読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『スムヒの大冒険』アモス・オズ

סומכיעמוס עוז
(1978)

 イスラエルの作家アモス・オズの『スムヒの大冒険』の舞台は、一九四七年のエルサレム。当時のパレスチナは英国の委任統治下にあり(イスラエル独立は一九四八年)、ホロコーストの生存者たちが大勢移住してきていました。それによって、アラブ人との衝突は絶えず、反英運動も盛んでした。
 そこで暮らす十一歳のユダヤ人の少年スムヒが、この本の主人公です。

 日本語のタイトルには「大冒険」という大袈裟な言葉が入っており、カバーには自転車のイラストが使われ、帯にも「ヒマラヤまで逃げて行こう」「自転車でアフリカを横断しよう」と書かれていますが、これは誇大広告気味で、実際はそんな物語ではありません。
 スムヒは空想がちの少年にありがちな、弱くて情けないタイプ。おじさんにもらった自転車で、アフリカまでいこうと考えるものの、自転車は友だちの持っていた錫の機関車とあっさり取り換えてしまいます。その機関車は、いじめっ子の飼い犬と無理矢理交換させられ、しかも、犬はすぐに逃げ出してしまい、スムヒの手には何も残らなくなる。一日の終わり、そんな彼に小さな幸運が舞い込んできます。

 スムヒは、ハックルベリー・フィンにはなれませんでしたが、それは何も彼だけではなく、これを読む多くの大人も同様だと思います。子どもの頃に思い描いた数多くの冒険は、ひとつとして実現されずに忘れ去られてしまったのではないでしょうか。
 大きな事件は起こらないけれど、だからこそ、過去の孤独な自分に重ねあわせることができる。そうした懐かしさや切なさは、時代や場所を飛び越えて共有することが可能です。
 一方で、全く異質な部分もあります。それはいうまでもなく、スムヒを取り巻く状況です。

 オズが、これを読みやすい児童向けの小説として書いた理由は、世界中の人にパレスチナのことを知ってもらいたかったからに相違ありません。
 とはいえ、この本には政治や宗教の話は、ほとんど出てこないのです。パレスチナ人や英国に対するユダヤ人の憎しみは描かれるものの、それは飽くまで物語の背景に過ぎません。
 オズは、イスラエルNPO「ピース・ナウ」の一員でもあることから分かるとおり、パレスチナ人とユダヤ人の平和共存を目指しています。けれど、それを露骨に訴えなかったのは、読者がこの本をきっかけにして、パレスチナ問題について調べ、理解し、想像することを望んでいるからかも知れません。
 それは『スムヒの大冒険』の約二十年後に書かれた『地下室のパンサー』でも同様です。

 実際、『スムヒの大冒険』は、多くの言語に訳されているそうです。しかし、残念ながら日本で大きな話題になることはありませんでした。
 ボリュームも少なく、平易な言葉で書かれているため、小中学生でも十分に理解できます。幸い版元にはまだ在庫があるようですので、『地下室のパンサー』とあわせて読んでもらえるといいなと思います。
 さらに興味を持たれたら、同じ作者の『わたしのミハエル』や『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』もお勧めです。

『スムヒの大冒険』村田靖子訳、未知谷、一九九七