読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『6人の容疑者』ヴィカス・スワラップ

Six Suspects(2008)विकास स्वरुप

 ヴィカス・スワラップの『6人の容疑者』(写真)は、武田ランダムハウスジャパンから刊行され、二年後に文庫化されました(RHブックス・プラス)。
 この出版社は、元々ランダムハウス講談社という社名でしたが、両社の提携が解消された後、武田ランダムハウスジャパンという名称になりました(その後、倒産)。
 ちなみに、映画『スラムドッグ$ミリオネア』の原作である『ぼくと1ルピーの神様』は、単行本がランダムハウス講談社の時代に刊行され、文庫化されたときは武田ランダムハウスジャパンでした。

 社名が違うためやむを得ないのか、単純なミスなのか分かりませんが、この二冊は著者名の表記が異なります(訳者は同じ)。
『ぼくと1ルピーの神様』がヴィカス・スワラップで、『6人の容疑者』がヴィカース・スワループですから、わざわざ変更するほどの違いとは思えません。検索がしにくくなるので、統一してもらいたかったです。

 もうひとつ面白いのは『ぼくと1ルピーの神様』という邦題が、原題『Q and A』とも、映画のタイトル『スラムドッグ$ミリオネア』とも関係ない点です。普通は、どちらかに合わせるので、極めて珍しい例といえます。少なくとも文庫化の際には、映画が公開されていたわけですから、タイトルを変更してもよさそうなものです。
ラスベガス★71』同様、かなりレアなケースですね。

『6人の容疑者』に話を戻します。まずは、あらすじから。

 内務大臣の息子ヴィッキー・ラーイは人間の屑で、過去に何度も殺人を犯しているにもかかわらず、父親の力で罪を逃れてきました。その彼がパーティで射殺されます。容疑者は、銃を所持していた以下の六人です。
 州の前首席事務次官モーハン・クマール、ボリウッドの人気女優シャブナム・サクセーナー、オンゲ族の若者エケティ、携帯電話泥棒で生計を立てているムンナー、州の内務大臣でヴィッキーの父ジャガンナート・ラーイ、結婚のためインドを訪れているアメリカ人ラリー・ペイジ(グーグルの創業者と同姓同名)。
 彼らが殺害現場にやってくるまでのドラマを描くことで、意外な結びつきと殺害動機がみえてきます。

 タイトルやあらすじから、オーソドックスな推理小説を想像される人もいるでしょう。勿論、ミステリーとしても楽しめるのですが、謎解きは重要な要素ではありません。
 スワラップは、時間と空間をバラバラに提示し、最後にそれが一点に結びつくという構成を得意にしています。処女作の『ぼくと1ルピーの神様』では、下層階級の青年ラム・ムハンマド・トーマス(ヒンドゥー教イスラム教、キリスト教の名前を持つ)の人生を細切れにし、クイズの問題を媒介に再構築しました。
 無学な青年がクイズの答えを知るに至った経緯が説明されるなかで、ラムにとっての重要人物が過去に既に現れていたり、あらゆる苦難や不運が幸福への伏線だったりと、最後には何もかもがピタリと枠に嵌まります。
 いくら何でも都合がよすぎるなと思わなくもないですが、読了後の爽快感が格別なので、文句をつける気にはなりません。

 一方、『6人の容疑者』は、年齢も性別も人種も職業もカーストも異なる六人の過去を追いかけつつ、現在の殺人事件にどうつながってくるのかを描いています。
「殺人」「容疑者」「動機」「証拠」「解決」「告白」という大きな章があり、さらに各章は六つの節に分かれています(例外もあり)。そのなかでひとりひとりの人生が別々に描写されるのです。主要人物たちは弱いつながりを持っており、それがクライマックスで重要な意味を持ってきます。

 また、一人称、三人称、会話のみ、日記形式、記事など節ごとに叙法を変えています。
 読者を飽きさせない工夫でもあり、今、誰の話をしているのか混乱させないための措置でもあるようです。何しろ六人の容疑者にはそれぞれ関連人物がおり、総合すると膨大な人数が現れては消えてゆきますから……。

 とはいえ、実際は、登場人物の多さや聞き慣れないインドの固有名詞に戸惑うことなどほとんどありません(『ぼくと1ルピーの神様』でも、どの事件がいつ起こったか分からなくなることはなかった)。
 それはバラエティに富んだ叙法の効果というより、スワラップの優れたストーリーテリング能力のお陰だと思います。
「死者に憑依される」「自分に瓜ふたつの人物が現れる」「ギャングの隠した大金を拾う」「部族の宝を奪い返しに都会へやってくる」「結婚詐欺に引っ掛かる」など古典的なネタを用いて、息もつかせぬ展開に持ち込む手腕は、読者との駆け引きに長けたベテラン作家のそれで、「外交官の書いた二作目の長編小説」とはとても思えません。
 スワラップのエンターテインメント作家としての力を、わずか二作にして僕はすっかり信用してしまいました。とにかく安心して身を任せていられるのです。

 特に優れているのは「動機」の章です。サスペンス小説は、犯罪に巻き込まれてゆく過程が最も読み応えがありますが、それが六人分もあるのですから、満足度は非常に高い。
 勿論、推理小説として謎に対する興味も持続しているわけで、さらに読書の推進力が上がります。遅読の僕でさえ、一気に読み終えてしまいました。

 ミステリーファンが気になるであろう謎解き部分は、恐らく予測の範囲内だと思います。僕は「ムラーリ・K・タルリ監督の映画『明日、君がいない』」のパターンかなと思っていたら、ほぼそのとおりでした(人数が六人である点も共通している)。
 また、伏線を集めて、論理的に解明するといった形式ではないため、肩透かしを食う可能性もあります。

 しかし、繰り返しますが、この小説で重要なのは謎解きではありません。
 真相が明らかになると同時に「腐敗した政治家、役人、警察関係者に立ち向かうジャーナリスト」という隠されたテーマがみえてくる仕掛けになっており、それにはこの結末、この犯人しかなかったといえます。

 なお、『ぼくと1ルピーの神様』の主人公ラムと友人のサリム・イリアシが名前だけ登場します。ちょっとしたお遊びですけれど、旧友に再会したような懐かしさを感じます。

『6人の容疑者』〈上〉〈下〉子安亜弥訳、RHブックス・プラス、二〇一二

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