In a German Pension(1911)Katherine Mansfield
短編しか書かなかったキャサリン・マンスフィールドは、日本でも数多くの短編集が発行されています。原書どおりに収録したものもあれば、独自に編まれたものもあります。
例えば、文化書房博文社の『ドイツの田舎宿で』(写真)は『In a German Pension』の、新潮文庫の『マンスフィールド短編集』は『The Garden Party: and Other Stories』のそれぞれ全訳ですが、『不機嫌な女たち』『幸福/園遊会 ―他17篇』、ちくま文庫の『マンスフィールド短篇集』などは日本オリジナルの短編集です。
もっと読みたい人は、垂水書房や新水社から『マンスフィールド全集』も出ていますけど、手にしたことがないのでお勧めはできません。
マンスフィールドといえば三十四歳という若さで亡くなったことでも知られています。夭逝した女流作家というと、ブロンテ姉妹〔シャーロット(三十八歳)、エミリー(三十歳)、アン(二十九歳)〕が有名です。日本では、樋口一葉、金子みすゞ、久坂葉子らの名前が挙げられます。
彼女たちが、もし長生きをしていたら、より多くの傑作が生まれていたのでしょうか。それとも、才能は早々に枯渇してしまっていたのでしょうか。
少なくともマンスフィールドは、早世が悔やまれる作家です。
目ぼしい作品が「園遊会」のみであれば、多感な少女の感性がたまたま文学として昇華したと考えられます。しかし、「幸福」のように技巧的な傑作や、「大佐の娘たち」のように老嬢を主役にしたユーモラスな作品をあの若さで書けてしまうのは並の才能ではありません。
ジェイン・オースティンやカーソン・マッカラーズもそうですが、優れた能力の持ち主は、凡人が愚かにも設定した年齢の括りなど軽々と超越してしまうようです。後二十年作家活動を続けられていれば長編も書いていたでしょうし、ニュージーランド出身という強みもあるので、ヴァージニア・ウルフと並ぶような存在になっていたかも知れません。
マンスフィールドの処女短編集である『ドイツの田舎宿で』は、後の作品ほど評価は高くなく、習作扱いされることが多いようです。また、アントン・チェーホフの剽窃などといわれたりもしています。
マンスフィールド自身も、この短編集が未熟で、チェーホフの模倣であることを承知しており、一度絶版になった後は、死ぬまで再販を許さなかったそうです。
『ドイツの田舎宿で』が出版された頃のマンスフィールドは、正に波乱に満ちていました。法律上の夫ではない男の子を身籠り、病気療養のため母親に無理矢理ドイツへ連れてゆかれます。その後、流産を経験し、貰い子もすぐに手放します。夫とは少しの間、同居しましたが、あっという間に別居する始末……。
普通なら小説なんか書いている場合ではない時期の出版ですから、推敲する暇などなかったのではないでしょうか。また、彼女の一番の理解者である文芸批評家のジョン・ミドルトン・マリ(※)と出会うのは、出版直後のことでした。
『ドイツの田舎宿で』の評価が高くないのは、そうした要因もあるのかも知れません。
にもかかわらず、『ドイツの田舎宿で』には、既に鋭い観察眼、ユーモアのセンス、心の動きを丁寧に追う点などマンスフィールドらしさが現れています。
ドイツのペンションを舞台にした連作短編と、それ以外の短編に分かれており、ペンションの方は「私」による一人称で書かれています。「私」イコール「マンスフィールド」とは一概にいえませんが、限りなく近いと考えてよいと思います。
各編はごく短く、劇的なことは起こりません。だからこそ、作家の技量が試されるともいえます。
「食卓のドイツ人たち」Germans at Meat(1910)
ペンションで、ドイツ人たちと朝食をとるイギリス人の「私」。イギリス人であるせいで、露骨ではありませんが、チクチクと意地悪をされてしまいます。こんなところにも、第一次世界大戦を間近に控えた緊張感が漲っているようです。
「男爵」The Baron(1910)
ドイツでは貴族でも一般人と同じ宿で療養するようです。しかし、小柄な男爵は誰とも口を利かず、賭博場や浴場にもいきません。ひょんなことから男爵と触れ合った「私」は、ほかの客から一目置かれるようになります。
