読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『贋作ドン・キホーテ』アロンソ・フェルナンデス・デ・アベリャネーダ

Segundo tomo del Ingenioso Hidalgo don Quijote de la Mancha(1614)Alonso Fernández de Avellaneda

ドン・キホーテ』が世界で最も有名な小説だとすると、最も有名な偽作はアロンソ・フェルナンデス・デ・アベリャネーダの『贋作ドン・キホーテ』(写真)かも知れません(日本語のタイトルには「贋作」という言葉が入っているが、読者を欺く意図はないため「偽作」や「続編」と呼ぶのが相応しいかも。ちなみに本家は通常「前編」「後編」と呼ぶ)。

 しかも、これは、ただの偽作ではありません。
ドン・キホーテ』後編(1615)より先に発行されたせいで、本編に大きな影響を及ぼしました。セルバンテスは、後編の序文や五十九章以降で何度も言及しただけでなく、『贋作』の作中人物を登場させたり、ドン・キホーテの行き先をサラゴサからバルセロナに変更したりと、『贋作』の存在を全力で否定しています。
 さすが、メタフィクションの元祖といわれるだけありますが、ドン・キホーテの死さえ、これ以上、偽作を生み出させないための措置だとしたら、『贋作』が齎したものは余りに大きかったといわざるを得ません。

 なお、現代の感覚では偽物ということになるのかも知れませんが、このとき、セルバンテス著作権は切れていました(当時の著作権は十年間だった)。また、剽窃に対する意識も低かったようで、『贋作』の序文には「ある物語が複数の作者を有することは別段目新しいことではない」として、『アンヘリカの涙』や『セレスティーナの娘』が例としてあげられています。

 今回、感想は「僕の好きなドン・キホーテサンチョ・パンサは、ここにはいない」の一言でよいでしょう。
 それより「読む気はないが、内容には興味がある」という方のために、少し長めのあらすじを書いてみたいと思います(ネタバレあり)。本編ではあり得ないであろう展開を赤字で示しておきます。

 二度目の冒険を終え、村に連れ戻されたドン・キホーテは、すっかり正気に戻り、一年が経つ。その間、姪が亡くなる。
 ある日、村を訪れた騎士ドン・アルバロ・タルフェに出会い、サラゴサで催される馬上槍試合の話を聞くと、矢も盾もたまらなくなり、サンチョを伴い、三度目の冒険に出発する。
何と「情け知らずの姫君ドゥルシネーア・デル・トボーソのことはさらりと忘れ」てしまう!
 旅籠の主人と喧嘩をしたり、メロン畑の番人にやっつけられたりして、サラゴサに到着するが、槍試合は既に終わっていた。
相変わらず、ドン・キホーテの目には旅籠が城にみえている。
 笞刑囚を救おうとして投獄されたドン・キホーテを救ったのはドン・アルバロだった。彼に誘われ、指輪槍試合に出場し、観客の笑い者になる。
食卓の七面鳥やサンチョまでが敵に映る狂いっぷり。
 さらに、審判役のドン・カルロスの悪戯によって、キプロス王タハユンケと戦うため、サラゴサを立つ。
この後、「失意の富者」と「幸せな恋人達」という二つの物語が挿入される。
 若い男にだまされ身ぐるみはがされたバルバラという年増女をセノビア女王と思い込み、同道する。途中、兵隊や隠修士、学生、旅芸人などが旅の道連れになり、去ってゆく。
ドン・キホーテは、出会うほとんどの人を敵と思い込み、決闘を申し込み、やっつけられる」という同じような展開が延々続く。
 マドリードに着き、ある貴族の邸に泊まることになったドン・キホーテに、貴族たちがいたずらをしかける。
「騎士道に関すること以外は常識人」という設定が抜け落ちているので、痛々しいばかり。『ドン・キホーテ』の肝は冒険ではなく、対話であることを理解していないようだ。
 ドン・アルバロ、ドン・カルロスと再会。巨人タハユンケのなかから女(男の変装)が現れ、王女ブレリーナを名乗る。彼女の国を守るためトレドへゆくことになるドン・キホーテ
ここでバルバラが去り、何とサンチョまで貴族に仕えることになり、ドン・キホーテと別れる。しかも、ドン・キホーテも「サンチョのことなどまったく知らぬ気に思い出しもせず」。
 同道したドン・アルバロは、ドン・キホーテを騙して瘋癲院に入れてしまう。一旦、正気になり退院したドン・キホーテだが、すぐ元に戻り、今度は女の従者を連れ、第四の冒険に旅立つ。
ロシナンテが死ぬ。


 ちなみに、前回取り上げた『ナボコフのドン・キホーテ講義』のなかで、ウラジーミル・ナボコフは『贋作』について、こう述べています。
セルバンテスの熱烈な愛好者の中にはアベリャネーダの本はまったく価値がないと言う人もあるが、それは正しくない。それどころか、きびきびしたところがあって、本物の方のどたばたシーンに決してひけをとらない文章も多い」
 ナボコフといえども、こればかりは納得がゆきません……。気になる方は、ご自分でお確かめください。

『贋作ドン・キホーテ』〈上〉〈下〉岩根圀和訳、ちくま文庫、一九九九

ドン・キホーテ』関連
→『ナボコフのドン・キホーテ講義ウラジーミル・ナボコフ
→『キホーテ神父グレアム・グリーン
→『ドン・キホーテキャシー・アッカー
→『ケストナーの「ほらふき男爵」エーリッヒ・ケストナー
→『ドン・キホーテのごとく ―セルバンテス自叙伝』スティーヴン・マーロウ

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