今、『山本周五郎探偵小説全集』(写真)を読んでいます(ちょうど一巻を読み終わったところなので、以下はそこまでの話になる)。
これが、思いのほか楽しい。
元々、少年向けの探偵小説(漫画も)が好きで、探偵小説家の書いたものはそこそこ読んでいるのですが、今回はそれらとは、ちょっと違った気持ちで手にとりました。
編者が解説で色々と書かれていますけど、正直、個々の作品をどうこういう気にはなれません。実際、研究者でもマニアでもない僕が、この価格とボリュームの全集を購入した理由は「あの周五郎が、若い頃、少年小説を書いていた」もしくは「少年小説を書いていた周五郎が、後年、あの周五郎になった」という興味以外の何ものでもなかったからです。
そういう意味では、後の名作とのギャップを感じられたし、逆にとぼけた味わいは変わらないなあと思ったりもして、十分満足しました。
二十一世紀になって、こんなものが読めるとは思っていなかっただけに、こうした企画はとてもありがたいです。
なんて書くと、資料的価値しかないと思われそうですが、さにあらず。ここに収められた少年ものは、どれも本当に楽しい。
いい歳したおっさんが読んでもワクワクするし、妙に続きが気になります。悪くいえば荒唐無稽で、いい加減。よくいうと、自由奔放で痛快。
さっきと矛盾したことをいってるようですが、要は一編一編、噛み締めるように読んだり、分析したりする必要は感じないってことです。そもそもこうした小説は、テンポよく頁を繰って、気がついたら読了していたというのが理想でしょう。
周五郎は、探偵小説を、不本意ながら生活のために書いた、とされていますが、作者が嫌々書いているもんなんか、白けちゃって読めやしません。不満や焦りを抱きつつも、執筆中はやっぱり「さあ大襲撃だ、戦争だあっ!!」とか「畜生め、今度は負けやしねえぞ!!」とか叫んでいたんじゃないでしょうか (笑)。
そして、どの作品も、確かに、若い読者を熱中させる生き生きとしたエネルギーに満ちあふれています。
児童向けミステリーの末席を汚す者として、見習うところの多い作品集でした。
僕も、こんな風に理屈抜きに楽しめるような小説を書きたいなあ。大文豪と張り合うつもりはさらさらないけど、ちょっと悔しい。
『山本周五郎探偵小説全集』1〜6、別巻、作品社、二〇〇七〜二〇〇八