読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『裸者と死者』ノーマン・メイラー

The Naked and the Dead(1948)Norman Mailer

 ノーマン・メイラーの『裸者と死者』(写真)は刊行されるや否や大反響を呼び、翌年には日本でも翻訳出版されました(改造社)。
 第二次世界大戦を描いたアメリカ文学としては、ジョセフ・ヘラーの『キャッチ=22』と並ぶ傑作です(「二十世紀の100冊」では両方選んだ)。
 しかし、このふたりの作家は、処女作を超える作品を書けなかったという共通点もあります(※)。話題の新作が出ないことで、『裸者と死者』は絶版のまま、『キャッチ=22』も最近になって新版が出るまでは長く品切れでした。

 一方、第一次世界大戦を舞台にしたアメリカの戦争文学の方は、アーネスト・ヘミングウェイの『武器よさらば』やドルトン・トランボの『ジョニーは戦場へ行った』など誰もが知っている作品が多く、それらは古典として評価されています。
 その違いがどこにあるのかは分かりませんが、知名度や作家の評価はともかく、今、読むべき価値が高いのは明らかに前二者です。『裸者と死者』も『キャッチ=22』も戦争文学の枠を遥かに超えており、記録的意義や戦争批判などを抜きにしても十分鑑賞に堪えるでしょう。

 ちなみに、『裸者と死者』は最近品切れになったわけではなく、小林信彦によると、最初に刊行された改造社版は「おまんこ」とあるせいで一時発禁になったそうです(GHQの抗議により、すぐに解かれた。「おまんこ」は新潮文庫版でも残っている)。
 僕が持っているのは新潮文庫の上中下三分冊の版ですが、新潮文庫は上下二分冊の版もあるので、購入の際はご注意ください。

 太平洋戦争時、南太平洋にある架空の島アノポペイでは、五千人の日本軍が強固な陣地を築いていました。それを殲滅すべくカミングズ将軍率いる部隊が島に上陸します。その作戦を遂行するために偵察小隊十五名はアナカ山を突破しようとします。
 偵察小隊を率いるハーン少尉、残忍な性格のクロフト軍曹、上官に反抗したくも一歩踏み出せないレッドらの人間模様が描かれます。

 まず驚かされるのは、二十五歳の青年の処女作とは思えないほど情景描写が細かいことです。若書きの場合、観念的な小説になりやすいのですが、とにかく微に入り細を穿つ描写が延々と続きます。
 偵察小隊を苦しめるものは、日本軍の攻撃以外にも、嵐や雨、ジャングルの地形、重い銃器などがあり、それらが丁寧に描き出されるのです。

 同時に、理不尽な上官や命令、過酷な任務、隊員間の確執、死にゆく仲間、捕虜の殺害、妻の死の知らせ、部下の背信行為といったできごとが次々に起こり、極限状態における隊員の不安定な精神状態が剥き出しにされます。
 出自も人種も階級も年齢も異なる二十名ほどの登場人物がしっかりと書き分けられている点は、見事というほかありません。

 訳者は「後書」でハーマン・メルヴィルの『白鯨』における捕鯨船員と、小隊の隊員を比較していますが、僕はジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』でマーロウが体験した悪夢を思い起こしてしまいました。
 ほとんど意味のない作戦に命をかける若者たちという理不尽さや、病気・狂気を装い除隊しようとするエピソードに焦点を当てると『キャッチ=22』との共通点がみえてきます。また、この戦いを日本軍側から描くと大岡昇平の『俘虜記』『野火』『レイテ戦記』といった作品になるのではないでしょうか(『裸者と死者』には、アノポペイ戦が終わる頃、日本軍は食料も医薬品も弾薬も尽きていたという記述がある。南洋戦線での日本軍の人肉食については、映画『ゆきゆきて、神軍』でも証言されている)。

 メイラーは『裸者と死者』に、自己の体験から感じ取った様々なものを投影しています。いかにも処女作らしく、ぎゅうぎゅうに詰め込んだといった感じです。
 枚数も登場人物も多い小説なので、テーマをひとつひとつ取り上げませんが、「死」「孤独」「恐怖」「仲間」「愛」「権力」「男らしさ」「セックス」「裏切り」などが様々なエピソードとともに語られます。

