読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『キラー・オン・ザ・ロード』ジェイムズ・エルロイ

Killer on the Road(originally published as "Silent Terror")(1986)James Ellroy

 ジェイムズ・エルロイの『キラー・オン・ザ・ロード』(写真)は、「ロイド・ホプキンス」三部作と「LA」四部作の間に出版されたノンシリーズの長編です。

 エルロイのシリーズもの(その多くは刑事が主人公)を正統だとすると、サイコキラーの視点で描かれた『キラー・オン・ザ・ロード』はそれらとは外れた異質な作品にみえるかも知れません。
 しかし、トラウマを生み出した悲惨な過去を持ちながら異常犯罪に立ち向かうホプキンスにしろ、ブラックダリア事件にしろ、サイコパスの存在は決して無視できません。つまり、シリーズものが横糸なら、『キラー・オン・ザ・ロード』は縦糸をなすといえるのです。

 また、『キラー・オン・ザ・ロード』の主人公は、ロサンジェルス育ち、両親の離婚、母の死とそれを安堵したこと、ノゾキや盗みを犯し服役したことなど、エルロイの経歴と重なる点が多くあります。
 自伝的とはいえないまでも、自分の半生をフィクションとして再構築したという意味で、初期の重要な作品なのではないでしょうか。

 一九八三年、ニューヨークの新聞は、四人を殺害した罪でマーティン・マイクル・プランケットいう三十五歳の男が逮捕されたことを伝えました。「変態死刑執行人」という渾名をつけられたプランケットは、もっと多くの殺人を犯しており、それを回想録として出版したいといいます。
 LAで生まれ育ったプランケットは、母親の死後、ノゾキや盗みを繰り返し、刑務所に収監されます。そこで出会ったチャールズ・マンソンが、自らの手で人を殺すことのできない似非犯罪者であると見抜き、出獄後、より大きな犯罪に手を染めることにします。
 サンフランシスコを皮切りに全米を渡り歩き、五十人以上を殺害したプランケットは、ニューヨークでついに逮捕されます。

 エルロイの小説は、複数の視点人物、登場人物の多さ、構成の複雑さ、刈り込まれた文体、全編に漂うペシミズムのせいで、決して読みやすいとはいえません。読み始めると引き込まれるものの、読了後はドッと疲れに襲われるのが常なのです。
 しかし、『キラー・オン・ザ・ロード』は初期の作品のせいか、読者に負担を強いることはありません。プランケットの手記に、新聞や雑誌の記事や調書が挟み込まれるという分かりやすい体裁(※)ですし、登場人物の多くは殺されてしまうため、長く覚えておく必要はないからです。

 それはともかく、『キラー・オン・ザ・ロード』の最大の特徴は、プランケットの動機や手口に一貫性がないことです。
 フィクションに登場するシリアルキラーは大抵、それぞれの犯行に共通点がみられます。例えば、娼婦ばかりを狙うとか、犯行現場に痕跡やサインを残すといった具合です。読者はそれを手掛かりにして、犯人の心の闇に侵入することになります。

 ところが、プランケットにはそうしたこだわりがありません。
 殺害したカップルを全裸にし、性交しているかのようなポーズを取らせることもあれば、全身を切り刻むこともあります。被害者の年齢・性別・経歴などに共通点はないし、凶器も銃だったり斧だったりします。死体に「SS」という文字を刻むことはありますが、それもすべてではありません。

 敢えてバラバラな手口を選ぶのは、そうした性向だからではなく、犯人像を特定されないようにするためです。彼にとって最も大切なのは犯行が露呈しないことで、そのために細心の注意を払い、無駄なことは余りしない。
 逆にいうと、サイコキラーにありがちな自己顕示欲やゲーム性といったものはほとんど感じられないのです(唯一目立った行動は、SSの意味について警察に電話して教えたこと)。

 肝腎な殺害の動機もはっきりしません。
 若い頃からシュラウド・シフター(SS)というアメコミのヒーローの幻影が現れてプランケットに指示をしますが、それもいつの間にか消えていたりするし、マンソンとの出会いもシリアルキラーになる理由としては弱い。後に、もうひとりの殺人鬼であるロス・アンダースン刑事と知り合い、競い合うように殺しまくるのも荒唐無稽さばかりが目立ってしまいます。
 性的快楽を得るといった描写もあるものの、それほど比重は大きくなさそうです(そもそもヘテロなのかゲイなのかもよく分からない)。また、金銭やクレジットカードを奪うので、それが主目的にみえなくもありません。

 ロバート・ブロックの『サイコ』のノーマン・ベイツをはじめとして、フィクションのサイコキラーの場合、殺人を犯すきっかけとなった心の傷や過去について、分かりやすく説明されることが多いのですが、プランケットはその点も明確ではありません。
 両親の離婚や母の死を経験しているものの、それらは特殊なできごととはいえないでしょう。衝撃的な過去を持つ前シリーズの主人公ホプキンスに比べると、プランケットは平凡すぎます。

 このようにプランケットは典型的なサイコキラーとはかけ離れすぎており、というか、とらえどころがなさすぎて小説の主人公としてもキャラが弱い。エルロイは、どうしてこんな人物を造形したのでしょうか。
 ……と考えて、ふと気づきます。分かりやすい動機や過去、精神疾患、共通のルールを持たないシリアルキラーの方が寧ろ恐ろしいのではないかと……。

 彼は、手口を変え、他人の身分証やクレジットカードを手に入れ、変装をし、各地を転々とし、自分を消し去ろうとします。正に「透明な存在」を目指すサイコパスなのです。
 何食わぬ顔をして社会に紛れ込んだ殺人鬼は、捕まりにくいし、防御もしにくい。被害者にとってみると、元々の原題どおり「Silent Terror」であり、いつ、誰が、どんな理由で狙われるか見当もつかないという恐怖を齎します。

 トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』(1988)のヒットをきっかけに一九九〇年代には数多くのサイコスリラー小説が出版されました。しかし、『キラー・オン・ザ・ロード』はブームの前に書かれた作品です(さらにいうと、神戸連続児童殺傷事件よりも前)。
 にもかかわらず、ある意味、究極のシリアルキラーを生み出してしまったエルロイは、やはり狂気や暗黒に取り憑かれた作家といえます。
 尤も、エルロイのことですから、ブームの後であったら、こんなテーマでは執筆しないでしょうし、そうするとプランケットという特異なキャラクターも存在しなかったわけで、芸術にはタイミングが重要だとつくづく思わされます。

※:記事が先に掲載されるため、事件のあらましが前もって分かってしまうが、ラストにはサプライズが用意されているので、ご心配なく。

『キラー・オン・ザ・ロード小林宏明訳、扶桑社ミステリー、一九九八

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