読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『解放されたフランケンシュタイン』ブライアン・W・オールディス

Frankenstein Unbound(1973)Brian Wilson Aldiss

 中高生の頃はSFブームだったので、僕も人並みに内外のSF小説を読みました。けれど、ハードなものや、ぶっとんだ作風にはついてゆけず、早い時期に落ちこぼれてしまいました……。それからは、余り難しくない海外の古典や名作を中心に、ささやかに楽しんでいます(こういう中年は、結構多いと思う)。
 そんな僕の好きな作家のひとりが、ブライアン・W・オールディスです。

 夢中で読んだのは十代の頃(一九八〇年代)でしたが、今世紀に入ってからも『A.I.』と『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』の映画化によって、訳本が出版されたのはラッキーでした。
『A.I.』の原作は三連作の短編のため、それらを収めた短編集『スーパートイズ』が竹書房から発行されました。ファンとしては、比較的新しい短編が読めて嬉しかったのですが、映画の原作という理由で購入したSFと無縁の人にとっては、相当きつかったのではないでしょうか。
 というのも、全体の八割くらいは「スーパートイズ」と無関係の短編で、しかも、SF独特の文体と、特殊な想像力が必要なものばかりだったからです。さすがにマズいと思ったのか、文庫化されたときは、二十一あった収録作品数を十三に減らしてありましたけど……。

 さて、『解放されたフランケンシュタイン』(写真)は、タイトルから分かるように、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス(Frankenstein : or The Modern Prometheus)』(1818)、そして、その夫パーシー・ビッシュ・シェリーの『鎖を解かれたプロメテウス(Prometheus Unbound)』(1820)のパロディないしオマージュです(※1)。
フランケンシュタイン』は、人体創造、人造人間(機械人形)、死者蘇生、マッドサイエンティスト(原作では、ただの学生)などSFやホラーの素材の宝庫ですから、そのパロディ作品も多種多様です(オールディスに近いところでは、アラスター・グレイの『哀れなるものたち』がお勧め)。
 オールディスもSFの先駆的作品と評価しており、自ら著したSF史『十億年の宴』において、一番最初に『フランケンシュタイン』を取り上げています〔一番最後はアンナ・カヴァンの『氷』(1967)〕。

 それをどう料理したのかというと、こんな感じ。
 二〇二〇年。核戦争の影響によって、地球の至るところでタイムスリップ現象がみられるようになっていました。これは、突然、異なる時代・場所が一定の空間ごと出現し、数時間から数日後に元に戻るというものです。
 元大統領顧問のジョーゼフ・ボーデンランド老人は、そのタイムスリップによって、過去に置き去りにされてしまいます。ジョーが訪れたのは一八一六年のジュネーブ。そこで、虚構のなかの人物だと思っていたヴィクター・フランケンシュタインや、彼の作り出した怪物と出会います。
 それどころか、ジョーは、シェリー夫妻(※2)、その友人のジョージ・ゴードン・バイロンとも知り合いになるのです。
 やがて、メアリーと恋に落ちたジョーは、彼女の生み出した怪物を抹殺するため、立ちあがります。

 有名すぎる古典は「既に内容を知っている」と思い込んでしまうためか、意外と読まれなかったりします。上述の如く、『フランケンシュタイン』には映画や模倣作品が多く、しかも、それらのほとんどは原典を都合よく改変しています。そのせいで、本物の正確な姿は伝わっていないような気がします(特に怪物の性格にギャップがある)。
フランケンシュタイン』は、SFやホラーの元祖であるのは勿論ですが、恋愛小説、回想録、旅行記、諷刺小説など様々な読みを可能にさせる作品です。加えて、三重構造の書簡体小説と、構成上も読者を飽きさせない工夫がされています。
 そのため、未読の方は、まずは本家を読んでみて欲しいと思います。欲をいえば、ついでにメアリー・シェリーの年譜にもざっと目を通しておいてもらいたい。
 オールディスは、本家のストーリー、そして、作品が生まれた過程を、まるでルポルタージュのように正確になぞっていますので、原典や作者を知ることによって、間違いなく面白さが増すはずです。

 なお、パロディ作品としての白眉は、原典では実現しなかった「怪物の花嫁(※3)」に関して、ある合理的な解決がなされている点です。
 ネタバレになるため、これ以上は書きませんが、これも本家を読んでいないと相違点が分からず、読み流してしまう虞があります。それじゃ勿体ないですからね。

 さて、この作品のもうひとつの読みどころは、単なるタイムスリップではなく、現実と虚構が入り混じってしまう点にあるでしょう。
 ほかでは余り聞いたことのない斬新なアイディアですが、かなりの荒技であることは間違いないので、処理やオチを上手く決めないと、読者を納得させることはできません。
 この作品では時間や空間に歪みが生じ、ジョーがふたつの世界をいったりきたりするという設定になっています。それでスッキリとまではいかず、やや苦しい感じがします。けれど、読み進めてゆくうちにオールディスの狙いがみえてくるため、さほど気にはならないでしょう。
 その狙いとは、次のようなものです。

フランケンシュタイン』は、自ら作り出した怪物に翻弄されるヴィクターの苦悩を描いていますが、『解放されたフランケンシュタイン』では、原作者のメアリーが「現代のプロメテウス」であるヴィクターの存在に悩まされるのです。
 しかし、メアリーは、自作の登場人物であるヴィクターと接触することができません。そこで、代理を務めるために遣わされたのがジョーなのです。
 ヴィクターを葬り去ったジョーは、最早メアリーとは別の次元、つまり虚構の存在に成り果てます。そうなると、次にすべきことはひとつしかありません。
 そう。今度は、ヴィクターに成り代わり、ふたりに増えた怪物と対峙するのです。
 クライマックスの舞台は『フランケンシュタイン』と同じく、氷に閉ざされた世界(※4)。原典同様、哀しく救いがありませんが、美しさでも引けを取りません。

 さらに、ジョーは、オールディスの分身でもあります。彼は、敬愛する大先輩作家がなしとげられなかった「怪物の解放」を目指します。
 しかし、様々なジャンルにおいてパロディ、模倣作品、二次創作物が生まれていることから分かるとおり、「フランケンシュタインの怪物」はとっくの昔に万人のものになっており、遥か未来に向けて拡散しているのではないでしょうか。

※1:そもそも『鎖を解かれたプロメテウス』は、アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』のもじりなので、パロディのパロディになるか。なお、後年、オールディスは『Dracula Unbound』(1990)という作品も書いている。また、アンドレ・ジッドにも『鎖を離れたプロメテ(Le Prométhée mal enchaîné)』(1899)という作品がある。

※2:メアリーが『フランケンシュタイン』の執筆を始めたのは一八一六年六月。このとき、パーシーには妻(ハリエット)がいた。ハリエットは同年十二月に自殺し、その直後、メアリーは正式にパーシーと結婚する。この年、メアリーは十九歳。彼女もまた早熟の閨秀作家であった。

※3:ボリス・カーロフ主演のハリウッド映画『フランケンシュタインの花嫁(Bride of Frankenstein)』(1935)のノベライズは、『フランケンシュタインの子供』(角川ホラー文庫)というアンソロジーで読める。この本には、メアリー・シェリーの短編も二編収録されているので、お勧め。

※4:カヴァンの『氷』とも響き合う。


『解放されたフランケンシュタイン』藤井かよ訳、早川書房、一九八二

→『マラキア・タペストリ』ブライアン・W・オールディス

フランケンシュタイン』関連
→『サセックスのフランケンシュタイン』H・C・アルトマン
→『フランケンシュタインのライヴァルたち

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