 僕の心に最も響いた挿話は、次のようなものです。
 ギャラガーという兵士の妻が出産時に亡くなったことが知らされます。落ち込むギャラガーの元へ、一か月ほど到着が遅延していた妻からの手紙が次々と届きます。それを読み、妻がまだ生きているような錯覚に陥るギャラガーでしたが、やがて手紙にも終わりがくるのです……。

 だからといって、終始重苦しい雰囲気が漂っているわけではなく、寧ろ死に直面してもふざけているシーンが多い。
 感覚が麻痺しているのか、本性が剥き出しになったのか分かりませんが、戦争文学や戦争映画で、ブラックジョークを連発したり、死体で遊ぶといった場面が出てきたり、全編コミカルな作品も少なからず存在します。これは、死と最も遠いと思われる笑いが生まれてしまうほど、追い詰められた状態を表しているのかも知れません。

 さらに『裸者と死者』の特徴として、本筋の合間に「The Time Machine」という隊員の過去と、「Chorus」という本編で述べるほどのない他愛のない会話(地の文はなし)が挟み込まれる点があげられます。

 前者は、単なる兵士という記号ではなく、血の通った人間であることを読者に意識させるのに、とても有効な手法です。特に米軍は人種の坩堝なので、ユダヤ系、イタリア系、メキシコ系などの登場人物が、どのような家庭環境で育ち、戦場に至るのかを知ることで物語の厚みが何倍にもなります。
 また、唐突に過去を挟み込む手法は、今やすっかりお馴染みになっており、漫画などでも盛んに用いられています(戦闘中・対戦中に敵の過去のエピソードが挿入されるなど)。
 後者も、人間臭さの表現とともに、ユーモアの強調の意味もあるでしょう。いつ死ぬか分からない前線で、どうでもいいことや、セックスに関することで揉めるというナンセンスさがよいアクセントになっています。

 群像劇のため、主役といえる人物がいないのですが、そのなかでは上官と部下の間で板挟みになるハーンの言動が重要だと思い、感情移入して読んでいたところ、部下の裏切りによって呆気なく殺されてしまったのにはとても驚かされました。
 メイラーは、その若さで読者の心を読んだ、恐ろしく巧みなテクニックを所持していたわけです。その後、パッとしなかったと書きましたが、裏を返せば以後の活動が霞むほど処女作が破格のクオリティだったといえます。

 翻訳が古いため、決して読みやすくはないけれど、過去の話題作として処理してしまうには惜しい傑作なので、ぜひ読んでみてください。

 なお、メイラーは戦後、進駐軍の一員として日本に滞在しており、その後、『裸者と死者』を書いたため、日本についての記述もある程度、正確です。
 アメリカ人が日本を極度に嫌悪するのは、戦前は可愛い猫のようだった日本が急に牙を剥いたからだと説明されます。戦後、米軍が進駐しても、恐らく二、三十年後には元の姿に戻るだろうとも書かれています。
 日本兵をナイフで殺したマーチネズが、ゴキブリを潰した後のような安堵とゾッとする感覚を抱くシーンなどは、実体験に基づく本音なのかも知れません。


※:チャールズ・ブコウスキーは「自殺体質」のなかで、ノーマン・メイラーの『人食い人とクリスチァン』について、「よくもまあ彼は次から次へと書くものだ。読んでいても迫ってくるものがない。ユーモアもない。なんでこんなものを書くのだろう。ただ言葉を書き連ねているだけだ。これが有名人の末路というものか?」と書いている(『ありきたりの狂気の物語』に収録)。

『裸者と死者』〈上〉〈中〉〈下〉山西英一訳、新潮文庫、一九五二

戦争文学
→『黄色い鼠井上ひさし
→『騎兵隊』イサーク・バーベリ
→『』ワンダ・ワシレフスカヤ
→『イーダの長い夜』エルサ・モランテ
→『第七の十字架』アンナ・ゼーガース
→『ピンチャー・マーティンウィリアム・ゴールディング
→『三等水兵マルチン』タフレール
→『ムーンタイガー』ペネロピ・ライヴリー
→『より大きな希望』イルゼ・アイヒンガー
→『汝、人の子よ』アウグスト・ロア=バストス
→『虚構の楽園』ズオン・トゥー・フォン
→『アリスのような町』ネヴィル・シュート
→『屠殺屋入門ボリス・ヴィアン
→『審判』バリー・コリンズ

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