読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『毒物』フランソワーズ・サガン

Toxique(1964)Françoise Sagan

 フランソワーズ・サガンは、二十一歳のとき、自ら運転していた車で事故を起こし、重傷を負います。何とか一命は取り留めたものの、痛み止めに処方された875(パルフィウム)と呼ばれるモルヒネの代用薬の中毒に悩まされます。
 彼女は麻薬中毒から抜け出すため、療養所に九日間入院し、そこで日記を残しました。

 それを読んだベルナール・ビュフェが感銘し、モノクロのイラストとカリグラフィを加えたのが『毒物』(写真)です。
 新潮文庫サガン本の多くにはビュフェの絵が使われていたので、両者の組み合わせはしっくりきます。

 ところで、サガンが自らを語った本は、日本で以下の三冊が出版されています。
 『私自身のための優しい回想』(1984)エッセイ
 『愛と同じくらい孤独』(1976)インタビュー集
 『愛という名の孤独』(1994)インタビュー集

 サガンは後年、コカインの使用・所持で有罪判決を受けています。当然、それ以前から何らかの形で薬と接触していたと思うのですが、上記の三冊には自身の薬物使用に関する記載がほとんどありません。『毒物』で描かれた経験について語った箇所以外は、以下の僅かな受け答えがすべてです(※1)。

 −サガン伝説にはドラッグもありますよね。
「私は麻薬中毒だと言われたことがあります。お酒を飲まなくなった、あるいはお酒を少ししか飲まなくなった、カジノにも姿を現さなくなった、と。何か言われなくてはならないのでしょうね」
 −でも伝説には真実もありました……。
「もちろんです。私はスピードが好きでしたし、ウィスキーも、夜遊びすることも。それにドラッグもやってみました」(『愛という名の孤独』より)


 ギャンブル、スピード狂、アルコールに関してはきちんと取り上げ、サガン伝説や世間の噂は間違っていると釈明しているにもかかわらず、薬物の話題はあっさりとやり過ごしています(※2)。

 奔放なイメージのあるサガンでさえ、薬については触れにくかったのでしょうか。
 尤も、これは世間体や印象の問題ではなく、犯罪行為だからなのかも知れません(アンフェタミン製剤は一九七一年まで合法。なお、脱税に関しては、起訴されたのが上記の書籍の出版後なので当然ながら書かれていない)。
 理由はともかくとして、結果的に『毒物』は、サガンが薬物について克明に記した唯一の書物といえます。

 療養所でのサガンは、自分でモルヒネの量を調整しなければいけませんでした。さらに、それは療養所を出所した後も続いたそうです(『愛と同じくらい孤独』参照)。
 薬物依存症の治療が難しいことが理解されるようになった現代からみると、信じられないくらい雑なやり方です。これで薬物依存を克服しろというのは無茶だと思います。

 さて、禁断症状に苦しみながら、詩や小説を読んだり、日記を書いたりして過ごすサガン
 実は小説の執筆も試みようとしますが、さすがにそれは無理だったようです(アイディアとして「ボルジア家支配下フィレンツェ」が出てくる。これは後の『ボルジア家の黄金の血』に結びつくのだろうか)。

 苦しく集中力が続かない状況においても、サガンは文学から離れようとしない……というより、文学によってこの危機を乗り越えようとしているようにみえます。
 ギョーム・アポリネールシャルル・ボードレールジャック・プレヴェールアルチュール・ランボーマルセル・プルーストらが彼女に生きる力を齎してゆくのがよく分かります(他方、ウィリアム・フォークナーは響かなかった様子)。

 フランスには、ボードレールの『人工楽園』(※3)やジャン・コクトーの『阿片』など優れたドラッグ文学が存在します。
 しかし、それらは現代において受け入れられにくくなっていいます。なかには「薬によって生み出された芸術作品は認めない」なんてことをいう人もいて、今後ますます肩身が狭くなるでしょう。

 一方、『毒物』はドラッグ文学でありながら、それらとは性質が異なります。
 痛みと禁断症状の間をいったりきたりしながら、未来に希望を見出そうとするサガンの姿は感動的で、薬物依存に苦しむ人が読めば大いに励まされるような気がします。

 残念なのは、結局、サガンは薬物依存から抜け出せなかったことです。
 前述のとおり、当時は薬物依存症を治療のためのプログラムが確立されていなかったという面も確かにあるとは思います。それでも、文学の力でドラッグを完全に排除してくれていたら、この本の価値はもっと高まっていたのではないでしょうか。

 最後にイラストの方に触れておきます。
 ビュフェの棘のような描線は、サガンの不安定な精神を見事に視覚化しており、イラストの方こそ主と考える人がいても不自然ではないほど存在感があります。
 お洒落な大判の本なので、インテリアとして使用してもよさそうです。

 なお、『毒物』には、函のデザインが異なるものが存在します。黒い紙に白抜き文字で「毒物」と書かれたものと、オレンジ地に「TOXIQUE」と大きく書かれたものの二種類です。
 なぜ違うバージョンがあるのかは分かりません(増刷のときに変更されたわけでも、普及版と特装版といった違いでもなさそう)。
 古書価格に違いはなさそうなので、お好きな方を選択すればよいでしょう(僕はオレンジ地を買った)。

※1:「ビリー・ホリデイはこのあいだ舞台の上で何か麻薬を服用したために」とか「その両腕にはますます多く注射の痕跡が見られた」など他人のことは平気で書いている。

※2:例えば「カジノで大金をすったことなどなく、勝ったことの方が多かったのではないか」とサガンは書いている。しかし、ギャンブルで勝利したと感じるのは「儲かったとき」ではなく、「大きく負けていて、その後、盛り返したとき(結果的にはマイナス)」だそうだから、その記憶は余り当てにならない。

※3:二部は、トマス・ド・クインシーの『阿片常用者の告白』の翻案といわれている。


『毒物』朝吹登水子訳、求竜堂、一九六九

→『逃げ道フランソワーズ・サガン

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