読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『サンタ・エビータ』トマス・エロイ・マルティネス

Santa Evita(1995)Tomás Eloy Martínez

 エビータことマリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロンが三十三歳の若さで子宮癌によって亡くなったのが一九五二年。
 その後、一九八〇年代になって、アルゼンチンではエビータ関連の書籍や映画が数多く世に出ました。軍事政権は崩壊したものの、恐怖は簡単には人の心から去らず、ようやくこの頃になってタブーだったフアン・ペロン大統領やエビータを話題にできるようになったといわれています。

 勿論、今回取り上げる『サンタ・エビータ』(写真)も、そのなかの一冊です。
 実をいうと、トマス・エロイ・マルティネスは、一九八五年に『La novela de Perón』というペロンについての小説を出版し人気を博しており、『サンタ・エビータ』は二匹目の泥鰌ということになります〔『サンタ・エビータ』には『La novela de Perón』を読んでいないと意味がよく分からない箇所(特に最終章)があるので、今からでもいいから翻訳して欲しい……〕。

 感想に入る前に、エビータ、ペロン、そして当時のアルゼンチンについて、簡単に説明しておきます。
 なお、『サンタ・エビータ』は飽くまで小説であり、意図的に事実を捩じ曲げている箇所が少なからずあります。そのため、ノンフィクションであるジョン・バーンズの『エビータ』(1978)を参考にしました。

 一九一九年、私生児として生まれたエビータは、ブエノスアイレスで売れない女優をしていました。幾人かの愛人を渡り歩いた後、当時、陸軍大佐だったペロンと知り合います。
 ペロンはこれまで顧みられなかった労働階級と女性の支持を得、大統領へと登り詰めました。勿論、それにはカリスマ的な人気を得たエビータの力も大いに関係しています。
 しかし、エビータは三十三歳の若さで世を去り、ペロンもクーデターによって国を追われることになりました。ペロンはその後、帰国し三たび大統領になりますが、間もなく死亡します。

 ペロンは「独裁者」「ファシスト」、エビータは「無教養な田舎女」「権力を得るため次々に男を乗り換えた」「容赦なく邪魔者を排除する」といった声もありますが、彼らが現れる以前のアルゼンチンは特権階級と軍部が支配する社会で、貧しい労働者たちは人間扱いされていませんでした。また、マチスモと呼ばれる男性優位主義が蔓延っており、女性は差別と暴力の犠牲となっていました。
 このように虐げられた人々にとって、ペロンとエビータは希望の光であったのです。ふたりの死後、軍部によるクーデター、フォークランド紛争、経済破綻などが起こり国情が安定しているとはいえませんが、ペロニスタと呼ばれる支持者は、現在も議会で多数を占めています(正義党)。

 一方で、当然ながらペロンを支持しない者もいます。
 文学者に限っても、フリオ・コルタサルマヌエル・プイグは亡命を余儀なくされましたし、ホルヘ・ルイス・ボルヘスもペロン政権の犠牲になりました(コルタサルの「占拠された屋敷」はペロン財団による財産没収の恐怖を描いており、ボルヘスの「まねごと」はエビータの葬儀を扱っている。V・S・ナイポールの「エバ・ペロンの帰還」によると、ボルヘスはペロンを決して名前で呼ぼうとしなかったそうである)。
 また、マルティネス自身も、イサベル・ペロン(フアン・ペロンの三番目の夫人で、世界初の女性大統領となった)政権時代に亡命せざるを得なくなったそうです。

 生きた時代も国も違う僕が個人的に興味を引かれるのは、エビータの周囲の狂乱についてです。
 貧乏のどん底からファーストレディに登り詰めたバイタリティ、そして権力の絶頂期に夭逝した運命、冴えない少女から美女への変貌などエビータ本人も魅力的ですが、それよりも彼女の周りで繰り広げられた騒ぎが面白い。
『サンタ・エビータ』では、エビータの崇拝者、雌馬と罵る者、客観的な者などがバランスよく配置されており、僕の欲求を十分に満たしてくれます。

