読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『女と人形』ピエール・ルイス

La femme et le Pantin(1898)Pierre Louÿs

 この本は、いかにも角川文庫らしく映画の公開に合わせ二回タイトルを変えています。
 元々は原題どおり『女と人形』という邦題でしたが、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画の邦題が『私の体に悪魔がいる』(1959)になると、書名もそれに変更されました。
 その後、ルイス・ブニュエル監督が『欲望のあいまいな対象(Cet obscur objet du désir)』(1977)として映画化(原作ではなく、「Inspiré de l'oeuvre de Pierre Louÿs "La femme et le Pantin"」と書かれている)すると、再び書名を変えたのです(※)。

 ただし、僕が持っている本はカバーのみ『欲望のあいまいな対象』で、本体は『私の体に悪魔がいる』です(写真)。
 映画化に合わせて、「あとがき」だけ差し替えて増刷したため、このような形になったのでしょう。これはバーナード・マラマッドの『ナチュラル』と全く同じパターンです(本体は『汚れた白球』のまま)。

 ピエール・ルイスは、高踏派詩人で、古代ギリシャに題をとった『ビリティスの歌』や『アフロディット』が代表作です。
 一方、『女と人形』は現代(当時)のスペインが舞台なので、古典の素養がない僕はこちらを選択することになります。中編といえるくらいのボリュームなので、さくっと粗筋を書きます。

 セビリアを訪れていたフランス人のアンドレ・ステヴノルは、謝肉祭で魅力的な女性コンセプシオン・ペレス(コンチャ)に出会います。アンドレは友人のスペイン人ドン・マテオに相談すると、コンチャは危険な女だと忠告されます。そして、マテオは過去を物語ります。
 パリから帰る汽車のなかでコンチャに出会ったマテオは、その後、セビリアで再会し、愛人にしようとします。コンチャの世話をしたり、母親の借金を返したりしますが、体を許してはもらえません。何度もコンチャに逃げ出され、また出会うのを繰り返しますが……。

 中年男性と少女の恋愛を描いた作品は、古今東西、数限りなくあります。
 しかし、コンチャは、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』のロリータや、谷崎潤一郎の『痴人の愛』のナオミとは異なり、最初から男を手玉に取ることを目的としているようにみえます。少女の未熟な性的魅力が中年男を捕らえるというより、外見の若さと裏腹に中身は手練手管の熟女といった感じなのです。
 身も蓋もないいい方をすると、コンチャはマテオのことを一ミリたりとも好きになったことはなく、金だけ運んでくれる薄汚い豚としか思っていない。後半になるとマゾっ気を発揮しますが、嫌な男とつき合うのも、あるいはそうした気質のせいかも知れません。

 ディーノ・ブッツァーティの『ある愛』の主人公も若い女性にいいように使われるけれど、それと違うのは男の態度です。
 マテオはひたすら少女にのめり込んでゆくのではなく、飽くまで受け身なのが特徴です。彼はコンチャに惚れているし、金も知恵もある癖に、行動に思い切りが足りません。毅然とした振る舞いをするか、情けなくも必死にすがりつくかすれば、別の展開が待っていたかも知れないのに、と思います。
 いや、直截な表現をすると、好きな女がいるのにセックスをしないなんて愚の骨頂であると作者はいいたいのでしょう。
 そのために恋愛は上手くゆかず、最後の方で、ようやく暴力とセックスに頼るものの、ときすでに遅く、失ったものは返ってきません。

 コンチャ側からみると、タイトルどおり、男はどのようにも操れる人形であり、何をしても構わない玩具なわけです。
「人形のような少女」なんて表現は、可愛くて従順な少女に使われますが、「人形のようなおっさん」では格好がつきません。

 とはいえ、『女と人形』が、中年男性と少女の恋愛ものというジャンルのなかで、今なお輝いているのは正にその点が異質だからです。
 若い女に溺れまくって破滅するのではなく、愛に向かって狂ったようにすべてを捨てて突進できない中途半端な男の悲劇を描いているといいましょうか。

 そう考えると、『女と人形』は十九世紀の作品でありながら、極めて現代的なテーマを扱っていることが分かります。
 コンチャとマテオを、パパ活をする強かな少女と、草食系の男性に置き換えれば、今でも違和感なく読めるでしょう。

 最後に、『欲望のあいまいな対象』の話を……。
 この映画は、『女と人形』が原作ではなく、飽くまで「インスパイアされた」とありますが、舞台を現代に移し、骨組みを利用して細部を肉づけしているといった感じです。
 男は女の操り人形というより、何度も離れたりくっついたりしながら、お互いに依存している関係にみえました。
 結局、一度も性交しない点は原作よりしっくりきましたが、最初から最後までやたらとテロを匂わせている点はこの映画のテーマとは相容れない気がします。

 ヒロインのコンチータを、フランス人とスペイン人の女優が演じ分ける意図は、正体が掴めないことを表しているのでしょうか。フランス人のキャロル・ブーケは知的で、スペイン人のアンヘラ・モリーナはコケティッシュというのが面白かった。
 ついつい、好みの方(僕の場合はモリーナ)の登場を期待してしまうというのは、ほかの映画では味わえない感覚です。

※:『女と人形』は六回映画化されており、映画の邦題にはほかに『新カルメン』『西班牙狂想曲』などがある。

『女と人形』飯島正訳、角川文庫、一九五六

ジュリアン・デュヴィヴィエ映画化作品
→『陽気なドン・カミロ』『ドン・カミロ頑張る』ジョヴァンニ・グァレスキ
→『地の果てを行く』ピエール・マッコルラン

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