読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『だれがコロンブスを発見したか』『そしてだれも笑わなくなった』『嘘だといってよ、ビリー』『ゴッドファザーは手持ち無沙汰』『コンピューターが故障です』アート・バックウォルド

Down the Seine and Up the Potomac With Art Buchwald(1977)/The Buchwald Stops Here(1979)/Laid Back In Washington With Art Buchwald(1981)/While Reagan Slept(1983)/You Can Fool All of the People All the Time(1986)/I Think I Don’t Remember(1987)Art Buchwald

 突然ですが、二十世紀最高のユーモリストは誰か、しばし考えてみました。
 笑わせてくれる作家は数多くあれど、最高というからには量においてもファンを十分に満足させてくれる必要があります。必然的に、活動期間が長く、多作、加えて翻訳されるためには日本人に受けるという条件に当てはまる人になるでしょうか。
 反対に、言葉遊びや、その地域限定のネタを用いる作家の場合、翻訳の壁のせいで本来のおかしさは伝わりにくいかも知れません。

 それらを考え合わせると、小説家ではP・G・ウッドハウスの右に出る者はいないでしょう。何を読んでも外れがないのも凄いのですが、それ以上に尊敬するのは生産量です。十近くのシリーズを九十三歳で亡くなるまで書き続けるなんて驚異以外の何ものでもありません。
 二十一世紀になって邦訳も進んだため、今や我が国においても巨人の地位を築いたといえます。

 一方、コラムニストでは、ラッセル・ベイカー、マイク・ロイコ、アンディ・ルーニーらも捨て難いとはいえ、個人的にはアート・バックウォルド(※1)を推したいと思います。
 バックウォルドは「ワシントンポスト」を中心に活躍したコラムニストです。
 幅広い視点、批判精神、センスのよいユーモア、憎めない風貌(写真)と人柄で大変人気がありました。彼のコラムは、多いときで五百以上の新聞に掲載されたといいますから、凄まじい売れっ子ぶりです(※2)。
 ウッドハウスほどではありませんが、著作も数多くあります。

 日本では、文藝春秋からコラム集が五冊刊行され、僕はこれを楽しみに購入していました(※3)。
 とはいえ、このシリーズも「オズ」シリーズや『ユーモア・スケッチ傑作展』や『タンタンの冒険旅行』などと同じように、忘れた頃に出版されたため、うっかりすると買い逃す虞がありました。特に4巻と5巻の間は六年も空いたので辛かった……っていうか、四冊で終わりだと思っていたところ、思いがけず続きが出たという感じでしたね。

 当時、かなり人気があったと記憶していますが、単行本だったため読者が限られてしまった可能性もあります。もし文庫化されていたら、さらなる読者を生み、もっと多くの著書が翻訳されていたかも知れないと思うと残念でなりません。
 文庫にならなかった理由としては、1、2巻の元となった『Down the Seine and Up the Potomac With Art Buchwald』がそもそも傑作選であるため、原書が発行された段階で既に話題が古くなっていた(一九五〇年代のコラムも含まれている)。そこから翻訳され、さらに文庫化を経るとなると相当なタイムラグが生じてしまう、といったことが考えられます(※4)。

 しかし、これを時事コラムの宿命といってしまうのは勿体ない。
 勿論、時間が経って意味が通りにくくなってしまったものもありますが、当時を懐古したり、資料的価値を見出す楽しみは残っています(※5)。また、再読することで、新たな知識や、現代社会が抱える問題を解決するヒントが得られたりもします。

 いや、実はバックウォルドが扱っている問題のほとんどは、よくいうと風化していない、悪くいうと解決の糸口すらみつかっていません。腐敗した政治、核兵器、環境汚染、エネルギー危機、失業と貧困、教育制度などなど、今日の朝刊に掲載されていても全く違和感のない話題ばかりなのです。
 これが五十年前のコラムかと驚くとともに、きっと人類は何百年経っても同じことに悩まされるのだろうなと諦観の境地に至ったりします。

 とはいえ、バックウォルドのコラムは、現在の日本の新聞や雑誌に載っているものとはかなり違います。コラムと聞いて何を思い浮かべるかは人によって異なるでしょうが、論説や短めの随筆のようなものを想像されると、ちょっとびっくりされるかも知れません。
 彼の真骨頂は、ユーモア、サタイアアイロニーであるため、それを最大限に生かすと、どこまでが事実で、どこからが虚構なのか分からず、フィクションに近いものになってしまいます。前述した『ユーモア・スケッチ傑作展』に収録されていることからも分かるとおり、切れ味鋭い短編小説のような趣さえあります(ハインリヒ・アップルバウムというキャラクターも確立されている)。
 そのため、時間が経っても読みものとして単純に面白く、古臭さも却って味になっています。

 また、俎上に載せる問題も政治や経済に限りません。「このダンナがさばく主題は口紅から水爆まで、森羅万象、日々属目するところの一切である」(開高健)、「バックウォルドはこの世の森羅万象、政府高官の持病から、セントラルパークで水浴びするショッピングバッグレディにまで目を行き届かせ、チベットの高僧の呪文に触れるかと思えば、アラブの都市の抜け目ない商人の胸算用に眼をくばる」(野坂昭如)というくらい幅広い。
 何しろ、馬やコンピュータは自己主張するし、トマス・ジェファーソンはテレビのスタッフに怒られるし、サンタクロースは子どもたちのプレゼントをアジアで製造するし、宇宙人は煙に巻かれるし、アドルフ・ヒトラーは養老院で日記を書かされるといった具合で、最早何人たりともバックウォルドの筆から逃れることはできません。

