「アスタウンディングストーリーズ」に分割して掲載されたのは一九三六年のことでした。
「ウィアードテールズ」に掲載されなかったのは、分量のせいだけでなく、分載しにくいという理由もあったようです。実際、『狂気の山脈にて』は、ほとんど遊びがないくらい濃密です。読み飛ばすことも、数日に分けて読むことも避けて、一気に読み切ってしまうべき作品だと思います。

 と、まあ、ホラー小説としては非常に魅力的なのですが、問題は『ピム』との関係です。ラヴクラフトは、数多くの謎を抱える『ピム』の、何に焦点を合わせたのでしょうか。
 ひとつは、ヴェルヌと同様、瀑布のなかにみえていた白い巨大な人影です。『狂気の山脈にて』で明かされる、その正体とは、何と真っ白くて、目のない巨大なペンギンです……。え……。
 行方不明になった人間と犬が、古のものによって綺麗な標本にされていたとか、その古のものをショゴスが食うなんて箇所は、悪夢のように心底恐ろしいのですが、いくら環境に適応したとはいえ、さすがにペンギンはどうなんでしょう。

 それはさておき、『ピム』において、テケリ・リは何を指すのか、はっきりと書かれていませんでした。白い動物のことなのか、鳥の鳴き声を真似ただけなのか、読者には分かりません。
 にもかかわらず、その鳴き声のみから、おぞましい怪物ショゴスを創造し、なおかつ本家よりも有名にしてしまったラヴクラフトは、やはり只者ではないと思います。

 なお、この小説は、漫画化もされていて(PHP研究所の『狂気の山脈』)、その本の巻末には、アーサー・C・クラークによるパロディ『陰気な山脈にて ―もしくはラヴクラフトからリーコックへ』(At the Mountains of Murkiness, or, From Lovecraft to Leacock、一九四〇)が掲載されています。
 これを書いたとき、クラークは二十三歳。まだ、ファンジンに作品をポツポツと発表するに過ぎないアマチュア作家でした。
『陰気な山脈にて』は、取り立てて優れているわけではありませんが、マニアならそこそこ笑えると思います。
 ちなみに、リーコックというのは、カナダのユーモア作家スティーヴン・リーコックのことです。浅倉久志編訳の『ユーモア・スケッチ傑作展』シリーズにも、何編か掲載されていたので、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。

『狂気の山脈にて』の真面目な(?)続編には、コリン・ウィルソンの『古きものたちの墓』があります。

ラヴクラフト全集4』大滝啓裕訳、創元推理文庫、一九八五

『ピム』関連
→『氷のスフィンクスジュール・ヴェルヌ
→『空洞地球ルーディ・ラッカー