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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ユニコーン』アイリス・マードック

The Unicorn(1963)Iris Murdoch

 アイリス・マードックの本を最後に買ったのはいつかと思って本棚を捜索してみたところ、『ジャクソンのジレンマ』(一九九五、遺作)が出てきました。この本が二〇〇二年刊ですから、もう十年以上経っていることになります。
 帯には、映画『アイリス』の広告が載っているので、公開に併せた翻訳出版だったようです。『アイリス』はアルツハイマー症を患ったマードックを題材にした映画で、一時話題になりましたが、僕は彼女の生涯には余り興味がありません。
 それよりも悲しいのは、マードックの作品のほとんどが最早新刊では入手できないこと。亡くなって新作が発表されなくなれば、すぐに忘れられてしまうのは仕方ないとはいえ、寂しいですね。

 このブログは、流行とは無縁の古い小説を扱うことが多いので、遠慮せずに僕が一番好きな小説『ユニコーン』を取り上げてみます。
 これは脂の乗り切った時期(本当にそうなのか知らないけど……)の作品で、マードックらしいサービス精神に満ちています。とにかくゴシック小説の要素がこれでもかっていうくらい詰め込まれていて、好きな人は堪らない仕様でしょう。
 実際、僕がマードックの小説で感心するのは、様々なギミック、飽きさせない展開、魅力的な登場人物、豊かな物語性を有している点です。まるでエンタメ小説のように(というのは、今や死語か)、最後までハラハラドキドキさせてくれるのです。
 それは、あらすじを紹介しただけで理解してもらえると思います。

 恋人との関係に疲れたマリアンは、家庭教師募集の広告に応募します。しかし、勤務地は村さえないほど僻地の館で、風変わりな住人がひっそりと暮らしているだけでした。マリアンの真の役目は、子どもの家庭教師などではなく、若い女主人ハナの話相手だったのです。
 やがて、マリアンはこの家族の秘密を知ることになります。ハナは、かつて隣人と不倫をし、それを夫にみつかり、この地に監禁されていたのです。しかも、ハナは、夫を崖から突き落としたらしいことも分かってきます(夫は障害が残ったものの奇跡的に助かり、ハナと離れニューヨークに住んでいる)。
 マリアンは、隣家の客であるエフィーという青年と協力し、「籠の鳥」であるハナを救出しようと画策するものの、失敗してしまいます。その後、ハナの夫が帰ってくるという電報が届き、一同は慌てふためきますが……。

 余りに正統派、というか典型的すぎるが故に、この作品をゴシック小説のパロディとみなす人もいるようです。人里離れた土地に建つ古めかしい屋敷、美貌の女主人、一度も姿をみせず恐怖で妻を支配する主人、謎めいた使用人、奇妙な隣人、過去の因縁、一角獣の伝説と、とにかく盛り沢山ですから無理もありませんが、ただのゴシックホラーとはひと味もふた味も違います。

 物語は、ふたりの部外者(マリアンとエフィー)の視点で交互に(奇数章はマリアン、偶数章はエフィー。六章以降は変則的)語られます。これもオーソドックスな図式「部外者=読者」であり、新参者にとっては異様に思える決まりごとや秘密を次々に暴露しつつ、佳境に向かって突き進んでゆくのです。
 この辺りは、同じ女流作家のゴシック小説、例えばダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』や『レイチェル』、ロザリンド・アッシュの『』や『嵐の通夜』などと比較すると、緊迫感や甘美さでは劣ります。けれども、装飾を取っ払った後に残るものの味わいは深く豊かです。

 そもそもマードックは、様々な愛の形を模索してきた作家です。『ユニコーン』においては、囚われた女性を中心に据え、立場や性別の異なる者たちが彼女をいかに愛したかを描いています。
 鳥の羽をもぎ取り自由を奪う者、それを解放しようとする者、そして、自らの意思で大空へ飛び立つのをやめた者。
 月並みな表現ですが、愛は与えるべきものか、求めるべきものか、それとも奪うべきものなのか、を読者に問うているように思えます。

 しかし、終盤、ハナが眠りから目覚め、彼女を包んでいた哀しみのオーラが消えた途端、ハナの幸せを願っていたはずの周囲の者たちは、それぞれ自分勝手な恋愛へと走り出します。その姿は人間臭くもあり、滑稽でもあります。作中でマリアンが指摘したとおり、シェイクスピアの喜劇のように結末になると何もかも丸く収まる……かのように思われたのですが、そこから怒濤の如く悲劇が襲いかかってきます。
 とどのつまりは、どのような形であれ、愛や憎しみなどまやかしにすぎません。運命に翻弄され続ける哀れな囚人と思われたハナは、人の心を正確に写し出す鏡でした。それぞれの願望が作り出した虚像であり、ユニコーンと同じく飼い馴らすことのできない幻の生きものなのです。

 謎めいた女性の真の姿が明らかになるのはゴシックの王道であり、その点においても『レベッカ』に決して引けを取りません。
 長い夜のお供に、ぜひ。

ユニコーン』栗原行雄訳、晶文社、一九七三