今回は、本ですらありません……。
前から考えていたことを「読書感想文」にかこつけて、強引に語ってしまおうと思います。
二〇一〇年最後の更新ということで、ご容赦ください。
本日、「藤子・F・不二雄大全集」第2期全巻購入特典の「F VOICE」が届きました(写真)。
これは、児童漫画の新人賞である「藤子不二雄賞」(現 小学館新人コミック大賞児童部門)でのスピーチや総評を集めたものです。漫画のみならず児童文学について触れられている箇所も多く、大いに考えさせられました。
第1回「総評」(一九八〇年)の「理想的な児童まんがは、子ども(「子供」の表記もあり)が読んで面白いだけでなく、大人にとっても面白くあるべきです」という一文は、以前から気になっていたのですが、ようやく、その前後が読めました。
ちなみに、前の部分は、こんなふうになっています。
「児童まんがとは、言うまでもなく、子供に興味ある素材を、子供の視点から、子供に理解しうるように表現したまんがであります。(中略)難解な内容。また逆に、他愛なさ過ぎる内容。どちらも、真に子ども(ママ)の為のまんがとは言えません」
この言葉は、児童漫画に限らず、児童文学にもそのまま当てはまると思います。
しかし、これを金科玉条とするのは、少々難しい……。
僕のような未熟者には、正直、どう捉えてよいのか、よく分からないのです(藤子不二雄賞は新人賞ですから、新人に向けた言葉であることは間違いないのですが……)。
ちなみに、F先生の児童・幼児向けの作品は、今の僕が読んでも、本当に楽しめます。それどころか、入園前、幼稚園児、小学一年生など微妙に描き分けていたりして、感心を通り越して、驚異を感じます。
例えば、子ども向けの商品(書籍のみならず玩具、ゲーム、DVDなども含む)に「大人も楽しめる」「大人の鑑賞にも耐えうる」といった宣伝文句がつけられることがあります。
子ども向けとはいえ、購入するのは大人ですから、「大人が認めた」イコール「安心して子どもに与えられる」であることをアピールしているようにもみえます。
ネットの感想などでも「大人も楽しめる」は、概ね褒め言葉として使われているように思います。
つまり、「大人も楽しめる商品」は、「子どもには絶大な人気があるけど、大人にはよさが分からない商品」よりも価値が高いとされ、これはF先生の信念を否定するものではありません。
けれど、作り手としては、どう考えればよいのか?
まず、「大人の読者を意識しろ」という意味では決してないと思うんです。そんなことをしたら本末転倒。中途半端なものしか生まれないでしょう。
また、一般向けと子ども向けとでは、扱う題材は共通するものがあるかも知れませんが、表現方法はまるで異なります。児童書を大人が読めば、もの足りなさを感じるのは当然です。
とはいえ、僕もそうなんですが、大人になっても児童文学を楽しむ人がいます(F先生もそうだったらしい)。
懐かしい、児童書の雰囲気に浸りたいという気持ちもありますが、それだけではありません。もちろん、ストーリーが面白いとか、簡単に読めるなどという理由でもないでしょう。
何より大切なのは、子どもが描けていることです(リアリティがあるという意味ではなく)。
それは、すなわち「文学として優れていなければならない」という意味ではないでしょうか。
そう考えると、F先生がおっしゃりたかったのは、「人間の本性・本質という普遍的なものを描け」ということかも知れないと思えてきました。
そうすれば、子どもの心にも、かつての子どもの心にも響くものがあるはずだと……。
今のところは、そんなふうに考えています。
『F VOICE』「藤子・F・不二雄大全集」第2期全巻購入特典、小学館、二〇一〇
→「ジェイムスン教授シリーズ」ニール・R・ジョーンズ(挿絵)
→「藤子・F・不二雄大全集」藤子・F・不二雄