読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『象』『所長』『鰐の涙』スワヴォーミル・ムロージェック

Sławomir Mrożek

 不条理、ナンセンス、シュルレアリスム、ブラックユーモアあたりに分類される短編集は、長編を読むとき以上に集中力が必要です。
 というのも、余程のめり込まないと途中で白けてしまうことがあるから。ちょっとでも「何だかなあ」と思ってしまうと、途端に詰まらなくなります。
 また、今や、ごく短い枚数で新鮮味を出すというのは、なかなか困難になっていて、何をやっても、どこかでみたことがあるものになってしまいがちです。斬新な手法を見出しても、二度三度と使えないところも辛い。さらに、短編集となると、当然、出来の悪いものも混じってきます。
 ですから、「こういうのは、××のコントで読んだことあるな」とか、「この話は実に退屈だ。けしからん」などと思わずに読み進めないといけません。

 そうした努力がいらず、安心して楽しめる作家は、今思いつく限りでいうと、フレドリック・ブラウン、サキ、P・G・ウッドハウス、ジョン・コリア、ロアルド・ダール、マルセル・エイメ、アルフォンス・アレー、ピエール=アンリ・カミ、ジェイムズ・サーバー、そして、スワヴォーミル・ムロージェックでしょうか。
 後三者は、漫画も描くという点、またとぼけた雰囲気が共通しているように感じます。

 ポーランドの作家・劇作家・漫画家ムロージェックは、我が国でも大変人気があるようです。様々なアンソロジーに収録されるとともに、日本独自に編まれた短編集として『象』(写真)、『所長』(写真)、『鰐の涙』(写真)が発行されています。この三冊は一編のダブりもないので、まとめて揃えてしまうのがお勧めです。
 さて、今回は三冊計百八十編を一気に読んで、気に入ったものをあげてみました。

「時代背景」(『象』収録)
 私のもとへ、突然、五十年前(一九〇六年)の新聞の切り抜きを手にした男が現れ、クロスワードパズルが漸く解けたという。激動の二十世紀に翻弄された男の悲しい運命が、切れ味鋭く描かれます。

「森で発見された手記」(『象』収録)
 忘れられた刑務所で暮らす男。建物の外にも出られるし、ほかにも囚人はいるのに脱獄しようとしない。見捨てられるのは、殺されるより残酷です。
 ちなみに、同じポーランドの作家スタニスワフ・レムに『浴槽で発見された手記』Pamiętnik znaleziony w wannie(1961)という長編があります。「森で発見された手記」(1959)の原題はRękopis znaleziony w lesieですから、ちょっと似てますね。

「ウグプー鳥」(『象』収録)
 食物連鎖というか、「風が吹けば桶屋が儲かる」を馬鹿馬鹿しくした話。スリリングだし、伏線も効いてるし、落ちも楽しい。

「乗客」(『所長』収録)
「アド・アストラ」「鷲の巣城の没落」など長めの短編(ほかの作家なら、ごく普通の短さ)も、不条理さを失わず、きちんと読ませます。「乗客」は、皆から嫌われる皮肉屋と盲人を意外な形で組み合わせたところが凄い。ミステリーにもなりそうだけど、哲学的に処理しています。まるでトーマス・マンの短編みたい。

「百八十編もあって、たった四編かよ」と思われるかも知れませんが、寧ろ逆です。というのも、上にあげたのは、どちらかというとムロージェックらしくない作品ばかりだからです。
 本音をいうと、僕がムロージェックを読む目的は、力の抜け具合とか、絶妙なズレとか、蛇足ギリギリのラスト一行とかを楽しむこと。極端な話、上記以外の短編はすべてその条件を満たしています(それは、ちといいすぎか)。
 ですから、一編も選ばなかった『鰐の涙』が、最もムロージェックらしいともいえるわけです(内容に一切触れてないものを「読書感想文」といえるのかどうかは、ともかくとして)。

 まあ、何を求めるかなんて人によって違いますし、こんな駄文を読む暇があったら、実物を手にしていただけたらと思いますが……。

『象』長谷見一雄、吉上昭三沼野充義西成彦訳、国書刊行会、一九九一
『所長』芝田文乃訳、未知谷、二〇〇一
『鰐の涙』芝田文乃訳、未知谷、二〇〇一


→『タンゴ』スワヴォーミル・ムロージェック

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