読書感想文(関田涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『熱帯雨林の彼方へ』カレン・テイ・ヤマシタ

Through the Arc of the Rain(1990)Karen Tei Yamashita

 一言でいうと「日系人によって書かれたブラジルを舞台にしたマジックリアリズム小説」となるでしょうか。
 が、それじゃあ余りに大雑把すぎるので、もう少し説明を加えてみます。
 作者のカレン・テイ・ヤマシタは日系アメリカ人で、翻訳された著作はこの一冊のみ(※)。ブラジルで十年ほど暮らした経験を持っています(日本にも留学していたらしい)。この作品の源となっているのは、切り開かれてゆく熱帯雨林、ブラジルで人気のあるソープオペラ、そしてブラジル人の夫が語ってくれた奇妙な話だそうです。

 帯には「エコロジー・ファンタジー」と書かれており(写真)、その観点からの問題提起が大きなテーマのひとつであることは間違いありませんが、読む前からそれを強く意識するのはお勧めできません。「熱帯雨林を守れ!」といったありきたりの結論に至ったって、なあーんにも面白くないからです(環境保護団体のパンフレットじゃあるまいし)。
 それよりは、先入観を排除し、奇抜な登場人物、破格の力を有する物語を素直に楽しむのが正解という気がするのです。
 というわけで、まずは、ヘンテコなあらすじを記載してみます。

 少年時代、額の近くで回転し続ける謎のボールに取り憑かれたカズマサ・イシマル。彼の(ボールの)特技は、事故を起こしそうな線路を発見することでした。
 鉄道会社に就職した彼は、その力を有効に利用するのですが、やがて狭い日本にいづらくなり、ブラジルに渡ります。彼はそこで、鳩を飼う夫婦、鳥の羽を使って治療をする老人、三本の腕を持つアメリカ人、天使と呼ばれる青年らと出会います。
 彼らは、マタカンと呼ばれる磁気を帯びたプラスチックでできた土地に集い始めます。このプラスチックは、究極の万能素材なのですが、実は……。

 本書は、南米らしい奇妙で大らかなできごとと、ユニークな人々に彩られています(何しろ語り手が、ただ回転するだけでカズマサとの意思疎通すらできないボール!)。なかにはフリークやビザールとしか呼べない者も含まれていますが、『夜のみだらな鳥』とは異なり、エピソードは総じて温かく、登場人物は善人ばかりなのが特徴です。
 特にカズマサは、内気で無垢な聖人として描かれています。手にした大金を貧しい人々に分け与え、好きな女は従兄弟に譲ろうとし、超多忙にもかかわらずマタカンにつれてこられ、プラスチック探しをさせられても文句ひとついいません。それどころか、誘拐された子どもたちのために自らの命も投げ出そうとするのです。
 癖がなさすぎるのが玉に瑕ですが、作中人物のみならず、読者も彼のことを好きにならずにいられないでしょう。

 また、南米やジャングルが舞台にもかかわらず、『失われた足跡』とは違い、残酷さ、粗暴さは感じられず、刺激的、扇情的な描写もありません。どぎついのが嫌いな方も不快な気分に陥ることなく、安心して読めると思います。
 勿論、だからといって退屈するなんてことはなく、ボールの生真面目かつすっとぼけた語り口には思わず頬を緩めてしまうはずです。

 以前取り上げた『カウガール・ブルース』(巨大な親指を持つ少女の物語)と同様、正に自分のために書かれた小説と錯覚しかねないくらいお気に入りなのですが、あれよりは遥かに癖がなく、決して特殊な感性にのみ反応する作品というわけではありません。
 各エピソードや人物が魅力的な割に有機的なつながりに乏しいとか、GGGという企業やマタカン・プラスチックの設定に無理があるなど欠点もみられるのですが、好きになってしまえば痘痕もえくぼで、さほど気になりません。この小説を嫌いという人がいたら、余程のへそ曲がりじゃないかと思うくらいです。

 ただし、幕の引き方には賛否両論ありそうです。
 実をいうと、上述した呑気で平和なムードは第五部で終わり、最終の第六部では打って変わって陰鬱な雰囲気が漂うのです。ネタバレになるので具体的には書きませんが、読むのが苦しくなる場面もしばしば現れます。
 個人的には、祭りの後の寂寥は嫌いではありません。けれど、不満に感じる人もいると思います。ピカレスクや『水滸伝』ならしっくりくるかも知れませんが、気持ちのよい人々、夢のような場所にどっぷり浸った後だからこそ、喪失感も尋常ではないからです。

 けれど、よく読めば分かりますが、これは遥か昔の物語です。大地に刻み込まれ風化した記憶が、一瞬甦ってみせてくれた幻なのです。
 そこで蠢くちっぽけな人間の生死など、一体いかほどの意味があるというのでしょうか。
 僕らは手前勝手な感傷を捨て、「兵どもが夢の跡」に思いを馳せるべきなのかも知れません。

追記:二〇一四年六月、新潮社から復刊されました。

※:ブラジル移民を描いた『ぶらじる丸』は、平凡社の新しい「世界文学」シリーズより刊行が予告されていたが、結局出版されなかった模様。

熱帯雨林の彼方へ』風間賢二訳、白水社、一九九四

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