読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『令嬢クリスティナ』ミルチャ・エリアーデ

Domnişoara Christina(1935)Mircea Eliade

 ルーマニア宗教学者・作家ミルチャ・エリアーデが初めて書いた幻想文学が『令嬢クリスティナ』(写真)です。
 一言でいうと美女の幽霊が出てくる怪談で、前回の『キャンディ』とどんなつながりがあるのかというと、発表当時、この作品をポルノだとする騒ぎが起こったらしい。以後、エリアーデは二度とゴシック小説を書くことはありませんでしたが、それは、このできごとが影響しているのかも知れません。

 とはいえ、エリアーデ幻想小説は、オカルティズムや蘊蓄が満載の『ホーニヒベルガー博士の秘密』、不条理なほら話がシビアな現実に変わる『ムントゥリャサ通りで』、体制批判や芸術論を交えた難解な思索小説『19本の薔薇』など非常に幅が広い。しかも、『マイトレイ』『妖精たちの夜』といった一般の作品でも高い評価を得ています。そう考えると、単純な恐怖小説など、いくつも書く必要はなかったのでしょう。

 さらにいうと、吸血鬼を扱った小説として有名なシェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』(1872)や、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897)は、ハンガリーの殺人鬼バートリ・エリザーベトや、ルーマニアのワラキア公ヴラド三世(串刺し公)がモデルといわれています。ところが、レ・ファニュもストーカーもアイルランドの作家で、吸血鬼の伝説もアイルランドのものが元になっています。
 地元ルーマニア出身で、フォークロアや神秘学の専門家であるエリアーデとしたら、「そいつは、ちょいと違うぜ」といいたくなってしまったのではないでしょうか。そうした理由で、この小説を著したのなら、完全に目的を果たし終えたとも考えられます。

 そうしたことはともかく、奥深く、様々な解釈が可能で、政治色や宗教色の濃い後期の作品と比べ、予備知識なしでも十分に楽しめる『令嬢クリスティナ』は、エリアーデ入門編としても、ゴシック好きにも、お勧めの一冊です。
 あらすじは、こんな感じ。

 ルーマニアのとある地方の地主の屋敷に滞在している画家と考古学者が、若い女性の幽霊に出会います。それは、女主人の姉にあたるクリスティナという人物でした。三十年前に殺されたクリスティナには、様々な悪魔的伝説が残っています。彼女は、淫靡で、残虐なサイコパスであり、死者になってからも、若さを保つために人の精気を吸い取っていたのです。

 古い屋敷に現れる幽霊譚ではヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』が有名です。あちらは語り手の狂気がじわじわと伝わってくる怖さがあり、特に衝撃的だったのはフローラという少女が家庭教師の心の闇を見抜くシーンでした。
『令嬢クリスティナ』でも、重要な役割を果たすのはクリスティナの姪のシミナという少女です。彼女は、クリスティナの霊に取り憑かれていて、年齢に似合わぬアンバランスな行動をとります。感受性の強い少女が霊の媒介役を担うことはフィクションでよくありますが、画家のエゴールを手玉にとり、靴にキスをさせたり、裸にして体中を傷つけたりする場面は、ゾクゾクするほど怖く、美しい。

 いや、実をいうと、この作品は全編で女性の美と恐ろしさを描いているといっても過言ではありません(逆に主役のエゴールは、外見の描写すらほとんどない)。屋敷は、ほぼ女性だけで成り立っており、クリスティナやシミナ以外にも、狂気一歩手前のモスク夫人、シミナの姉で薄幸の美女サンダ、謎めいた乳母など印象的な女たちが登場し、個性を主張します。いわば男の作り出した歴史とは切り離された、怪しくも魅惑的な女の園といえます。
 そこへ迷い込んだ男たちは、ラストシーンで燃え上がる屋敷をみつめながら、「クリスティナは、本当に死んだのか?」ではなく、「誰が一番恐ろしいのか?」と悩んだのではないでしょうか。

『令嬢クリスティナ』住谷春也訳、作品社、一九九五

「吸血鬼」関連
→『吸血ゾンビ』ジョン・バーク
→『ドラキュラのライヴァルたち

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