読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『悪魔に食われろ青尾蠅』ジョン・フランクリン・バーディン

Devil Take the Blue-Tail Fly(1948)John Franklin Bardin

 ニューロティックスリラーとサイコスリラーを分類する際は、その作品が作られた年代を基準にするとよいかも知れません。一九四〇年代に流行したのがニューロティックスリラーで、一九六〇年代以降の作品をサイコスリラーと定義すると、すっきりします。
 アルフレッド・ヒッチコック監督の映画でいうと『白い恐怖』(1945)は前者、『サイコ』(1960)は後者となります。

 ま、それは半分冗談として、サイコスリラーがサイコパス(精神病質)の加害者を登場させるのに対して、ニューロティックスリラーは被害者(視点人物)が強迫性障害を患っていることが多いといえるでしょうか。
 つまり、ニューロティックスリラーには、些細なできごとが主人公に恐怖を齎すとともに、それが気のせいなのか、本当に狙われているのか、真実がみえないという仕掛けが施してあるわけです。

 ジョン・フランクリン・バーディンの『悪魔に食われろ青尾蠅』(写真)はというと、両者の特徴を兼ね備えた稀有な作品です。
 バーディンは米国の作家にもかかわらず、この長編は一九四八年に英国でしか出版されず、米国で刊行されたのは約二十年後の一九六七年でした。これをニューロティックからサイコへの流行の変遷と考えると、とても興味深いと思います。

 ハープシコードチェンバロ)奏者のエレン・パーセルは、精神病院を退院し、二年ぶりにニューヨークの自宅へ戻ります。エレンは、夫のバジルや使用人のスーキィの態度に違和感を覚えつつ、自分がまだ正常ではないような気もしています。
 そんなある日、義姉のナンシーに紹介された男は、かつてエレンが殺害したジミー・シャドという南部の民謡歌手でした。

 例えば、イングリッド・バーグマン主演の映画『ガス燈』(原作はパトリック・ハミルトンの戯曲)とは「音楽家の夫妻」「妻の神経が弱っている」という共通点がありますが、あちらは明らかに夫の言動が怪しいため、どうやって犯行が暴かれるかに意識が集中してしまいます(被害者を精神的に虐待し、認識を誤らせることを意味する心理学用語の「ガスライティング」はここからつけられた)。

 一方、『悪魔に食われろ青尾蠅』は、現実の描写に、エレンの夢、幻覚、妄想、偽りの記憶が混ざるため、何が正しいのか分からなくなります。
 それどころか、何が、いつ起こったのかも曖昧で、大いに混乱しながら読み進めることになるのです。

 ネタバレになるので詳しくは書けませんが、この小説の最大の特徴は、それらが強ち出鱈目ではなく、現実の事件に大きな影響を与えるという点です。
 ただし、ここは評価が非常に難しい。なぜそうなるのか説明されていないことから、理屈を重視する人にとっては受け入れにくい部分かも知れないからです。

 しかし、精神障害を患うエレンの感覚は尋常ではなく、最初から最後まで強迫観念に取り憑かれたような文章を読んでくると、この手も「あり」と思えてくるから不思議です。
 やや種類は異なりますが、キャロル・オコンネルの『クリスマスに少女は還る』を許せる人なら、これも楽しめるのではないでしょうか。

 逆に、ラスト近くの「ある人物」の登場は、やや唐突すぎると感じました。
 尤も、書かれた時代を考えると、やむなしといえるかも知れません。
 このネタは使い古されているため、現代では扱いが難しくなっています。そういう意味では、貴重な、ど真ん中の直球勝負に清々しさすら覚えます。

 ちなみに『悪魔に食われろ青尾蠅』というおかしなタイトルは、「Jimmy Crack Corn」または「Blue-Tail Fly」という民謡の一節から取られています。
 主人が乗った馬が青尾蝿に食われ、それによって主人は落馬して亡くなります。黒人奴隷は表向きは嘆きますが、実は喜んでいるといった歌詞で、ミンストレルショーで歌われ、人気を博したそうです。

『悪魔に食われろ青尾蠅』浅羽莢子訳、創元推理文庫、二〇一〇