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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ガイアナとブラジルの九十二日間』イーヴリン・ウォー

イングランド

Ninety-two Days: The Account of a Tropical Journey Through British Guiana and Part of Brazil(1934)Evelyn Waugh

図書館を利用しない」「新刊で手に入る本を古書店で購入しない」をモットーにしている僕ですが、イーヴリン・ウォーとの出会いは、たまたま大学の図書館で借りた『囁きの霊園』(※)でした。
 それが面白くて、ほかの作品も読んでみたところ、『ブライヅヘッドふたたび』以外は好みにピッタリでした。ところが、『囁きの霊園』は、そんなわけで今、手元になく、感想が書けません。やっぱり図書館ってダメですね(追記:後日、復刊されたので購入した)。

 話は少々脱線しますけど、上記のモットーは、多少なりとも出版社や著作者の利益に貢献したいからで、人が読んだ本は生理的に受けつけないということではありません。ですから、絶版本なら喜んで古書を購入します。
 ただし、図書館は、到底利用する気になれません。僕にとっては、全く無意味な施設です(人が使うのに文句をつけるつもりはない。好きな人は大いに利用すればよいと思う)。
 僕が図書館を嫌うのは、手元に本がないと気が済まない性格だから。本は、中身を読んでしまえばよいというものではありません。ときどき思い出してパラパラめくったり、ふと読み耽ったりするためには、常に身近においておかなければならないのです。

 話を戻して……。ウォーの作品で、僕が一番好きなのは、小説ではなく『ガイアナとブラジルの九十二日間』という旅行記です。これは、そもそも旅行の目的、執筆の動機からして、不純というか、いい加減というか、何ともいえない味があります。
 その辺の事情をまず説明しますと、一九三〇年代、ウォーと同世代の作家たちの間で冒険旅行が大流行しました。ヨーロッパの文明社会に退屈していたこともあったでしょうし、仲間内の競争意識もあったと思います。また、読者がまだ作家という職業に幻想を抱いていた時代ですから、辺境へ取材にゆく変わり者という虚像が必要だったのかも知れません。というわけで、ウォーも地中海、南米、アフリカなどを旅し、数多くの旅行記を記しています。
 ただし、取り立てて野心や目的を持っていたわけではなかったので(強いていうと、失恋の痛手を癒すためか)、計画は杜撰で、情熱も感じられません。
 しかも、ブラジル旅行に関しては、前年の一九三三年に、友人である作家のピーター・フレミングが『Brazilian Adventure』を出版して、ベストセラーになっていたりするので、どうしても二番煎じの感が拭えない。
 そんなわけで、帰国後もなかなか執筆に取りかかれず、作者自身、序文で次のように書いています。「恋愛事件もなければ、間一髪の危機もなく、これといった発見もないのだから、だれかに興味を抱いてもらおうというのはおこがましいかもしれない。いってみるつもりもない土地について、なんら科学的価値もない旅行記を、一体だれが買い、だれが読むだろうか」
 が、よく考えると、詰まらない旅行を、読む価値のあるものに変えるのが、作家の腕のみせどころではないでしょうか。そういう意味で、ウォーは、さすがという才能をみせています。

 そのひとつが、上述の「白けた気分」です。紀行のなかには「こんなに貴重な体験をした」「大変苦労した」などと、旅の素晴らしさを強調するものがありますが、本書はその真逆をゆきます。
 もともとガイアナのことはよく知らず、大して興味もないから、過度のロマンティシズムに支配されることなく、乾いたユーモアを交え、淡々と事実を描写していけるのです。
 それでも、例えば、現地の人のからボアビスタの街の様子を聞き、「中西部のアメリカ人が思い描くパリ、チェーホフの農民たちが思い描くペテルスブルグ」のようなものと期待したりもします。が、それはすぐに裏切られ、失望に至る(住民には全く生気がなく、人を射殺しても「俺が殺そうとしたのは、隣にいた奴だ。間違えただけだ」と主張すれば無罪になってしまうような街)。

 こうしたことが積み重なり、筆致はますます醒めてきます。
 途中で、「以前、旅行記に、コンゴ川の蒸気船で過ごした何日間か非常に退屈だったと書いたことがある。これは評論家たちにとって格好の批判材料になったばかりでなく、見知らぬ人々からも異論を唱える手紙が何通かきた。皆至極ごもっともな意見で、旅行が退屈なら家にいたほうがはるかにいいではないか、いずれにせよ、本にすべきではないという。(中略)だから、同じ過ちは繰り返さないことにする」などと書きますが、それは単なる皮肉で、相変わらず白けっ放しなところが、たまらなくおかしい。

 が、こうした失望や幻滅は、実をいうと、ガイアナやブラジルに向けられたものではありません。ウォーは、旅行そのもの、もっというと自分自身に対して幻滅しているのです。
 結局、未開の地を訪れたとしても、自らを覆っている閉塞感を振り払うことはできない。
 そんな当たり前のことに気づくとともに、旅は終わりを告げます。

 ちなみに、このときの旅行は、後日、名作『一握の塵』となって、大きく花開きました。さすが一流の文学者は違うというか、強かというか……。

※:原題は『The Loved One』。そのほかの邦題に『愛されたもの』『華麗なる死者』がある。

ガイアナとブラジルの九十二日間』海外旅行選書、由木礼訳、図書出版社、一九九二