読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『死んだふり』ダン・ゴードン

Just Play Dead(1997)Dan Gordon

 映画『ワイアット・アープ』『告発』『ザ・ハリケーン』『アサインメント』などの脚本家として知られるダン・ゴードンの処女小説が『死んだふり』(写真)です。
「中編程度のボリューム」「プレミアのついていない安価な文庫本」「古本屋でよくみかける」と入手が容易な本なので、なるべく余計なことは書かず、サクッとご紹介したいと思います。

 マウイ島に住む破産寸前の大富豪ジャック・ウルフが、元高級娼婦の妻ノーラに、こう命じます。「若くて馬鹿な愛人を作り、俺を殺させろ。そうすれば保険金が下りるから山分けしよう」。勿論、本当に殺されるつもりはなく、殺人を偽装し、保険金を不正受給する計画です。
 そんなことが可能なのは、ハワイでは死体がなくとも犯人さえ捕まれば、殺人罪が成立するからです(※)。
 ノーラは、チャドという頭の弱いサーファーを愛人にし、ジャックを本当に殺してしまおうと持ちかけます。しかし、ジャックが死んだ場合は、何者かによって犯行の全貌が明らかにされてしまうため、ノーラは簡単には裏切れません。
 すると、今度はジャックがチャドに近づき、共謀を持ちかけます。自分の息子だということにして、ノーラを出し抜き、保険金を按分しようと……。
 この化かし合いに勝利するのは、果たして誰なのでしょうか。

 こう書くと「三人のキャラクターとユニークな設定を活かしたスピード感のあるエンターテインメント小説。人気俳優をキャスティングすれば、すぐ映画化が可能。悪くいうと長所はそれだけで、深みも文学性もない」と思われるかも知れません。
 勿論、それだって別に悪くはありませんが、意外な味つけがされているのが『死んだふり』のミソです。

 実は、上記の三人以外にもうひとり重要な人物がいて、それがユダヤ人の警察官デニール・カハーナです。
 デニールはノーラの愛人でしたが、殺人に加担するのを断ったため捨てられた哀しき中年男。チャドに嫉妬しつつ、ふたりの情事を覗きみることしかできません。ジャックは、デニールに事件の捜査を担当してもらえば、憎きチャドを有罪に導いてくれると考えているのです。
 このようにデニールは、事件に関しては完全な脇役です。しかし、小説においてはメインの語り手(デニール不在の場面は三人称になったり、神の視点になったりする)であり、主人公でもあります。

 というのも、カリフォルニアで生まれ、青春時代をイスラエルキブツ(共同農村)で過ごし、イスラエルの兵士として戦争を経験したユダヤアメリカ人デニールの経歴は、ゴードンのそれと重なるからです。実際、彼の過去や先祖の物語は、結構な分量と頻度で現れます。
 つまり、『死んだふり』は、ある意味で自伝的な作品といえるのです。

 小説としては処女作ということで、映画の脚本ではできない私的なテーマを盛り込みたかった気持ちは分かります。ただし、それが成功したかというと……。

 例えば、「移民であるデニールの父親のもとに若い騎馬警官がやってきて、判事が呼んでいるという。縛り首になると思った父は、警官を殺して逃げようとするが、警官の妻子の写真をみて殺すのをやめる。ところが、判事が父を呼び出した理由は、カナダの市民権を与えるためだった」「第四次中東戦争中、認識票が支給されなかったので、段ボールの切れ端に名前を書き、靴紐で首からぶら下げた」といったエピソードは非常に興味深い。一方で、本筋と余りにかけ離れており、違和感が残るのも確かです。
 四者四様の駆け引きはよい意味で馬鹿馬鹿しく、ハワイにおける様々な人種(支那人社会においては、白人同士の事件など月の裏側のできごとのよう)、ユダヤ人のアイデンティティといった問題は奥が深い。しかし、そのふたつを共存させるのは無理があったような気がします。

 ネタバレになるので、これ以上は述べませんが、映画化の話があったのに実現しなかったのは、その辺にも理由があるのかも知れません。
 とはいえ、クライムコメディとしては十分に及第点に達しています。登場人物も展開も激しく動くラスト十頁は特に楽しめますので、古書店でみつけたらぜひどうぞ。

 余談ですが、ハワイの日系人で「ノモ」という苗字の人が登場します。これは当然、ロサンゼルス・ドジャースで活躍していた野茂英雄投手からきているのでしょう。野茂なんて、日本人でも珍しい苗字なんですけどね。

※:こんな法律が本当にあるのか調べてみたが、みつからなかった。

『死んだふり』池田真紀子訳、新潮文庫、二〇〇〇