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読書感想文(関田 涙)

関田 涙(せきた・なみだ)

『ドジャース、ブルックリンに還る』デイヴィッド・リッツ

アメリカ

The Man Who Brought the Dodgers Back to Brooklyn(1981)David Ritz

 著者のデイヴィッド・リッツの肩書きは、音楽ジャーナリスト、伝記作家とあります。なるほど、ネットで検索すると、レイ・チャールズマーヴィン・ゲイらの伝記があがってきます。
 そのリッツが、どうして野球小説を書いたのか分かりませんが、彼は一九四三年ニューヨーク生まれですから、少年時代、エベッツフィールドでドジャースの試合をみていたに相違ありません。
 今でも博多にはライオンズファンが、大阪にはホークスファンがいるように、ニューヨークには古くからのドジャースファンやジャイアンツファンが残っているはず(※1)。彼らは、拷問されたってヤンキースやメッツを応援しないでしょう(多分、リッツもそのひとり)。

 彼らにとって、贔屓のチームが地元に帰ってくるのは究極の夢。そして、その夢を実現しちゃおうというのが、この小説の目的です(※2)。
 全編、清々しいくらいの「ドジャース愛」に満ち満ちていて、野球ファンなら誰しも「ああ。その気持ち、分かるぜ」と共感してしまうのではないでしょうか。
 ただし、ヤンキースファンだけは面白くないかも知れません。ドジャースが下町に住む庶民のチームだとしたら、ヤンキースは山の手の金持ちチーム。とにかく、ボロクソに扱き下ろされているからです(ファシスト呼ばわりされている)。ジャッキー・ロビンソン、ロイ・キャンパネラ(キャンピー)、ピー・ウィー・リース、デューク・スナイダーらの名前は何度も出てくる癖に、史上最高のスイッチヒッターであるミッキー・マントルが一切無視されるのは、彼がヤンキースの看板選手だからでしょう。
 ま、それ以上に叩かれているのは、ドジャースをロサンゼルスに移転させた張本人であるウォルター・オマリー(オーナー)ですけどね。

 さて、あらすじは、以下のとおり。
 一九四〇〜五〇年代のブルックリン。強打・強肩の捕手スクワット(渾名)は、ボビーという少年と知り合います。ボビーはブルックリン区長の息子で、野球は上手くないものの、如才なく、ビジネスの才能を持っています。正反対のふたりですが、不思議と気が合い、すぐ親友になります。
 高校を卒業したスクワットは念願のドジャースにスカウトされ、マイナーリーガーとして活躍し始めます。その矢先、交通事故に遭い、片脚を切断する羽目になります(奇しくも憧れのキャンピーと似た運命)。一方、ボビーは雑誌の表紙にもなるほどの実業家に成長します。
 ときが過ぎ、中年になって再会したふたりは、ドジャースを買収し、チームを再建し、ブルックリンに連れ帰る計画を立て、実行に移してゆきます。

 純然たる野球小説ですが、大いなる夢を叶える男たちのサクセスストーリーとしても、なかなかの出来です。
 ブルックリンでの少年時代、失意の青春、壮大かつ無謀な計画と、オーソドックスながら読者を飽きさせない展開でグイグイ読ませます。郷愁、挫折、友情、喧嘩、恋愛、計略、冒険といった要素もたっぷりと盛り込んであり、そつなく仕上げてあります。
 また、主な舞台は一九八五年と、出版年より数年先の近未来に設定してあるため、球団を買い取るといった大掛かりな嘘が鼻につきません。
 よくいえば映画化されてもおかしくないくらい面白く、悪くいうとソープオペラっぽいとなるでしょうか(チーム作りが漫画みたいだったり、計画が余りにトントン拍子にゆきすぎる点がマイナスか)。しかも、物語の終盤になって、弱小チームがいきなり勝ち続けたり、『赤毛のサウスポー』のように女性がエースになったり(彼女は監督となったスクワットの恋人)と荒唐無稽さが目立ち始めます。それでも、結末が気になって、一気に読み切ってしまいます。

 このように、誰もが楽しめる小説なのですが、個人的には、どうしても野球のことに目が向いてしまいます。
 例えば、プロローグで語られるのは、六度目の挑戦でようやくヤンキースを倒しチャンピオンリングを手にした一九五五年のワールドシリーズではなく、シーズン最終戦で延長の末フィリーズに敗れ、リーグ優勝を逃した一九五〇年のゲームなのです。
 僕自身、応援していたチームが勝った記憶より、敗れた試合の悔しさの方が勝っているので、この選択には大いに頷けます。

 そして、クライマックスに用意されているのが、一九五一年のプレイオフの再現です(ドン・デリーロの『アンダーワールド』でも重要な役割を担っていた)。
 同率で並んだニューヨーク・ジャイアンツとのプレイオフ最終戦、ボビー・トムソンの放ったサヨナラホームランで、ドジャースは二年続けて悔し涙を飲んだのですが、その悪夢がそのまま繰り返されそうになるのです(結局どうなるかは、読んでのお楽しみ)。

 ほかにも、エベッツフィールドを解体したときの鉄球が野球のボールを模してあったとか、地元ブルックリン出身のサンディ・コーファックスが引退したとき(一九六六年)こそがブルックリン・ドジャースの完全なる消滅だとか、エベッツフィールドではブーイングのとき、ものばかりでなく小さな子どもまでグラウンドに投げ入れるといった嬉しくなる蘊蓄が満載です。
 立ち飲み屋で隣にいたおっさんから野球の話を聞かされるみたいな感覚で、何とも幸せな気分に浸れます。ニヤニヤが止まらなくなってしまうため、電車のなかで読むのには向いていませんけど……。

 なお、文庫本のカバーイラストは懐かしの鈴木英人ですが、キャップのマークはLAではなく、ブルックリンのB(BumsのBか?)にして欲しかったなあ。

※1:十年ほど前、山口県出身の女性に「地元にはベイスターズファンが結構いる」と聞かされ、驚いた経験がある。
 ちなみに僕は、太平洋クラブ時代からのライオンズファンで、その後、クラウンライター、西武と応援を続けたが、秋山を放出したことに呆れ果てライオンズを捨て、ホークスに寝返った。なお、九州には縁もゆかりもない。

※2:尤もリッツはこの小説執筆時、ロサンゼルスに住んでいたらしいが……。


ドジャース、ブルックリンに還る』小菅正夫訳、角川文庫、一九八六

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