The Assistant(1957)Bernard Malamud
最近、バーナード・マラマッドの名前を、ネット等で頻繁にみかけるようになりました。懐かしいなと思って検索したところ、柴田元幸が訳した『喋る馬』という短編集が二〇〇九年に出版されていたことが分かりました。
なぜ、三年も前の本を話題にするかというと……。
かつては翻訳小説が充実している書店に毎日のように通っていたのですが、近頃ではネットで本を購入することが増えたせいか、余り足を向けなくなりました。ネットは便利な点も多いけれど、こまめに情報を集めないと、新刊が出ていることに気づかなかったり、どんな本が流行っているか分からなかったりといったデメリットがあります。
ものぐさな僕は、そのせいで、いつの間にか世間とは大分ズレてしまっていたんですね。ま、今さら流行を追っても仕方ないから、いいんですけど。
さて、慌てて本棚を漁ってみると、新潮文庫の『アシスタント』(写真)と『マラマッド短編集』が出てきました。いずれもほとんど内容を覚えていなかったので、この機会に再読してみることにしました。
『マラマッド短編集』の方は、傑作揃いだったと改めて感心しました。ユダヤ臭さが気にならなければ万人受けしそうな面白さを備えている割に、結末の解釈を読者に委ねるものが多い点が好みに合います。個人的には「われを憐れめ」や「魔法の樽」が特に好きです。
なお、邦題は『マラマッド短編集』ですが、中身は第一短編集である『The Magic Barrel』(全十三編)そのものです(当時、新潮文庫は「作者名+短編集」というタイトルが多かった)。一方、角川文庫の『魔法のたる』には三編、荒地出版社の『魔法の樽』には十編しか収録されていません。
一方、長編『アシスタント』は、こんな話です。
孤児として育ったイタリア系移民の青年フランクは、仲間とともに閑古鳥の鳴く食料品店へ押し入り、わずかな売り上げを奪い、ユダヤ人の主人を傷つけます。けれど、罪の意識から、その店の手伝いをするようになり、やがてその家の娘、美貌のヘレンに魅かれてゆきます。
ヘレンは、大学へ通えないほど貧しい生活をしていることに憤りを感じ、飛翔することを夢みています。他方、フランクは小さな食料品店で働くこと、またユダヤ人とつき合うことを潔しとしません。
にもかかわらずフランクは、過去の罪を贖おうと献身的な努力をし、ヘレンに魅かれ、ついには割礼までしてユダヤ人に同化するのです。
基本的にはニューヨークの下町に住む貧しいユダヤ人を主役にした短編とトーンは同じです(ラストを明確にしない点も似ている)。短編が辛く苦しい人生の一場面を切り取ったものなら、長編は登場人物が多く、より厚みが出る分だけ、やる瀬なさも倍増しています。
人生とは、耐え忍ぶこと、苦しむことであるならば、ユダヤ人はそれを最も分かりやすく体現した存在であるともいえます。といっても、差別され虐げられる者の叫びや怒りといった激しい感情ではなく、静かな諦念が底に流れている感じ。
例えば、店主のモリスは、シナゴーグへはいかず、ユダヤ教の休日にも店を開けています。その癖、店が流行らないのは、自分がユダヤ人であるせいだと承知しており、ほとんど家の周囲から離れず、近所のユダヤ人の二家族としかつき合おうとしません。フランクに対しても好感を覚えながら、非ユダヤ人であるため、なかなか受け入れられないのです。
根っからの善人ではありながら、心が弱く、娘のヘレンの言葉を借りると「自分で自分を犠牲者にした」人です。
この辺が黒人文学とは随分と趣が違う点でしょう。僕なんかは内省的で卑屈なのが大好きなので肌に合いますが、鬱陶しく感じる人もいると思います。短編集では、ユーモアに溢れた作品も多く収録されていたので息抜きができましたが、長編はそれがない分、より辛いかも知れません。
とはいえ、奇を衒わず、小さなできごとをひとつひとつ丁寧に積み重ねてゆき、それでいて全く飽きさせない筆力はさすがです。地味ながらも、惚れ惚れするほど完成度が高く、いい意味で良質な短編を読み終えたような読後感をもたらしてくれます。
テーマとしてはあるいは古めかしくなってしまったかも知れませんが、優れた技巧といい、細部まで目のゆき届いた丹念な描写といい、マラマッドの職人技を堪能できる最適の作品です。
追記:後日、『喋る馬』を買いました。未読なのは五編のみでしたが、それだけでも購入する価値はあったと思います。特に「ドイツ難民」がよかった。
追々記:『アシスタント』は、二〇一三年一月『店員』のタイトルで文遊社から復刊されました。
『アシスタント』 加島祥造訳、新潮文庫、一九七二
→『ナチュラル』バーナード・マラマッド
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