読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『蜂工場』イアン・バンクス

The Wasp Factory1984)Iain Banks

 この本は、初刷が一九八八年三月で、二刷が一九九九年四月ですから、事実上の復刊でしょう(フェアに合わせた?)。今はまた品切れみたいですが、文庫なので新古書店でもよくみかけます。

 イアン・バンクスは、SFを書くときはイアン・M・バンクスという筆名を用います。角川文庫の『ゲーム・プレイヤー』にはMがついていますが、同じSFでも早川書房の『フィアサム・エンジン』にはMがありません。早川はミステリーも出しているため「イアン・バンクス」で統一する方針にしたのでしょうか。
 そもそもバンクスは、筆名を分けるつもりなどなく、ミドルネームを入れたかったそうです。しかし、デビューの際、P・G・ウッドハウスジーヴスシリーズやドローンズクラブシリーズに登場する架空の女流作家ロージー・M・バンクス(ビンゴ・リトルの奥さん)と混同される虞があるからMを取るよう、編集者に提案されたとか。
 尤も、ふたりのバンクスは作風がまるで異なり、ロージーの方は『Only a Factory Girl(一介の女工)』や『All for Love(すべては愛のために)』といったロマンス小説の作家ですから間違えようがない気もしますが……。

 英国本土と橋でつながっている島に、父とふたりで住む十六歳のフランク。
 秘密基地で動物を殺したり、小人の友人と飲みにいったりしながら、静かな(?)日々を送っていたフランクに、精神病院を抜け出した兄から毎日のように電話がかかってきます。やがて、兄が家に戻り、フランクは恐るべき真実を手に入れます。

「理性的な人だと思っていたら、とんでもないサイコだった!」なんてのがサイコスリラーの恐怖や驚きの源になったりしますが、この小説は最初っから、どいつもこいつも全速力でイカレっぷりをアピールしてくれます。

 主人公のフランクには戸籍がなく(父親が届け出なかった)、学校へも通っていません。幼い頃、犬にペニスを食いちぎられ、弟を含む三人の子どもを殺害しており、手製の火炎放射器や爆弾、空気銃で兎や鼠などの小動物を殺しまくっています。
 なお、タイトルの「蜂工場」というのは、フランクが作った蜂を殺す機械で、その死に様によって占いをするというものです。
 父親は生化学者らしく研究室にこもって何やら怪しい実験をしているようだし、犬を焼き殺した兄は、精神病院に入れられているし(脱走中)、母親は三年ぶりに帰ってきて子どもを産むとすぐ姿をくらましてしまうというデタラメぶり。そのほか、親戚も奇人変人ばかりなり……。

 余りにおぞましくて読み続けるのが辛くなります。が、作者に恐怖を演出しようという意図はなさそう……。
 つまり、この小説はホラーやスリラーではなく、恐ろしく歪な純文学なんでしょう。なるほど、売り方さえ工夫すれば、アゴタ・クリストフの『悪童日記』と並ぶ作品になっていたかもと思います。

 いや、実をいうと、バンクスは、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』を意識していたようです(作中にも出てくる)。精神病院、小人、身体障害、父親が誰だか分からない子ども、学校に通っていないこと、身近な者が次々に死んでゆくことなど、類似点が数多くあるからです。
ブリキの太鼓』も相当グロテスクですが、あれをさらに過激にすると『蜂工場』ができあがるって感じかしらん。

 尤も、そうしたタイプの文学は、読者に嫌悪感を齎し、「一体どんな意味があって、こんな不快なものを書いたのか」という疑問を持たれ兼ねません。
 その際、「誰の心にもある悪の種を誇張することで、歪んだ現代社会に警鐘を鳴らしているのだな」なんて答えに辿り着かず、「ひょっとすると、これは新しいタイプのホラー小説なのかも」と考える人が出てため、この小説はニューホラーなどと称されることになったのではないでしょうか。

 実際、それを可能にさせる要素が『蜂工場』にはあります。
 それが、最終章で明かされる衝撃の事実です。

 カバーにわざわざ「結末は、誰にも話さないでください」(写真)と書かれているだけあって、確かに吃驚するのですが、「これ見よがしにばらまかれた数多くの謎は、これがやりたいがための伏線だったのね」と思われても仕方なくなってしまうことも事実です。
 そうなると、フランクが人や動物を殺した理由も取ってつけたように感じられてしまうわけで、非常に評価が難しい作品だなあと思います。

 勿論、「小難しいことをぬかすんじゃねえ。俺は、とにかく驚かしてもらえりゃ文句はねえんだ」なんて人には自信を持ってお勧めできます。
 ボリュームも少なく、さらっと読めますので、ぜひどうぞ。

追記:二〇一九年三月、Pヴァインから復刊されました。

『蜂工場』野村芳夫訳、集英社文庫、一九八八

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