読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ラッキー・ジム』キングズリー・エイミス

Lucky Jim(1954)Kingsley Amis

 キングズリー・エイミスは、詩人としてデビューし、「怒れる若者たち(Angry Young Men)」と呼ばれる作家たちのひとりであり、英国の風刺小説やコミックフィクションの伝統を受け継いでいて、SFやミステリーも書き、酒やジャズに関するエッセイでも知られています。こうして並べると、いかにも英国の作家らしいなあと思います。

 そんなエイミスの処女小説が『ラッキー・ジム』です。
 地方の、いわゆる赤煉瓦大学(英国で十九〜二十世紀初頭に設立された大学のこと)の非常勤講師ジムは、来年も大学に残るため、主任教授のご機嫌取りをしようとするが、ヘマばかりしてしまう。さらに同僚の女講師とのトラブル、美女を巡る争いなどがあり、擦った揉んだの末、最後には幸運が舞い込んできて、ロンドンに凱旋する、というストーリー。

 ラッキー・ジムというのは英国の古歌(Lucky Jim, How I Envy Him)からきているのですが、この小説の主人公ジムは、ただ単に幸運なだけの男ではありません。彼は、日和見主義者でも、腰抜けでもなく、それどころか、正義感が強く、反骨精神に溢れ、わざと教授の不興を買ったりします(しおりの人物紹介には「余り行儀のいい人物ではないが、ちよつとした正義感をもつている」と書かれている。写真)。そうしたジムの生き方が当時の若者の共感を得、ベストセラーになったのでしょう。
 一種のピカレスク小説で、イーヴリン・ウォーアンガス・ウィルソンの流れを汲んでいるともいえますが(作中に「イヴリン・ウォーみたいな表情をしかけたが」という表現も出てくる)、日本人の僕としては『坊つちやん』との共通点に注目したくなります。 俗物だらけの大学関係者に囲まれ、様々な苦難をくぐり抜けるジムの行動は、からっとしていて、痛快。と同時に、滑稽でもある。と書くと、何となく納得してもらえるかも知れませんね。

 ただ、コミカルの質は、ちょっと違っています。『坊つちやん』の滑稽さの多くは語り口によるものですが、『ラッキー・ジム』の場合は、何といっても描写の細かさが効いています。
 一見何てことのないシチュエーションでも、登場人物のやり取りや、心理描写を省略せずに細かく丁寧に描いてゆく。読む人によっては、あるいは「書きすぎ」と感じるかも知れません。エイミスは、それくらい執拗に細部にまで目を配ります。
 そして、そのなかから、何ともいえないおかしさが生まれてくるのです(上述のとおり何頁も読まないと、面白さが伝わりにくいので引用はできない。短くても分かるところを無理矢理探すと、「細君の方はいつ見ても馬に似た顔をしていたが、バークレーの方は笑うときだけ馬に似ていた」とかかな)。
 ジム以外の人物は至って真剣で、自分が笑われているとは露ほども思っていない。そこが、また滑稽なんですね。

 勿論、この作品は、今読んでも十分面白い。ジムの境遇は、現代の若い人たちと共通する部分があるからです。田舎の大学の講師なんて詰まらないと思いつつ固執するのは、都会では雇ってくれるところなんてないと知っているから。能力のない大人たちがのさばっていて、何となく将来に希望を見出せない(ジムの場合は、ただ運が悪いことを嘆くだけだが……)。
怒れる若者たち」などというと、つい暴力を思い浮かべてしまいますが、権威や因襲、良識、制度を茶化すという戦い方は、いつの時代でも最も有効なのではないでしょうか。

『ラッキー・ジム』福田陸太郎訳、三笠書房、一九五八

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