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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『七人の風来坊』ナサニエル・ホーソーン

Nathaniel Hawthorne

『緋文字』(一八五〇)で有名なナサニエル・ホーソーンは、短編小説の名手としても知られています。
 邦訳も数多くあり、岩波文庫に限っても『優しき少年 ―ホーソン短篇集 他十篇』『ワンダ・ブック ―少年少女のために』『七人の風来坊 ―他四編』『ホーソーン短篇小説集』と四冊の短編集が出ています(いずれも現時点では品切れのようだが、岩波文庫はよく復刊される)。
 一部の短編はダブって収録されていますが、訳者が異なるのでさほど気にはなりません。『七人の風来坊』では「人面の大岩」と「デイヴィッド・スォン ―一つの幻想的物語」が、『ホーソーン短篇小説集』にも「大いなる岩の顔」「デーヴィッド・スワン ―あるファンタジー」として収められています。それだけ出来がよいということでしょう。

『七人の風来坊』は、頁数も収録作品も少ない(たった五編で、約百頁しかない)のですが、ハズレはひとつもありません。訳者は、自分の好きな作品だけを選んだと思われますが、こういう場合、訳者と趣味が合えば非常に幸せな気分になれます。
 五編のうち四編は第一短編集である『Twice-Told Tales』(一八三七)に収録されており、「人面の大岩」のみ『The Snow-Image, and Other Twice-Told Tales』(一八五二)から採られています。
 なお、『Twice-Told Tales』は、『トワイス・トールド・テールズ』『ツワイストールド・テールス』『トワイス・トウルド・テイルズ』など邦訳も数多くありますが、いずれも現在は入手しづらくなっています。
 ホーソーンの短編と本格的に取り組みたいのであれば、南雲堂の『ナサニエル・ホーソーン短編全集』がお勧めですけど、全三巻なのに二巻までしか出ていない点が、ちと怖い。三巻は永遠に出ないかも……。

 ちなみに「Twice-Told Tale」は「二度語られた話=退屈な話」という意味で、謙った表現です。アントン・チェーホフの「退屈な話」の原題は「Скучная история」で、そのまんまですけど。

 さて、今回、この日本オリジナルの短編集を取り上げることにしたのは、表題にもなっている「七人の風来坊(The Seven Vagabonds)」(一八三三)が収録されているからです。
 ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、「ウェイクフィールド」がホーソーンのベストだといっていますが、僕は「七人の風来坊」がとても好きです(「ヒギンボザム氏の意外な破局」も捨てがたいが)。
 まずは、あらすじから。

 ニューイングランドの道をぶらぶら歩いていた「私」は、移動舞台を兼ねた大型の四輪馬車をみつけます。雨宿りするために馬車を訪ねると、そこには、からくり人形の見世物師と本の行商人がいました。
 やがて、馬車には、のぞき眼鏡を持った男女のふたり組、占い師、弓矢を持ったネイティブアメリカンが逃げ込んできます。彼らは、スタンフォードの野外集会へ向かう途中でした。
 気楽で陽気な彼らに憧れた「私」も、六人の仲間に入れて欲しいと頼みますが、稼業を持たない者はダメだといわれてしまいます。そこで、「私」は小説家を目指していることを伝えます。
 雨がやみ、馬車から降りて、楽しくスタンフォードを目指していると、その方角からきた遍歴説教師に出会います。野外集会は既に終わってしまったことを彼に聞いた七人は、そこで解散し、四方八方に散っていきました。

 ただ、それだけの短編です。筋らしい筋がない点、見世物小屋を扱っている点は『ラーオ博士のサーカス』っぽいでしょうか。
 どことなくとぼけた味わいを持つところも共通しているのですが、実は、呑気に構えていられるような話ではありません。

 十八歳で(恐らく)無職の「私」は、自由気侭な風来坊たちに憧れます。彼らの芸や能力にも、生き方にも感銘を受け、仲間になりたいと願うのです。
 けれども、風来坊は、浮浪者ではなく、仕事に誇りを持ち、立派に生計を立てています。社会経験のない若造なんかと一緒にされたくはないという矜持がはっきりとみられます。
 気楽そうだし、誰にでもできると高をくくっていた「私」は、怠惰な気持ちを見透かされたようで恥ずかしくなり、思わず小説家になりたいという大きな風呂敷を広げてしまいます。

 二百年近く前に書かれた小説とは思えないほど、現代的なテーマを扱っていると思いませんか(あるいは普遍的なのか)。
 働くのは面倒臭いし、正社員になる自信もない。取り敢えずバイトをしてみたけど、仕事は結構辛い上に、親からは厭味をいわれる。で、「俺には小説家になる夢があるんだ!」と叫んでみた……なんて感じでしょうか。
 のどかなニューイングランドの風景と、陽気な自由人たちに誤摩化されがちですが、怠け者(今でいうとモラトリアム青年)の苦悩と甘えを、痛烈に描いているのです。

 また、意気投合したと思っていた仲間たちは、仕事がなくなったことが分かるや否や、蜘蛛の子を散らすように去っていってしまいました。
 一切しがらみのない気楽な関係とも取れますが、損得勘定のみで結びつくという世知辛さも感じさせます。
 最後に青年とともに残ったのはペノブスコット族の男で、彼のみは世故に長けていないことからも、ホーソーンの筆が皮肉に満ちていることは確実です。

 かといって、底意地の悪さは微塵もありません。当時、売れない匿名作家だったホーソーンは、この青年に自分自身を投影していたかも知れず、眼差しは非常に暖かいのです。
 結果として、風来坊との出会いと別れは、青年にとって人生の厳しさを知るイニシエーションとなったのではないでしょうか。

 日本語にして、わずか二十五頁の短編ですが、読み応えは十分にあります。
 次々に仲間が増え、自慢話をするところは『カンタベリー物語』のようでもあり『ワンピース』のようでもあって……いや、どっちにも別に似てないかも知れない……。でも、とても面白いですよ。

『七人の風来坊 ―他四編』福原麟太郎訳、岩波文庫、一九五二