読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『B・ガール』フレドリック・ブラウン

The Wench is Dead(1955)Fredric Brown

 僕にとってSFとはフレドリック・ブラウンの小説そのものといっても過言ではありません。
 特に『発狂した宇宙』と『火星人ゴーホーム』という二大傑作は、何度読み返したでしょうか。個人的には六対四くらいで『発狂した宇宙』に軍配を上げますが、それはまあ、『ダルタニャン物語』か『モンテ・クリスト伯』か、みたいな感じで、好みの問題に過ぎないと思います。

 さて、ブラウンはミステリーも書いていて、量においてはSFを凌駕しています。しかし、短編はともかく、長編はSFほど評価が高くありません。
 ブラウンお得意のオチは、短編でこそ効果的ですが、長編に用いるとやや弱く、間延びした印象を与えてしまうからでしょうか。

 けれど、僕が『発狂した宇宙』や『火星人ゴーホーム』を好きな理由は、アイディアやオチにあるというより、とんでもない事態に直面した人が、ときにあたふたと動き回り、ときに諦めて酒に逃げたりするところにあります。
 それはミステリーでも同じです。
 詳しくは後述しますが、意外な真相や、手に汗握る展開を期待しているわけではなく、主人公(探偵役だったり、被害者だったり、犯人だったりする)が、酒場や自宅や女の部屋で一杯やりながらダラダラと過ごす、まったりとした時間が何ともいえず楽しいのです。
 そして、そのまったり感の最たるものが『B・ガール』です。

 ……と感想に入る前に、書誌について少々。
 創元推理文庫の『死にいたる火星人の扉』の巻末ノートには「なお、彼(ブラウン)の推理小説の全作品が本文庫で刊行されることになっている」とありますが、実際は四つの長編が漏れてしまいました(※1)。
『B・ガール』は東京創元社の世界名作推理小説大系に、ベン・ベンスンの『九時間目』とともに収録されたものの、到頭文庫化されませんでした。この叢書は、メジャーなミステリーが数多く収録されており、当然、文庫でも入手可能な作品ばかりです。併録されている『九時間目』ですら、『脱獄九時間目』 のタイトルで翌年(一九六二年)には創元推理文庫に入りました。にもかかわらず、どうしてこれが落ちてしまったのでしょうか(※2)。
 人気作家であるブラウンの文庫は、数多くの版を重ねたお陰で今も入手困難なものはないのですが、文庫にならなかったせいで、『B・ガール』は、やや入手しづらい一冊になってしまったのです(※3)。

 皿洗いをしながらロサンゼルスに滞在しているハウイー。知人の女性と会った直後、彼女が殺されたことを知ります。しかも、犯人と目星をつけたメキシコ人は、その前夜に殺害されていたことが分かったのです。
 そこへハウイーの姿をみかけた牛乳配達の男が現れ、殺人の嫌疑を掛けられることを恐れた彼はLAを後にしようとするのですが……。

『B・ガール』は、典型的なブラウンの長編ミステリーといえます。
 まず、主人公のハウイーは大の酒好きで、おまけに金がありません。ブラウンは、ほとんどの長編で「いかに金と酒を手に入れるか」に多くの枚数を費やすにもかかわらず、読者をちっとも飽きさせないのは本当に不思議です。『3、1、2とノックせよ』なんかは九割方そうで、それでもミステリーとして傑作といえる仕上がりになっているのだから恐れ入ります。

 尤も『3、1、2とノックせよ』や『通り魔』は例外的で、大抵の長編は、殺人事件の扱いがぞんざいです。
『B・ガール』も、序盤で殺人が発生するものの、その後、大した事件は起こらず謎解きも進展せず、ラストで急激に解決に向けて動き出します。それ故「最初と最後をつなげればピリッとした短編になるのに勿体ない。真んなかのノンシャランとした部分は不要ではないか?」なんて声があがってしまうのでしょう。

