読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『迷宮一〇〇〇』ヤン・ヴァイス

Dům o tisíci patrech(1929)Jan Weiss

 ヤン・ヴァイスは、チェコのイレムニツェ出身(当時はオーストリア=ハンガリー帝国の一部)。ほかに長編は訳されていないので詳しくは分かりませんけれど、SFやファンタジーを得意とした作家のようです。
 チェコのSF作家といえば、カレル・チャペックの名が真っ先にあがると思いますが(ふたりはほぼ同世代)、訳者によると『迷宮一〇〇〇』(写真)はチャペックの『クラカチット』(1922)と共通点が多いとのことです(僕は未読)。

 また、同じくチェコ出身のフランツ・カフカの『審判(訴訟)』(一九一四〜一五年に執筆。未完)は、ある朝、何の理由もなく逮捕された主人公が一年後に犬のように処刑される話で、ナチスの出現を予見したといわれています。
『迷宮一〇〇〇』にも、アウシュヴィッツを思わせる施設(ガス室で殺害し、死体を焼却炉で焼き、骨粉で化粧品を製造する)や、ヒトラーの如き独裁者が登場することから、同様の先見性を指摘されています。

 記憶をなくして目覚めた男は、自分が奇妙な塔にいることに気づきます。ポケットに残されていたメモなどから、自分がピーター・ブロークという探偵で、失踪したタマーラ姫を捜しにミューラー館と呼ばれる千階建ての塔に侵入したことを知ります。
 ミューラー館には、薬物によって欲望をコントロールされた労働者や囚われた美女らがいて、圧政に苦しんでいます。独裁者オヒスファー・ミューラーを崇める一部の特権階級もいますが、反乱を企てるグループもあり、ブロークは彼らと手を組み、ミューラーを打倒します。

 窓もドアもなく、外部から完全に隔離された巨大な迷宮であるミューラー館は、現代であればデスゲームや脱出系の小説の舞台となりそうです。
 しかし、ここでは独裁者が支配するディストピアと捉えた方がよいでしょう。主人公のブロークは透明人間であるがために、この異様な世界の客観的な観察者となることができました。

 ここで諷刺されるのは、主として富の独占です。ミューラーはソリウムという鉱物を独占し、巨万の富を得ました。それによって、彼はミューラー館において神の如くふるまうのです。当然、虐げられ、搾取された民衆は不満が募り、やがて爆発してゆくことになります。
 このとき、ヴァイスは理想として共産主義社会を思い描いていたようです。彼はソ連社会主義を羨望し、革命を強く待ち望んでいたため、このような作品を書いたのかも知れません(チェコスロバキア社会主義体制を確立したのは一九四八年)。

 一方、ミステリー、冒険活劇としての側面も見逃せません。
 ミューラーとは一体、何者なのか? ブロークは、いかにしてタマーラ姫を救出するのか? そして、姿をみせないミューラーをどうやって倒すのか?
 これらが読書の推進力となるため、千階建ての塔の探索も全く苦になりません。
 ブロークが叛乱軍の救世主(神)となり、戦闘に勝利する展開は爽快感に満ちています。この辺りは、難しいことを考えず、『七人の侍』や『スター・ウォーズ』のように楽しめばよいでしょう。

 しかし、その後に待っているオチは、現実的ではあるものの、安易すぎるのではないでしょうか。
 ネタバレになるので詳しくは述べませんが、上手く処理すれば夢野久作の『ドグラ・マグラ』やアンブローズ・ビアスの「アウルクリーク橋の一事件」に迫ることも可能だったかも知れないと思うと残念でなりません。

 なお、この本は、本文のノンブルが「1001」から始まっています(※)。なかなか洒落ていますが、巻末の「訳者あとがき」は普通のノンブルになっているので、ちょっとややこしいですね。

※:ちなみに、チャック・パラニュークの『サバイバー』は、427頁から始まって1頁で終わる。レイモンド・フェダマンの『嫌ならやめとけ』は「この物語のいかなる部分も順序をかえることができる。したがって頁数は無用であり、作者の自由裁量により数字は付さない」とのことで、ノンブルが振られていない。

『迷宮一〇〇〇』深見弾訳、創元推理文庫、一九八七

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