The Curious Case of Sidd Finch(1987)George Plimpton
一九八四年にデビューしたドワイト・グッデンの活躍は衝撃的でしたが、その翌年、同じニューヨーク・メッツにグッデン以上の新人投手が入団するという記事が『スポーツイラストレイテッド』(一九八五年四月一日号)に掲載されました。
彼の名は、ヘイドン・〝シド〟・フィンチ(※1)。
時速百六十八マイル(二百七十キロ)の速球を操るチベット帰りの仏教徒(英国人)です。
勿論、これはエイプリルフールのジョークだったのですが、当時のメッツは、ルーキーであるグッデンが大活躍していたこと、長く続いた低迷期から漸く抜け出せそうな雰囲気が漂っていたこと、さらにはフィンチの写真が掲載されたこと(当然、偽者)もあって、信じがたい記事であったにもかかわらず、だまされたファンが多かったそうです(メッツは、翌一九八六年にはワールドシリーズを制覇している)。
その後、この記事を書いたジョージ・プリンプトンが「ロバート・テンプルという架空のライターがフィンチにまつわるノンフィクションをものした」という設定で小説化したのが本書(※2)というわけです(※3)。
フィンチの物語とは、こんな感じです。
ノンフィクションライターのテンプルは、フロリダでスプリングキャンプ中のメッツ首脳陣と偶然同じ飛行船に乗り合わせ、秘密兵器の存在を知ります。
それがフィンチでした。彼は、アロルディス・チャップマンより百キロ以上早い速球を投げ、グレッグ・マダックスよりコントロールがよいのですが、野球のルールを詳しくは知りません。行方不明になった養父を探しにヒマラヤへゆき、そこでヨガの修行をしたという変わり種です。
フィンチは、フレンチホルンの奏者になるか、野球選手になるか悩んでいましたが、結局、メッツと契約することにします。そして、デビュー戦で二十七者連続三振の完全試合を達成するのです。
しかし、彼は二試合目の途中、球場から逃げ出してしまいます。
異国からきて大旋風を巻き起こした投手というと、フェルナンド・バレンズエラ(メキシコ)や野茂英雄を思い出す方が多いと思います。また、フィンチ(スズメ目などの小鳥)という名前からは「ザ・バード」の愛称で親しまれたマーク・フィドリッチ(ボールに話しかける仕草で有名)を連想させます。
そして、この三人に共通しているのは、新人ながらオールスターゲームで先発投手に抜擢されたこと。
ちなみに、四人目と期待された田中将大は、二〇一四年のオールスターゲームに選出されたものの、残念ながら直前に故障者リスト入りしてしまいました。まあ、そうじゃなかったとしても、ローテーションとの兼ね合いで登板できなかった可能性もあります。
そもそも、オールスターゲームにおいて投手は、野手に比べ軽んじられている気がします。ファン投票もないし、前半戦最終ゲームに登板した場合、球宴では投げられないといった決まりもあります。夢の舞台にもかかわらず、何とも夢のない話で白けます。
チームの勝利や選手のコンディションを大事にする余り、ファンの夢を奪ってしまうのはいかがなものでしょうか。フィクションに負けない感動をもたらしてくれるのが一流のプロスポーツですが、奇跡を起こすには、それなりの舞台が必要だと思うのですが……。
閑話休題。
常識を超えた超人がメジャーリーグで大活躍するといった単純なストーリーでは大人の読者を満足させられないと思ったのか、あるいは飽くまで真面目な疑似ノンフィクションにしたかったのか、プリンプトンは人間を描くことに心血を注ぎます。
ライターのテンプルはベトナムから帰還したものの、心的外傷後ストレス障害に悩まされ文字が書けなくなっています。一方、フィンチは、孤児で、なおかつ養父母を亡くした過去を持ち、野球を始めてからも突如コントロールを乱し、失踪してしまうといった精神的脆さを併せ持っています。
彼らが、現代社会でいかに生くるかが丁寧に描写されます。