 一方で、読者の知識やセンスが試されるスタイルともいえます。
 何を皮肉っているか分からないと、何となく取り残された気分になります。冷戦、ベトナム戦争ウォーターゲート事件といった有名なできごとについてなら多少の知識はありますが、蝙蝠狩りとか、ガスマンとか、半額料金恐怖症とか、セクシーなファーストネームの女性は出世できないなんて話になると、何のことやらチンプンカンプン。
 とはいえ、文章が巧みで、テンポがよいから、実際は細かいことを気にせずゲラゲラ笑えてしまいます。何が諷刺されているかも知らずにニヤニヤしている馬鹿が今も日本にいることを知ったら、バックウォルドは草葉の陰でほくそ笑むかも知れませんね。

 五冊合計で五百十三ものコラムが収録されている(ユニークな序文を加えると、もっと多い)ため、一編一編の感想は書きませんが、どこを読んでも面白いことは保証します。
 毒はあっても嫌味はないし、大笑いした後、何かがバッサリ斬られていることに気づくという鮮やかさも素晴らしい。また、ごく稀に真面目で感動させられるコラムもあって、それがよいアクセントになっています。

 僕にとっては、マーク・トウェインジェイムズ・サーバージェラルド・ダレルらと並んで、落ち込んでいるときに読むと元気が出てくる作家のひとりです。
 バックウォルド未経験で「飛び切りの幸せは望んじゃいないけど、せめて自分の部屋にいるときくらいは嫌なことを忘れたいなあ」なんて方がいらっしゃいましたら、本気でお勧めします。
 前述のとおり、コラム集は復刊される可能性が極めて低いのですが、バックウォルドの本は売れただけあって、今でも古書店の百円均一コーナーでよくみかけます。缶ジュース以下の金額で孤独な夜が明るくなるのですから、買わない手はありません。
 僕も多分、死ぬまでに何回も読み返すでしょう。ま、いつ死ぬか分からないので、確かなことは書けませんけど……。

※1:Buchwaldをドイツ語読みするとブッフバルト。そう、かつて浦和レッドダイヤモンズで活躍したドイツのサッカー選手ギド・ブッフバルト(Guido Buchwald)と同じスペルである。
 池内紀の解説によると、ドイツ語でBuchは「本」、Waldは「森」なので、「本の森」という素敵な響きになる。しかし、Buchenwaldとなると「ブナの森」という意味になり、これはナチス強制収容所(ブーヘンヴァルト強制収容所)の名前でもある。なお、バックウォルドはユダヤ人である。

※2:パトリシア・ハイスミスの『アメリカの友人』には、人を殺した後、新聞を読み耽っている男をみて、「アート・バックウォルドのコラムを読んでいるんじゃないか」と推測する場面がある。

※3:1、2巻が『Down the Seine and Up the Potomac With Art Buchwald』、3巻が『The Buchwald Stops Here』、4巻が『Laid Back In Washington With Art Buchwald』と『While Reagan Slept』、5巻が『You Can Fool All of the People All the Time』と『I Think I Don’t Remember』からの傑作選となっている。
 なお、『大統領が寝ている間に』という訳本も出ているが、表紙に書かれている「While the President Slept」は原題ではなく、日本版のサブタイトルなのだろうか? 未読のため4巻の『While Reagan Slept』と重複するのかは不明。

※4:バックウォルドは小説も翻訳されている(『二毛猫アーヴィングの失踪&ボロの冒険』)。「二毛猫アーヴィングの失踪」は、CMで有名になった手でキャットフードを食べる猫が誘拐される話で、フィクションにもかかわらず実在のジャーナリストであるベイカーやウォルター・クロンカイト、エリック・セヴァライドらが登場したりする。「ボロの冒険」は、アフリカ一美しい豹のボロが女優の毛皮のコートのためにアメリカへ連れてこられるが、逃げ出して冒険する話。いずれも諷刺が効いていて、コラムと印象は大きく違わない。バックウォルドは小説もそつなくこなす。

※5:各コラムには掲載紙と年月日が付されていないため、いつ書かれたものか正確には分からない。歴代大統領でいうと、1、2巻がジェラルド・R・フォードまで(主にリチャード・ニクソン)、3巻がジミー・カーター、4、5巻がロナルド・レーガンを主に扱っている。特に、大袈裟で、モラルが欠如しており、罵詈雑言を吐くニクソンに対しては殊更手厳しいので、バックウォルドが生きていたら、似たタイプである現在の大統領についてどんなコラムを書いただろうか。読みたかったなあ……。


『だれがコロンブスを発見したか』バックウォルド傑作選1、永井淳訳、文藝春秋、一九八〇
『そしてだれも笑わなくなった』バックウォルド傑作選2、永井淳訳、文藝春秋、一九八〇
『嘘だといってよ、ビリー』バックウォルド傑作選3、永井淳訳、文藝春秋、一九八二
『ゴッドファザーは手持ち無沙汰』バックウォルド傑作選4、永井淳訳、文藝春秋、一九八四
『コンピューターが故障です』バックウォルド傑作選5、永井淳訳、文藝春秋、一九九〇


→『ユーモア・スケッチ傑作展』『すべてはイブからはじまった

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