読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』リング・ラードナー

You Know Me Al(1916)Ring Lardner

 野球は、たっぷりと時間を使って楽しむスポーツです。百マイルの速球を投げようと、塁間を三・五秒で駆け抜けようと、ゲームそのものはゆったりとしたときの流れに取り込まれます。
 また「フットボールは戦場(field)で行なわれるが、ベースボールは公園(ballpark)で行なわれる」なんてことが、よくいわれます。当然、そこで生まれるドラマは、ほかのスポーツとはひと味違った姿になるはずです。人生に譬えると、のどかで、平和な午後のひとときといった感じでしょうか(日本には「スポ根」というジャンルがあるが、特殊な例外とする)。

 舞台となる時代も、せかせかした現代から遠く隔たった方が、のんびり度が増します(昔がのんびりしていたとは一概にいえないが、現在から遠ざかるに従い、時間の進み具合は確実にゆるやかになる)。
『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』が書かれたのは、日本でいうと大正時代。まさに、第一回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)が開催された頃でした。質は異なれど両国のファンは、野球に熱い視線を注いでいたようです。

 著者のリング・ラードナーは、新聞記者として有名で、彼のコラムは大変人気があったらしい。余技で書いた小説も広く読まれ、「アリバイ・アイク」は「弁解をする人」という意味で辞書にも掲載されるようになりました。
 その「アリバイ・アイク」や「ハーモニイ」「ハリー・ケーン」「相部屋の男」といった短編、そして『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』(写真)などのせいで、ラードナーを「野球を専門に扱う小説家」と思っている方もいるかも知れませんが、寧ろ短編の多くは、市井の人々をユーモアあふれる筆致でスケッチしたものです。
 辛辣な面もあるため、ブラックユーモアに分類されることもありますけど、それほど毒はありません。それどころか、滑稽な人々に愛おしさすら感じるので、野球に興味がない人も、ぜひ読んでみてください(新潮文庫の『アリバイ・アイク』という短編集が、安価で入手しやすく収録作品も多いのでお勧め)。

 とはいえ、シカゴトリビューン紙でスポーツ欄を担当していたラードナーですから、当然スポーツに造詣が深く、出色はやはり野球小説です(※1)。
 特に『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』は長編なので、古き良き時代のベースボールの雰囲気を存分に楽しめます。

 実力が認められ、地方リーグのチームからシカゴ・ホワイトソックスに引き抜かれたジャック・キーフ。けれど、メジャーリーグでの生活は、順風満帆とはいきませんでした。
 滅多打ちされ再び地方リーグに放出されたり、婚約者に逃げられたり、女房の尻に敷かれたり、ずるい奴らにカモにされたり……。
 が、やがてジャックに子どもが生まれ、野球でも安定した成績を収められるようになり、最後にはメジャーリーグ選抜チームの一員として日本に遠征することになります。

 ジャックは、うぬぼれ屋で、女に弱く、吝嗇で、何も知らない田舎者。いいように利用されていることにも全然気づかず、常に威張っているところが読者の笑いを誘います。けれど、厭味な奴ではないので、不快感はありません。
 それどころか、まるで本物の野球選手であるかのように応援したくなるのです。現代人にとっては、どこか間が抜けていて、素朴なところが憎めないのでしょう。
 一方、当時の読者は、別の意味でスカッとしたかも知れません。それは、実名で登場するデトロイト・タイガースタイ・カッブメジャーリーグ史上、最も嫌われた選手)やサム・クロフォードを、ジャックがきりきり舞いさせてくれるからです。
 これは、野球ファンにとって、正に夢のような場面ではないでしょうか。

『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』のもうひとつの特徴は、友人のアルに宛てたジャックの手紙のみから成る書簡体小説という点です。といっても堅苦しい文語調などでは勿論なく、ラードナーの得意とする饒舌な口語一人称に匹敵する面白さを維持しています(※2)。
 いや、アルからの手紙は一切載せず、ジャックのものだけで、ストーリーを展開し、決して分かりにくくも、詰まらなくもない点は驚異的とさえいえます。
 訳者は、瑞々しい口語調を日本語に置き換えられなかったと嘆いていますが、なかなかどうして印象的な口調を作り出しており、読む価値は大いにあると思います。
 ちなみに、特徴的な語りというと『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドを思い出しますが、彼はラードナーのファンでした(※3)。

 なお、古くは同じ筑摩書房から『おれは駆けだし投手』(中村雅男訳)というタイトルでも出版されていました。そちらは一九二五年版に掲載されたラードナーの序文つきです。

 最後に、作中から分かる当時の野球の特徴を記しておきます。

◎スピットボール(唾をつけて滑らせる変化球)が許されていた。当時、打者はヘルメットをかぶっておらず、死亡事故が起きたため、スピットボールは一九二〇年に禁止された。

◎投手有利の時代で、本塁打が少なかった。そのため、盗塁やバントが多用された。この時代の代表的な選手は、俊足・好打のカッブ。加えて、彼の毒舌なくしては、この小説はさぞや味気ないものになっていたであろう。

◎毎年レギュラーシーズン終了後に、ホワイトソックスカブスの間で七回戦のシティシリーズが開催される、とあるが、これが事実だったかどうかは不明。

◎観客が多いときは、スタンドからはみ出し外野にまで人があふれる。その試合に限って、観客の真んなかにフライがあがると二塁打になるという特別ルールが設けられる。これも真偽は不明。


※1:スポーツライター出身の作家というとポール・ギャリコもそうだが、あちらは途中でスポーツ小説から足を洗ってしまった。『12人の指名打者』には「アンパイアの叛乱」が収録されている。

※2:原題の「You know me」は、「お前なら、俺のこと、分かってくれてるよな」みたいなニュアンス。ジャックは、故郷の親友に甘えている。

※3:『ライ麦畑でつかまえて』に、こんな一節がある。
「好きな作家は兄貴のD・B、次に好きなのはリング・ラードナー。兄貴が僕の誕生祝いにリング・ラードナーの書いた本を一冊くれたんだ。」(野崎孝訳)
 その後、ホールデンは、ラードナーの短編「微笑がいっぱい(A Big Smile)」の感想を述べる。ちなみに、これは野球小説ではなく、交通整理の警官と美女のお話である。
 なお、ラードナーの名前は『フラニーとゾーイー』にも出てくる。


『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』加島祥造訳、ちくま文庫、二〇〇三

野球小説
→『ユニヴァーサル野球協会ロバート・クーヴァー
→『12人の指名打者ジェイムズ・サーバーポール・ギャリコほか
→『野球殺人事件』田島莉茉子
→『ドジャース、ブルックリンに還る』デイヴィッド・リッツ
→『ナチュラル』バーナード・マラマッド
→『シド・フィンチの奇妙な事件ジョージ・プリンプトン
→『プレーボール! 2002年』ロバート・ブラウン
→『アイオワ野球連盟』W・P・キンセラ
→『赤毛のサウスポー』ポール・R・ロスワイラー
→『プリティ・リーグ』サラ・ギルバート
→『スーパールーキー』ポール・R・ロスワイラー

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