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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『キャンディ』テリー・サザーン

Candy(1958)Terry Southern

「奇書」「ポルノグラフィー」つながりなら、テリー・サザーンの『キャンディ』を選ばないわけにはゆきません(前回が『マイラ』だったから、ジョン・バースの『キマイラ』も考えたが……)。大きな声ではいえませんが、僕はこの小説を偏愛していて、実はウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』よりも好きだったりします……。
 さて、『キャンディ』は、大きく、以下の三種類に分けられます。

1 一九五八年、パリのオリンピアプレスから発行されたマックスウェル・ケントン名義のもの。
  邦訳は、胡桃沢耕史(変名:磯村謙、清水正二郎)で、浪速書房や秀衛社から出ている。

2 発禁処分を受けた後、タイトルを『Lollipop』と変えて再発行したもの。

3 一九六四年、米国で、サザーン名義で発行されたもの。
  早川書房、角川文庫、富士見ロマン文庫はこれ。


 翻訳は数多く出版されていますが、コレクションする気はないので『カラー版キャンディ』(浪速書房、一九六八年)と角川文庫版しか持っていません。前者が1にあたり、後者が3にあたります。
 2は、1をタイトルだけ変えたもののようです。日本では1と同様、胡桃沢が訳した『飴ン棒ちゃん(ロリポップ嬢)』というヘンテコな書名の本があります。ただ、これはどうも1の抄訳みたいなので入手はしていません。
 3は、1をスリムかつソフトにしたものです。ストーリーはほとんど変わらないのに、ボリュームが半分程度しかないため、まるであらすじを読んでいるみたいで、面白さが半減しています。文学として楽しみたいのでしたら、絶対に1をお勧めします(原著にあたったわけではないので、ウィリアム・バロウズの『やわらかい機械』を創作した胡桃沢の訳を信じるとしたら、という前提での話になるが……)。

 ただし、1と3では、大きくふたつの相違点があります。
 ひとつは、親類の顔ぶれが異なること(1でのアイダ叔母の役割が、3ではアイダ伯母とリヴィア叔母のふたりに振り分けられている)。それによって親類が父の病院に集まったときのストーリーに違いが生じています。3では「クランカイト医師が実験と称して、意識不明の叔母(全裸)をみながら自慰行為に耽る。それを盗みみたキャンディが幻滅する」という大切なシーンが追加され、キャンディがニューヨークに旅立つ理由が明白になっています(ラストの叔母の手紙で、医師とのその後が語られる)。

 ふたつめは、クラッカー教団のキャンプにいってからのこと。1では、教徒グリンドルは飽くまで真面目に講義をし、キャンディの「処女を奪って欲しい」という望みを拒否しますが、3では、教団の石炭を売りさばいたり、キャンディの処女をあっさり奪ったりします。これによって、ラストの意味合いが大きく変わってしまいました(1では、キャンディは処女のまま)。個人的には、1の方が全然よいと思います。なぜ、このような変更をしたのか、理解に苦しむくらい……。
 ま、そうしたことがありますから、1と3を読み比べてみても面白いでしょう。

 なお、共同執筆者メイソン・ホッフェンバーグの名前は、本によって入っていたり入っていなかったりします(僕が持ってる角川文庫の古い版にはサザーンの名しかないが、その後の版にはホッフェンバーグの名も併記されている)。こちらも詳しい事情が不明なため、ここでは無視することにします。
 また、浪速書房の「カラー版」とは、柳柊二によるカラー挿絵が八点入っていることを意味します。映画(※1)が製作される前の本なので、スティル写真じゃないところがポイントです(挿絵+スティル写真という版もあるらしい)。

 やっと本題に入れますが、この作品を一言でいうと、キャンディ・クリスチャンという愛らしく、純真かつエロティックな十九歳の女子大生のセックス遍歴を描いたピカレスク小説となるでしょうか。
 ヴォルテールの『カンディードまたは最善説』のパロディといわれており(※2)、次々災難に見舞われるカンディードに対し、キャンディはセックス禍に見舞われます。何しろキャンディをみた男どもは、老いも若きも社会的地位も教養も、それどころか血のつながりも関係なく、とにかく欲情してしまうのですから、大変です。
 キャンディを取り巻く人物は、概ね類型的(知的で人望もあるが、実はアブノーマルな趣味を持っている大学教授、粗野なメキシコ人、軽薄な叔父、好色な叔母、権威を笠に着る老医師、男女の性愛こそが諸悪の根源であり、人類を救うのは自慰行為しかないと説く若手医師、屈折した円背の男、下心満載の産婦人科医、新興宗教団体のインチキ指導者などなど)で、ひとつひとつのエピソードは短く、一部を除いてつながりもないため、気楽に読めるでしょう。

 キャンディは、眉目麗しいだけでなく、素直で、優しい(悪くいうと馬鹿)ので、男たちの欲望や妄想にすぐ従ってしまいます(この辺は、人のよいカンディードの性格と似ている)。男が描く理想的な女性像ともいえますが、キャラの造形や展開の都合のよさは、ポルノ小説以上でも以下でもない。
 けれども、優れたポルノの多くが内蔵している笑いや毒や洒落っ気が『キャンディ』にもたっぷりと含まれています。そもそも「性」と「死」に触れるとき、人の本性は剥き出しになります。それを過剰なスラップスティックで調理しているのですから、面白くならないわけがありません。

 もうひとつ、この小説を高めているのは、意外で、すっとぼけたオチの存在です。これだけでも読む価値は十分にありますので、ぜひお手に取ってみてください。ポルノといっても、内容はとてもソフトで、今なら中学校の教科書に収録されても不思議でないくらいです(ちと、いいすぎか)。
 とはいえ、「世界発禁文学選集」「世界秘密文学選集」「愛の世界文学」などを発行していた浪速書房の本ですから、装幀がエロい。購入するのは少し恥ずかしいかも……。

※1:映画は一九六八年公開。日本では『イヴちゃんの花びら』というパロディ映画が作られたそうだが、残念ながらみたことはない。『ロリータ』のパロディである『セーラー服色情飼育』(可愛かずみ主演)は傑作なんだけど……。

※2:角川文庫版のあとがきには、同じくヴォルテールの『スカルマンタドの旅物語』の冒頭に「キャンディ(Candie)」という町の名前が出てくると書かれているが、これは「カンディア(Candia)」(イラクリオン)のこと。サザーンがそこまで意識していたのかは怪しい気がする。


『カラー版キャンディ』磯村謙訳、浪速書房、一九六八
『キャンディ』高杉麟訳、角川文庫、一九七〇