「男爵夫人の妹」The Sister of the Baroness(1910)
男爵夫人の妹が、口の利けない姪とともにペンションにやってきます。ボンからきた学生が彼女に夢中になり詩を捧げたりしていると、男爵夫人が遅れて現れました。珍しくオチのついた話です。聾唖の娘という設定も生かされています。
「フィッシャー夫人」Frau Fischer(1910)
年に一度ペンションにやってくるフィッシャー夫人。ずけずけとプライバシーに踏み込んでくる彼女に対し、「私」は架空の身の上話で対抗します。
「ブレッヘンマッヒャー夫人と村の結婚式」Frau Brechenmacher Attends a Wedding(1910)
村の結婚式に出席したブレッヘンマッヒャー夫人は、既に五人の子どもを持つ我が人生に思いを馳せます。自分の生涯とは何だったのか、また花嫁も自分と同じような道を歩むことになるのかと……。
この短編は、ペンションでのできごとを描いたものでもないし、「私」とも関係ありませんが、別の男との間に子を作りながら結婚式に出席する花嫁に、自分自身を投影しているのかも知れません。
「モダンなお嬢さん」The Modern Soul(1911)
女優のソーニャは母の療養に付き添っています。母を愛する一方、自分の才能を潰し兼ねない存在とも思っています。「私」は、母を教授と再婚させたらどうかと提案しますが、教授が好きなのはソーニャなのです。ややこしい関係をユーモアたっぷりに描いています。
安眠したくて寝る前にミルクを頼んだら、特別料金を取られて憤慨する教授。何が悔しいって、ミルクをみるたび腹が立ってきて、もう安眠のためには利用できなくなったというエピソードが楽しいです。
「レーマンの小店で」At “Lehmann’s”(1910)
レーマンの店で住み込みで働く少女サバイナ。奥さんの出産や、客の青年との淡い恋を通して、彼女がほんの少し成長する様を描いています。
「大気浴」The Luft Bad(1911)
男性は真面目に大気浴に取り組みますが、女性はひたすら中身のないお喋りを続けます。そうしたつき合いの苦手な「私」は、隅っこで大きな傘に隠れることにしました。
「出産の日」A Birthday(1911)
妻が三人目を出産する日。アンドレアスは、事業を引き継がせる息子の誕生に喜ぶと当時に、新婚時から変わってしまった妻に違和感を覚えます。ちょっとした心の動きを巧み捉えるのが上手です。それにしても、妊婦の話が多いですね。
「疲れきったねえや」The Child-Who-Was-Tired(1910)
昼は家の用事、夜は赤ん坊が泣き続け眠れない子守の少女。無邪気でショッキングなラストまで、チェーホフの「ねむい」とほぼ同じです。チェーホフの方は、朦朧として父が亡くなったときの幻覚をみるのですが、マンスフィールドは少女が母親に洗面器に顔を押しつけられ殺されそうになったエピソードを挟みます。残念ながら本家を超えることはできませんでした。
「進歩的な夫人」The Advanced Lady
小説を書いている進歩的な夫人。「私」はピクニックにいったとき、彼女と会話をし、女性に関する考えが全く進歩的でないことを知り溜飲を下げます。作家(の卵)としてのマンスフィールドの矜持が感じられる一編です。
「振り子の揺れ」The Swing of the Pendulum
作家志望のヴィオラは、金がなく部屋を追い出されようとしています。恋人のカシミアも同じくらい貧乏です。そんなとき、裕福そうな男性が間違って部屋を訪ねてきます。一瞬、心惹かれたヴィオラでしたが……。若く美しいけれど、お金だけがないヴィオラ。彼女が信じたのは恋人の愛でしょうか。それとも、自分の才能なのでしょうか。
「燃え上がる炎」A Blaze
結婚していながら、夫の後輩を誘惑し、なおかつ突き放すエルザ。彼女が欲しているのは愛ではなく、称賛の的となることです。当時ふたりの男性と関係していたマンスフィールドの答えが書かれているようです。
※:D・H・ロレンスの短編「ジミーと思いつめた女」Jimmy and the Desperate Womanのジミーのモデルといわれる。
『ドイツの田舎宿で』内田深翠訳、文化書房博文社、一九九六