 実をいうと、国をあげての馬鹿騒ぎはエビータの死後も続いたのですが、その要因のひとつとなったのが『サンタ・エビータ』の中心となるミステリーです。
 謎とは、ずばりエビータの遺体。エンバーミングされた彼女の遺体は、何と十六年も行方不明になっていました。

 ペロン失脚後、政権を奪った軍部は死者であるエビータに手を焼いていました。死後の彼女は民衆から聖女のように崇められ、寧ろ生前より人気が出てしまったのです。そこで軍部は、モオリ・ケーニッヒ大佐にエビータの遺体を処理するよう指示しました。
 しかし、防腐技師のアーラ博士はエビータの遺体のコピーを三体用意していました。大佐は三人の部下とともに四つの遺体をそれぞれ別の場所に埋葬しようとしますが、復讐旅団という謎の組織に邪魔をされてしまいます。やがて、大佐たちは次々に不幸に襲われ……。

 この作品は、作者であるマルティネスが実際に取材する様子を含めて描かれている(※)ものの、ルポルタージュの体裁を利用したフィクションという線を狙っているようです。
 疑似ノンフィクションノベルの雰囲気がありますが、小説ならではの技巧を用いて読者を引き込むのを意図したというより、歴史の曖昧さを表現したかったように感じます。
 どこまでが実在の人物や事件で、どこからが虚構なのか、浅学非才の僕には分かりません。が、「novela」と銘打っている限り、真偽にこだわる必要はありません。

 実際、遺体に魅入られた者たちの悲劇、エビータが子どもを産めなかった理由、幼い頃、全身火傷をしてから肌が白くなったことなんてところは相当胡散臭いながらも、南米の文学らしく上質なエンターテインメント性を備えており、文句なしに楽しめます。
 メタフィクションの要素を排除し、ここだけ取り出したとしても十分傑作になったでしょう。

 しかし、この小説は、遺体の遍歴にかかわる者たちが、それぞれ「自分にとってのエビータとは何だったのか」をみつめ直すことを主眼としています。
 先に述べたとおり、聖と俗の面を併せ持ち、死してなお人々の中心にあり続けるエビータ。人によって、女神、売女、田舎娘、恋人、人形など様々な姿に変化する様は、フィクション史上のどの女性にも劣らない存在感があります。最初はエビータを罵っていた大佐や部下ですら、次第に彼女の遺体なしでは夜も日も明けなくなってしまうのですから、正に魔性の女といえるでしょう。
 中心(エビータ)ではなく、敢えて周辺を描くことで、時代の狂気に翻弄された名もなき民衆の姿が鮮やかに浮かび上がっています。

 ただ、少し残念に感じるところもありました。それは刊行の時期に関することです。
 こうした作品は、読者に対しても同じ問い掛けをしてこそ意味があると思うのです。ですから、もう少し早く刊行されるべきだったのではないでしょうか。
 ところが、政情がそれを許さず、四十年以上もの年月が経過してしまいました。そのため、アルゼンチンでも若い読者にはエビータの記憶がなく、「あなたにとってエビータとは何でしたか」という問いにはならなかった可能性があります。リアルタイムで体験するのと、歴史として学ぶのとでは、やはり大きな隔たりがあります。
「そんなこといったら、日本の読者にとっては尚更関係ねえじゃねえか」といわれそうです。全く無意味とまではいいませんが、同じ空気を吸っていない者にとっては感じ取れない部分が多いのも確かだと思います。

 市場の細分化、趣味の多様化が進んだ現代においては、エビータのように影響力を持った人物は生まれにくくなっているかも知れません。それがよいことなのか悪いことなのか分かりませんけれど、一抹の寂しさを感じます。

※:軍部によって恐らくは殺害されたらしい(行方不明)作家ロドルフォ・ウォルシュの「あの女」Esa mujer(1965)という短編を下敷きにしているようだ。この短編は、エビータの名前も出していないし、フィクションとして発表されたが、彼女の遺体の行方を追っており、これを機にマスコミは遺体紛失のミステリーを取り上げるようになったとか。

『サンタ・エビータ』旦敬介訳、文藝春秋、一九九七

「エビータ」関連
→『エバ・ペロンの帰還』V・S・ナイポール

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