しかし、自らプロスポーツに挑戦してその体験記を書くことで有名なプリンプトンが、六十歳を超えて初めて著した長編小説に、バーナード・マラマッドの『ナチュラル』やW・P・キンセラの『シューレス・ジョー』のようなものは期待していません。
僕が読みたいのは、陳腐な人間ドラマではなく、多少強引でもよいから、野球にまつわる愉快な夢をみせてくれる小説なのです。
ですから、フィンチの豪速球を受けるため、千フィート上空からボールを落下させ、それをキャッチする練習をするとか、フィンチはなぜか片足ブーツで、片方は裸足で投球する(フォームは村田兆治のマサカリ投法にちょっと似てる)とか、コントロールを磨いたのはチベットでヤクを襲う雪豹を追い払うためだった(謝辞には、ピーター・マシーセンの名もある)といった馬鹿馬鹿しくも楽しいエピソードの方に魅かれます。
また、その競技を根底から覆してしまうほどの超人が現れたとき、関係者やファンはどのように対応すべきか議論する箇所は、過去の事例や、現実的な意見から荒唐無稽な珍案まで出揃い、興味深く読めます。スポーツ好きなら一度は想像したことがあるようなテーマだけに、同類を発見したみたいで嬉しいんですね。
こうした野球ファンを唸らせるシーンがもっと多かったら、野球小説の傑作になっていたのではないでしょうか。余計な部分がやや目立つ点が、実に惜しいです。
最後に個人的な話を少し。
小学生の頃、どうしても生でピート・ローズとビッグレッドマシーンがみたくて、チケットもないのに自転車で横浜スタジアムへゆき、隣接するYMCAの屋上から双眼鏡でシンシナティ・レッズの試合を観戦しました。当時、メジャーリーグの試合は、たまに深夜に放送されるくらいでした。情報は、雑誌やトレーディングカードから細々と得るのが精一杯だったのです。
そんな状況は、野茂がロサンゼルス・ドジャースに入団するまで続いたでしょうか。その頃は、フィクション(小説や映画)だって馬鹿にできない貴重な情報源でした。
本書にも一九八〇年代に活躍した実在のメジャーリーガーが沢山登場しますが、彼らは飽くまで脇役に過ぎないため、僕の知識欲を十分に満足させてくれはしませんでした。
その代わり、巻末に、訳者による主にメジャーリーガーに関する訳注がついています。相当なボリュームがあり、ここだけ読んでも懐かしくて面白いので、お勧めです。
※1:シドは、Sid(Sidneyの愛称)ではなく、Sidd(Siddhattha)で、ゴータマ・シッダールタ(釈迦)からきている。
※2:文庫化された際、『遠くからきた大リーガー ―シド・フィンチの奇妙な事件』(写真)と書名が変更になったが、同じ本である。
※3:序文に、ロンドンマラソンに出場した日本人ランナーが、距離(二十六マイル)を日数と勘違いして、二十六日間走り続けたというエピソードが載っているが、マラソンの距離をマイルで記憶している日本人なんていない。っていうか、アメリカも早くメートル法を採用すればいいのに!
『シド・フィンチの奇妙な事件』芝山幹郎訳、文藝春秋、一九九〇
野球小説
→『ユニヴァーサル野球協会』ロバート・クーヴァー
→『12人の指名打者』ジェイムズ・サーバー、ポール・ギャリコほか
→『野球殺人事件』田島莉茉子
→『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』リング・ラードナー
→『ドジャース、ブルックリンに還る』デイヴィッド・リッツ
→『ナチュラル』バーナード・マラマッド
→『プレーボール! 2002年』ロバート・ブラウン
→『アイオワ野球連盟』W・P・キンセラ
→『赤毛のサウスポー』ポール・R・ロスワイラー
→『プリティ・リーグ』サラ・ギルバート
→『スーパールーキー』ポール・R・ロスワイラー
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