読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『愛しているといってくれ』マージョリー・ケロッグ

Tell Me That You Love Me, Junie Moon(1968)Marjorie Kellogg

 マージョリーケロッグの『愛しているといってくれ』(写真)は、ライザ・ミネリ主演の映画『愛しのジュニー・ムーン』(※)の原作です。といっても、映画は日本未公開ですし、僕も未見です。
 作者のケロッグについても、この作品以外には、映画『ベル・ジャー』の脚本を担当したことくらいしか知りません。それでも小説に読む価値があれば、何の問題もないわけです。

『愛しているといってくれ』の特徴は、現代では扱いの難しい題材を取り上げていることです。古い小説を読む楽しみのひとつに、当時の時代性や価値観を味わうことがありますが、本書はその欲求を十分に満たしてくれる作品だと思います。
 情報が少ないため、早速、あらすじを紹介します。

 病院で出会った三人は、退院後、ゆくあてがないため共同生活をすることにします。ジュニー・ムーンは男に半殺しにされた上、顔に硫酸をかけられ顔面にケロイドが残る女性、ウォーレンは友人に銃で撃たれ、脊椎が損傷し車椅子の生活を強いられているゲイの青年、アーサーは癲癇の発作のため、親に捨てられ施設で育った青年です。
 三人は、一軒家を借り、奇妙な共同生活を始めます。

 悲惨な経験を経た三人は、屈折した感情を持ち、また互いの性格に不満を抱いています。にもかかわらず、一緒に暮らす道を選んだのは、ハンディキャップを負った者同士、協力してゆかないと生きられないと考えたからです。
 しかし、捻くれた性格故、始終ぶつかり、支え合うより傷つけ合うことの方が多くなってしまいます。

 そもそも、彼らが誰にも愛されないのは、障害や怪我のせいではありません。親に捨てられたり、虐待されたり、醜い容姿のため差別されたりと、愛情を知らずに育ったことが、心を歪ませる原因なのです。
 読者の興味を引くため、障害者を主人公にしたのかも知れませんが、テーマ自体は万人に共通です。大雑把にいうと「人を愛すること、人に愛されることを知らなくては生きてゆくことはできない」となるでしょうか。

 ウォーレン、アーサー、ジュニー・ムーンは、自分たちが普通の人と違うために、傷を舐め合うように身を寄せて暮らすことを選択しました。それを「愛されたことがない者による苦肉の策」と笑うことはできません。
 なぜなら、大抵の人も自分に合った人を愛し、愛されようと考えるからです。意識的にか無意識にか、年齢、人種、出自、学歴、収入、容姿などによって線を引き、そのなかで相手を選ぼうとするはずです。

 真の愛は、そんなものなど軽く超越するでしょうが、現実はそう簡単にはいかず、多くの人は狭い枠のなかから出ることができないと思います。
『愛しているといってくれ』では、魚屋のマリオがその垣根を飛び越えようとするものの、三人の関係を壊すのを恐れ、身を引いてしまいます。

 けれども、肩肘を張らず、愛は同じ土壌でしか育たないと決めてしまってよいと思います。
 後半は、当時のアメリカで大流行していたロードナラティブの要素が加わり、ジュニー・ムーンとアーサーは、旅先で互いの愛に気づきます。
 ようやく実った彼らの恋は崇高でいて人間臭く、そして残された時間がごく僅かなことも含めて、究極の恋愛といってもよいくらい美しい。

 一方、ウォーレンは、友人に故意に銃で撃たれ、それを互いの同意の上、事故として処理することにした過去を持っています。撃たれた理由や事故として扱ったわけをずっと秘密にしていましたが、ラストで、その少年に告白したことが明らかにされます。
 ウォーレンは報われない愛とその代償を、心と体に刻みつけ生きてきたし、これからも生きてゆくのです。

 これらは、傷つき、孤独を抱え、性格が歪むほど苦しんだ者でなければ到達できなかった世界という気がします。
 映画はみていないので断言はできませんが、『愛しているといってくれ』は、想像力を喚起させる文学というジャンルでこそ輝く作品ではないでしょうか。未公開映画の原作を邦訳した意味は十分にありますし、今読む価値もあると思います。

※:原田美枝子の『愛しのハーフ・ムーン』とは関係ない。

『愛しているといってくれ』榊原晃三訳、ハヤカワ文庫、一九七二

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