 実際、『B・ガール』は最もミステリーっぽくない長編といえるかも知れません。
 ほかの長編の主人公たちはさほど頭を働かせず、当てずっぽうでバーをうろつくものの、目的は飽くまで犯人探しです。
 ところが、ハウイーは身近で殺人が起こったからといって、嫌疑をかけられているわけでもないし、被害者とそれほど親しくもないし、身の危険に晒されているわけでもないため、犯人をみつけ出そうとする意欲に欠けます。
 彼が悩むのは、被害者と最後に会ったのが自分であると警察に伝えるか否かってこと。というのも、ハウイーは、夏期休暇を利用してシカゴからやってきた高校教師で、ゆくゆくは大学教授になろうとしているインテリです。つまり、真の姿を売春婦のビリーに明かすのを躊躇っているわけです。
 終盤、ハウイーを目撃した牛乳配達のせいで危うい立場になるのですが、それでも彼は真犯人を捜すのではなく、街から逃げ出そうとするのです(真犯人は偶然明らかになる。『モーテルの女』に似た解決法)。
 推理小説の語り手として、凡そ相応しくない言動の連続だと思いませんか。これでよく長編ミステリーを成立させられたと逆に感心してしまいます。

 とはいえ、これこそがブラウンのミステリーの真骨頂なのです。
 前述した呑気さに浸れることはいわずもがな、推理小説の約束ごとに捉われず、純粋に読書を楽しめるというメリットもあります。
 例えば、ハウイーは見知らぬ老人の浮浪者をバーに連れてゆき、一杯驕ってあげます。その際、老人の嘘の身の上話を長々と聞くことになります。推理小説だと、普通こういうシーンは謎解きに関係してくる(伏線になっていたり、探偵が閃くヒントが隠れていたり)のですが、ブラウンの場合、そんなことを警戒する必要はありません。本筋とはまるで関係ないのですから……。

 さらに「縁のない土地の貧民街で身分を隠して暮らし、心優しい売笑婦と恋に堕ち、ふたりでメキシコにゆくことを夢みる。すると、ひょんなことから大金が転がり込む」なんて、男の理想がてんこ盛り。羨ましすぎて、推理なんて本当どーでもよくなります。

 要するに、こういう本は、一番リラックスできる場所で、好きな酒でも用意して読書すればよいのです。そう、それはバーで隣にいる酔っ払いの与太話に耳を傾けるみたいな感覚です。
 後味はさっぱりとしていて、不快感がありません。勿論、二日酔いとも無縁。
 尤も、一晩寝れば全て忘れてしまえるのは、果たしてよい酒なのか、悪い酒なのか、悩むところではありますが……。

※1:『B・ガール』のほかは、『遠い悲鳴』(ポケミス)、『ディープエンド』(論創海外ミステリ)、エド・ハンターシリーズの『Compliments of a Fiend』(未訳。追記:二〇一五年九月、論創海外ミステリより『アンブローズ蒐集家』のタイトルで刊行された)がそれ。ちなみに、ミステリー以外では自伝的な長編『The Office』も未訳。
 また、短編は未訳や単行本未収録のもの(SFだけでなく、エド・ハンターの短編、ヘンリー・スミスものなど)がまだまだある。どこかでまとめてくれないだろうか。

※2:文庫化したら、選集が売れなくなるからだろうか? ちなみに『世界名作推理小説大系24』は定価三百円、同じ年に創元推理文庫から出版された『やさしい死神』(カバーなしの旧版)は定価が百十円と、約三倍である。

※3:東京創元社のブラウンの長編は、原題とかけ離れたタイトルのものが多いのが特徴である(『霧の壁(We All Killed Grandma)』とか『パパが殺される!(Mrs. Murphy's Underpants)』とか『通り魔(The Screaming Mimi)』とか)。ちなみに、B GirlとはBar Girlのことで、バーに出入りして客を取る売春婦を指す。


『世界名作推理小説大系24』中田耕治訳、東京創元社、一九六一