Burhān al-ʿasal(2007)سلوى النعيمي
『蜜の証拠』(写真)は、シリア出身のサルワ・アル・ネイミ(生年不詳)がレバノンの出版社から刊行した性愛小説です。
発行されるや否や話題になったそうですが、当然ながらアラビア語圏のほとんどの国では禁書にされました。逆にそれ以外の様々な言語に翻訳され、各国で出版されます。日本でも、刊行から三年後という比較的早い段階で訳本が出ています。
イスラームの女性には様々な制限や差別が存在し、またイスラームでは性の話題自体がタブー視されているというイメージが強いため、こうした書籍は驚きを持って迎えられたのかも知れません。
他方、僕のような素人はイスラームの文学というと『千夜一夜物語』や『匂える園』のようなエロティックな物語を真っ先に思い浮かべてしまいます。
両者は時代がかけ離れすぎているため、「翻訳された『源氏物語』を読んだだけで現代の日本の風俗を語る外国人」みたいな乱暴な話になってしまうのですが、そうしたイメージの乖離を修正する意図もあって、『蜜の証拠』を手に取ってみました。
「わたし」はアラブ出身で、思春期に友人から秘密の性愛書を借り、性に目覚めます。その後、パリに移住し、アラブの都市を訪れたとき、「思想家」という男と会い、愛人になった過去を持っています。
現在はパリの大学に勤めており、ある日、上司から、ニューヨークで開かれるシンポジウムのためにアラブの性愛書に関するエッセイを書くよう頼まれ、チュニスに向かいます。しかし、シンポジウムは中止となり、「わたし」は原稿を本にします。
この物語は、作者の経歴とほぼ一致しているようです。だからといって、自伝小説というわけではなく、様々な女性の恋愛、結婚、不倫、出産といった小さな物語を紹介しているのが特徴です(小説でなく、エッセイとして捉えることも可能)。
また、「イスラームの女性が書いたエロティックな文学」という惹句は少々大袈裟で、セックスシーンはほとんどなく、性的なイメージが中心となります。性愛小説がAVなら、こちらはイメージビデオと思っていただけば分かりやすいでしょうか。
それでも期待外れではありません。少なくとも僕は『蜜の証拠』にポルノグラフィを望んだわけではなく、イスラームの女性の性を垣間みたいという気持ちが強かったからです。
イスラームの女性の人権については、一夫多妻、幼児婚、女子割礼、接触制限、レイプ被害、名誉の殺人、ヒジャーブの着用など様々な情報が入ってきて、決して生きやすくはなさそうだなと感じてはいました。しかし、女性たちは一体どのように考えているのかは、よく分からないというのが本当のところでした。
残念ながら、アル・ネイミ自身はパリに住んでいる進歩的な女性であるため、アラブの女性たちの性が露わにされるわけではありません。また、宗教や制度、慣習を改革すべきと主張しているわけでもない。
この小説で描かれているのは、ごく当たり前に男性を愛し、セックスを欲する女性の姿です。それは、所属する社会や宗教とは関係なく、人間の自然な姿という気がします。
そして、「わたし」が思い出すのは専ら「思想家」との情事です。ふたりの関係は、もし公になったら鞭打ちや姦通罪で一生が台なしになっていたかも知れない危険と隣り合わせでした。
抑圧された状況下におけるセックスほど、激しく燃え上がるというのもまた真理なのでしょう。
『蜜の証拠』齋藤可津子訳、講談社、二〇一〇
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